MIYO'S WEBSITE - 全盲難聴のんたんの記録と卵巣ガン、そして旅日記。

超未熟児で生まれた後遺症で、全盲難聴(盲ろう)となったのんたん、双子の妹あみちゃんと共に楽しく生きる家族のお話です。
子どもたちは24歳になり、毎日元気に楽しく暮らしています。
卵巣ガンになって思ったことも、少しずつ書き始めました。
ベトナム日記は、
http://limings.muragon.com/tag/?q=2019%E5%B9%B49%E6%9C%88-10%E6%9C%88%E3%80%80%E3%83%99%E3%83%88%E3%83%8A%E3%83%A0&p=4 
をご覧ください。
ベトナム家族旅行:
https://limings.muragon.com/tag/?q=2017%E5%B9%B412%E6%9C%88%E3%80%80%E3%83%99%E3%83%88%E3%83%8A%E3%83%A0
小学生だったころの子どもたちの育児日記は、こちらです。
http://limings.sweet.coocan.jp/

ガンになるまでの日々 38 - 再会(2020年3月)

2009年1月17日 卵巣膿瘍で手術したときの写真です。G研病院を退院する前日に、大好きだった、C看護師と。ご自分の勤務が終わってから、「いっしょに庭園を散歩しましょう。」と声をかけてくださったことは、忘れられません。


2020年3月


ガンの再発、手術、抗がん剤治療を経て、
その後は、経過観察が始まりました。
ガンが再発していないことを確認するために、
現在は、定期的に、G研病院で検査をしています。
退院直後は、2週間おき。次は1か月おき。
だんだん間隔があいて、
4年目の今、通院は6か月おきになりました。


新型コロナが懸念され始めていた、
今年の3月のことです。
私は、ひどい風邪をひきました。
それを機に、
持病の、喘息様気管支炎が始まり、
咳が止まらなくなりました。


ある日、ふとお腹を見ると、
開腹手術をした痕の部分が、
真っ赤になっています。
咳をし続けたことで、腹圧がかかり、
どうやら、お腹の内側で、
内出血を起こしているようです。
腹壁瘢痕ヘルニアの再発かもしれません。


これを診ていただけるのは、
T病院のH医師しか、いません。
早速、診察の予約を入れました。


H医師には、2年間にわたって、
本当にお世話になりました…。


 2014年9月 腹壁瘢痕ヘルニアの手術
 2015年2月 卵巣切除手術→卵巣がんと判明
 2016年6月 卵巣がんの再発


私の腹壁瘢痕ヘルニアを治してくださり、
その後、卵巣がんであることも、
そのガンが再発したことも、
見つけてくださったのは、H医師です。
その後、G研病院に転院したことにより、
長いお別れとなっていました。


4年ぶりに訪ねたT病院は、相変わらず、
ホテルのようにきれいでした。^^
待合室にある、洋風の上品なイスも、
飲み物や雑誌が置いてある、
女性専用の待合室も、そのままです。
なつかしくて、つい、院内を歩きまわっていると、
診察室から、名前を呼ばれました。
H先生、私のこと、覚えてるかな…。


「また、のこのことやってきちゃいました。」


照れ笑いしながら、診察室に入ると、
H医師が立ち上がって、手を差し出してくれました。


ふたりで、握手。^^


あの、幼子のような、柔らかい手のひら。
以前と変わらない、H医師でした。


「いや~。
 あれからどうなったかと、
 ずっと気になってたんだよ~。」


「すみません…。
 あのあとすぐに手術で、
 抗がん剤も始まって、
 バタバタしてばかりで
 ご連絡もできなくて。」


「うんうん、そうだと思ってたよ。」


「あれから、左卵巣と子宮を切除しました。
 そのあと、TC療法を6回やって、
 経過観察に入りました。
 もうすぐ、手術から4年になります。」


うなずきながら、私の話を、
電子カルテに入力する、H医師。
そして…。


「たいへんだったね。
 よくがんばった!! 
 えらかった!」
と…。


いや、あの、
みんなやってることですし(苦笑)、
ほめていただくほどのことでは…(汗)。


腹壁瘢痕ヘルニアの手術をしたため、
私のお腹には、メッシュが入っています。
そのお腹を再び開腹するのは、
ちょっとメンドウなことだったようです。


そのため、私の手術の前に
H医師は、G研病院に電話をしました。
主治医のB医師に、開腹時の注意事項を
説明してくださったのです。
そのことは、後日、B医師から聞きました。


「G研で手術したあとに、
 B先生から、
 『H先生に教えていただいたとおりに
  手術しましたからね。^^』
 と言われました。
 先生、その節は、本当にありがとうございました。」


「ああ、うんうん、
 あの後、B先生から、
 お礼の手紙をもらいましたよ。^^」


そうだったんだ…。
B医師も、H医師も、すばらしい。^^
私は本当に、医師に恵まれてるなあ、
と思いました。


ちなみに。
内出血を起こした、私のお腹ですが、
H医師、ひとめ診て、
「ああ、なるほど。
 筋肉から出血したんだね。
 すぐに手術とかしなくても大丈夫だから、
 ようすをみましょう。」
とのことでした。
その後、内出血は、すっかり治ってしまいました。


さすがに、5回もお腹を切ったので、
私の腹壁は、もろくなっているようです。
またいつか、再発するかもしれません。
でも、大丈夫。
そしたら、また、
H医師に、手術していただきますから。^^


「でもよかった。またH先生に会えて。
 まあ、もっとも、
 ガンでどうしようもなくなったら、
 私は、最後は、ここに戻るつもりでしたけど。」


「そうだったの?」


「そうですよ。
 私、4年前に、先生にそうメールしましたよね。
 末期になったときは、お願いしますって。笑」


いやはや。
そうならなくて、
元気な顔を見せることができて、
ほんとうによかった。^^


これを機に、これからは、半年に一回、
T病院で、ヘルニアの経過観察を
していただくことになりました。
また、H医師に会える日々が始まりました。^^


さて。
私の、長い長いお話は、
ようやく終わりに近づきました。


この連載で、私がいちばん書きたかったのは、
「腹壁瘢痕ヘルニア」
のことでした。


医師が診察しても「わからない」と。
あげく「ほっておいていい」と言われ、
何年も、飛び出たお腹を見ては、
情けない思いをし続けました。


今でも、人知れず悩んでいる方が
どこかにいらっしゃるのではないか…。
そんな方に、参考にしていただきたかったのです。


でも、このことを書こうとすると、
腹壁瘢痕ヘルニアの原因となった、
12年前の手術から話さなくてはなりません。
そして、ヘルニアの手術があったからこそ、
その後、卵巣がんを早期に
見つけていただくことができたのです。


12年間に起こったことは、
「なにかの力」に導かれたかのように、
すべて、ひとつにつながっていました。
そして、そこに共通していたのは、
「私はいつも、
 日本で最高レベルの病院で
 診ていただくことができ、
 すばらしい主治医に恵まれていた。」
ということです。
おかげで、何度も命を助けていただいたのだ、
と思っています。


この7月で、最後のがん手術から、
4年が過ぎました。
あと一年で、G研病院の経過観察を
卒業します。
まだまだ、気は抜けません。
それでも、もしかしたら、12年前に、
死んでいたