MIYO'S WEBSITE - 全盲難聴のんたんの記録と卵巣ガン、そして旅日記。

超未熟児で生まれた後遺症で、全盲難聴(盲ろう)となったのんたん、双子の妹あみちゃんと共に楽しく生きる家族のお話です。
子どもたちは24歳になり、毎日元気に楽しく暮らしています。
卵巣ガンになって思ったことも、少しずつ書き始めました。
ベトナム日記は、
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ベトナム家族旅行:
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小学生だったころの子どもたちの育児日記は、こちらです。
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全盲難聴・のんたん日記(2017年4月2日)/ MIYOのお仕事終了

2017年4月2日 ウクレレ教室で。(全盲難聴・のんたん 21歳)


掲載しそびれていた、古いのんたん日記です。
なんと、2年も前。笑


これだけでは申し訳ないので、
ついでに、私の近況をお知らせします。


7月29日をもちまして、勤務を終了いたしました。^^
1983年に、新卒でS社に入社し、
なんと、36年と5ヶ月ですよ。(苦笑)
人生の半分以上を、会社で過ごしてしまいました・・・。


そんな私ですが、7月に60歳の誕生日を迎え、
8月20日に定年退職のはこびとなりました。
今は、残っていた有給休暇を全部投入し、
自宅でのほほんとしております。^^


通常なら、フロアの社員全員の前で挨拶し、
花束をいただいて、拍手をされながら退社・・・
となるところでしたが、
そんなことは、なにひとつ起こりませんでした。


実は、勤務していた工場が、高崎に移転することに。
7月20日に、同じフロアの全メンバーが、
高崎に行ってしまったのです。


そのあとの一週間は、なにもなくなった居室で、
私と総務担当者一名(残務整理のため)が残るのみという、
冗談のような展開。笑
そんななかで迎えた、最後の勤務日でした。


誰もいませんから、当然、お別れの挨拶もなく、
拍手もなく、花束もなく・・・。(苦笑)


まあ、ぜいたくは言えません。
高崎に行くのを拒否し、辞めていった大勢の仲間。
新幹線通勤や単身赴任を受け入れ、
泣く泣く高崎へと旅立った、さらに大勢の仲間・・・。
彼らのことを考えたら、
このタイミングで定年退職となったのは、
やはり、運がよかった、と言うべきだと思います。


・・・というわけで、最後の日も、
淡々と荷物をまとめ、
ひっそりと、居室をあとにしました。


こんな終り方になるとは思ってもいませんでしたが、
まあ、なんだか私らしいな、とも思います。


その日の夜は、夫、長女と祝杯。
「会社で花束もないって言ってたから。」
と、夫が花束を買ってきました。


「あのさ、私、花束もらうの、嫌いなんだよ。
 知ってるでしょ?」


MIYOは、花をもらってもうれしくない、という、
珍しいオンナです。
花よりも、モノがいいのです(苦笑)。


「わかってるよ。
 だから、いちばん小さいのにしといた。」
「だからさ。別に、買わなくていいんだけど。」
「いいじゃん。
 誰からも花束をもらわないで退職っていうのも、
 寂しいでしょ。」


いや・・・。
いいんですけどね・・・。


まあ、しょうがないから、言いましたよ。
「ありがとう」って。笑


最後の勤務日に。


花束はなかったけれど、
これから、大勢の同僚が、それぞれに、
送別会を開いてくださることになっています。


8月は、ほとんど毎週、送別会。笑



2017年4月2日


ずいぶん前の日記で恐縮です。
この日は、週末を利用して、
長男が家に帰ってきました。


それまでは、長男が自宅に帰るのは、
「長期休暇」と「なにか用事があるとき」だけでした。
でも、
「なにも用事がなくても、
 たまには長男を帰宅させてあげたい。」
というのが、MIYOの思いでした。


それを提案したとき、
当然、夫も賛成すると思っていました。
でも、夫は、
「オレはいやだ。子育てはもう十分やった。
 どうしてもやりたいなら、
 子育てを十分やってないあなたが、
 ひとりでやればいい。」
と言い、きっぱりと拒絶しました・・・。


夫婦の仲が険悪になる中、
それでも、初めて実現したのが、
このときの帰宅でした。
そして、これをきっかけに、長男は、
時折、週末を自宅で過ごすようになりました。


このときにいらしてくださったボランティアさんは、
タケダさんとヤグチさんでした。
まず、4月1日に、タケダさんがS園に行き、
長男といっしょに高田馬場に。
高田馬場駅で、夫が長男を引き継ぎます。
長男は、ランチ・ウクレレ教室を、夫と過ごし、
その後、家に帰ってきました。^^


翌日は、昼食後、ヤグチさんが、
我が家まで迎えに来てくださいました。
長男は、ヤグチさんといっしょに、S園に戻りました。


夫が撮った、ウクレレ教室での写真です。


【ヤグチさんからいただいたメールです】
帰り道ののんたんは、電車の中で、いつものようにヘッドホンをつけて、音楽を聴いています。日暮里で乗り換えしたとき、「もじを」になっていたので、トイレに寄りました。
そのうち、電池が切れてしまったせいか、「充電池、充電池、充電池」と言っていました。リュックの中を探してみましたが、見当たらず(入っていたらごめんなさい)、その後も何回か電池のことは言いましたが、そのうち言わなくなったので、そのままに。静かになったなあ、と思ったら、眠っていました。
そのまま、豊田まで寝ていました。
今日は、久々だったので、忘れられているかなあ と思いましたが、(誰だあ、とこちらから聞いていないのに)「ヤグチさん」と言ってくれたので、ほっとしました。^^
次は、来月のカラオケで会えますね。今日ののんたんは、カラオケのことは、なにも言いませんでした。


思いがけず、週末を自宅で過ごした長男。
きっとうれしかったことと思います。^^
タケダさん、ヤグチさん、どうもありがとうございました。


S園では、希望すれば、
週末はいつでも、帰宅することができます。
けれど、全盲の長男は、自力で帰ってくることができません。
「帰りたいから迎えに来て」と、自分から言うこともできません。
だからこそ、親が心を配って、
ときどきは家に戻ってこれるようにしたい、というのが、
母親の願いです。


こういうことですらも、
ひとつひとつ説明しないと、
夫にはつたわらなかったんですね・・・。


夫は、今は反省しているのかもしれません。
が、「オレはいやだ」と言われたときの寂しい気持ちは、
今でも私の中で、悲しい思い出として、残っています。

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