MIYO'S WEBSITE - 全盲難聴のんたんの記録と卵巣ガン、そして旅日記。

超未熟児で生まれた後遺症で、全盲難聴(盲ろう)となったのんたん、双子の妹あみちゃんと共に楽しく生きる家族のお話です。
子どもたちは24歳になり、毎日元気に楽しく暮らしています。
卵巣ガンになって思ったことも、少しずつ書き始めました。
ベトナム日記は、
http://limings.muragon.com/tag/?q=2019%E5%B9%B49%E6%9C%88-10%E6%9C%88%E3%80%80%E3%83%99%E3%83%88%E3%83%8A%E3%83%A0&p=4 
をご覧ください。
ベトナム家族旅行:
https://limings.muragon.com/tag/?q=2017%E5%B9%B412%E6%9C%88%E3%80%80%E3%83%99%E3%83%88%E3%83%8A%E3%83%A0
小学生だったころの子どもたちの育児日記は、こちらです。
http://limings.sweet.coocan.jp/

経過観察/手術後61ヶ月 - 「すしの美登利」でひとりでお祝い(2021年8月23日)

2020年8月10日 「うえのとり」で。(全盲難聴・のんたん 25歳)
全盲難聴・のんたんの夏休み 3 - 「ビッグエコー」と「うえのとり」(2020年8月10日/3日め) - MIYO'S WEBSITE-全盲難聴のんたんの育児記録と卵巣ガンで思ったこと


福島の旅行日記を連載しているときに、
「卵巣がんのカテゴリーで旅行記を書くのはおかしい。
 コロナで皆が我慢しているこのご時世に、理解に苦しみます。」

…というコメントがありました。
コロナでも福島。満開の桜の下、城を仰ぐ 25 - 会津武家屋敷(會津歴史資料館)(2021年4月10日/2日め) - MIYO'S WEBSITE-全盲難聴のんたんの育児記録と卵巣ガンで思ったこと


ガンになった人は、ガンの日記しか書いてはいけないのでしょうか。
障害児の親になったら、障害者の話しか、書いてはいけないのでしょうか。
おかしいですよね…。
誰だって、ひとつのカテゴリーに縛られることはないと思います。
障害児の親であり、ガンにもなった私が、
書きたいときには、旅行日記を書きます。
ただ、それだけです。


そして、この人のコメントで、最も危ういのは、2行目の、
「コロナで皆が我慢しているこのご時世に、理解に苦しみます。」です。
おそらく、これがいちばん言いたかったことなのでしょう。
「旅行をするな」と。


まるで、「欲しがりません、勝つまでは。」「ゼイタクは敵だ」
と言っているようで、第二次大戦の軍国主義を連想します。
あの時代は、「皆が我慢しているこのご時世に」と、
国民全員が、反論できない状況をおしつけられました。
そして、多くの人が、大切な物や生命を奪われたのです。


日本の「自粛」を英訳すると、「自己責任」となるのだそうです。
法的拘束力はありません。
つまり、「うつさない、うつらないように、自分で考えて行動してください。」
というのが、「自粛」です。
多くの日本人が「自粛」ということばを誤解していますが、
「我慢しなさい」と言う意味は、そこにはないそうです。


「このご時世なのだから」
「皆が我慢しているのだから」
と、
身勝手な正義を振りかざし、個人や世論によって、
他者に自粛を強要することは、あってはならないと思います。


このようなコメントを書く人たちは、必ず、自分のメアドやブログ名などを隠し、
どこの誰だか悟られないように行動します。
その根底の意識には、テロリストに共通するものがあるそうです。


これまでの5年間に、数件、いやがらせのコメントを書かれたことがありますが、
そんなものに関わる時間が惜しいので、私はいつも、即座に削除し、無視しています。
このコメントも、同じように削除するつもりでしたが、思いとどまりました。
同じような「強要」を、これ以上、私以外の誰かに書いてほしくないので、
この方の自重を願う気持ちも込めて、私の思いを、はっきりと、ここに書いておきます。


8月23日


さて、障害児の親で、旅行が大好きで、
2年前にベトナムに住んでいた私が、
今日は、「卵巣がん」の日記を書きます。笑


卵巣嚢腫で切除した右卵巣が
ガンであったとわかったのは、
2015年2月20日でした。



そして、そのガンが再発し、
再び手術を受けたのは、
2016年7月19日です。



その後、6回の抗がん剤投与を受け、
あたまがつるっぱげにもなりました。😅


あれから5年が経過しました。


経過観察で通い続けた、G研病院。今日の検査で異常がなければ、経過観察は終了となります。

再来受付機から、呼出受信機が出てきます。この受信機を持っていれば、院内のどこにいても呼び出してもらえます。実は、30年以上前、日本で初めてこれを作ったのが私の勤務先で、私はこの無線患者呼出システムの営業担当でした。3年間、デモ機を持って、日本中に出張しました。なつかしい。いつか、自分がこれのお世話になるとは、想像もしていませんでしたが。笑

血液検査とCT検査が終わり、「食事をしてもいいですよ」と言われたので、ファミマでおにぎりを買いました。セゾンカードのキャンペーンで、「コンビニでお買い物すると100円キャッシュバック」を開催中です。お茶は、「ラベルレス生茶」を自宅の冷凍庫で凍らせたものを持ってきました。まだ凍ってますね。^^


おにぎりを開封しようとしたら、
診察室から、受信機で呼ばれました。
あわてて、診察室へ。


いつも、いちばん遅い時間に
診察予約を入れていただいてます。
そうすると、たいてい、
待ち時間が少なくてすみます。
この日もスムーズでした。^^


そして、ドクターから、
「CTの結果も異常なしでした。
 腫瘍マーカーも問題なし。
 5年を満了しましたね。
 完治しましたので、
 経過観察は、これで終了です。」
と、ありがたいお言葉が…。


5年間、長かったような気がするけど、
その間に、ブログを始め、
会社を定年退職し、ベトナムで働き、
帰国後は旅行しまくって…。
なんか、終わってみれば、
あっという間だったような気もします。


経過観察、これにて、卒業しました。
これから、卵巣がん関連のブログを書くことは、
少なくなるかもしれません。
でも、「卵巣がん」のカテゴリーは、
はずさないつもりです。


「卵巣がんになっても、元気になり、
 こんなふうに楽しく旅行できる人が
 いるんだ。」
ってことが、
誰かの心に伝わればいいな、と
願うからです。


「5年で卒業」とは言え、
10年後に再発した人のブログを、
以前、読んだことがあります。
なので、けっして、これで、
終わったわけではない、と、
自分でも思います。


まあ、ガンに限らず、人は誰だって、
いつまで生きられるかはわからないのだから。
今を大事に生きていくしかないですね。^^


駅から見たG研。後ろには、ビッグサイトも見えます。長い間、ほんとうにありがとうございました。


…ということで、
おにぎりはひとまずバッグにしまい、
ひとりでお祝いすることにしました。


多動夫は、パラリンピックの
ボランティアにでかけてるし、
長女は仕事中だし。
なので、私ひとりで、
おいしいものを食べに行きます。笑


銀座のコリドー街にある、「すしの美登利」です。待ち時間なしで入れました。

かつての美登利寿司です。お店の前には、いつも、30人くらいが並んでいました。(2017年9月4日)

「すしの美登利」は、これまでにもご紹介してきました。いつ行ってもおいしいです。^^(2017年9月4日)

(2020年8月3日)

「季節の板さんおまかせにぎり」(2800円)がおいしそうですが…、

ランチが午後4時までなんです。お店に着いたのが3時58分で、まだ大丈夫とのことだったので、ランチをいただくことにしました。^^

1800円のランチセットをいただきます。サラダ、茶碗蒸し、お味噌汁とデザート付きです。

サラダを食べ終わったころに、お寿司がやってきました。

どこから食べるか、迷います。笑

ボタン海老が大きいこと。もうね、おいしすぎて、飲み込むのがもったいないくらいでした。

デザートは、マンゴーシャーベットでした。以上が、1800円(税込1980円)のランチセットです。

お財布の中に、Go To Eat のお食事券が、1000円分だけ残っているのを見つけました。(有効期限が3月31日となっていますが、緊急事態宣言があったため、9月末まで延長されました。)


お食事券が利用できたので、
お支払いは、980円だけでした。^^
ほんとうにおいしかったです。
ごちそうさまでした。


さて、この日の夜のことです。
パラリンピックのボランティアから、
上機嫌で帰宅してきた夫に、
「今日ね。G研で、
 最後の検診だったんだけど。」
と切り出したら、


おうおう、そうだったな!
 で、どうだって?」


はい…? そうだった…?
私の完治がかかった日だったのは、
知ってるよね?


「もしかして、
 今日、私がG研に行ってるの、
 忘れてた?😮」
「うん。」


横で見ていた長女も、
あきれています。😔
夫の頭の中には、常に、
自分の楽しいことしかありません。
パラリンピックのボランティアが
楽しすぎて、
私のガンのことなど、吹っ飛んでたみたいです。😔


2008年12月に、初めてG研に行き、
命を助けていただいたときから、
経過観察終了の今日まで、
まあ、ずっとこんな感じでしたね。
夫が病気の支えになってくれたことは、
結局、一度もなかったなあ…。😔


初めて「ガンの疑い」と言われたとき、帰宅して相談すると、夫はその瞬間、黙って部屋を出て行きました。


こういうところが積もり積もって、
離婚ってことになったんですけど。😔
夫はきっと、これからもずっと、
こうなんだろうなあ…。


美登利寿司で、ひとりでお祝いして
よかったなあ、と思いました。
お寿司がおいしかったのが、
せめてものなぐさめになった、
私の経過観察、卒業の日です。

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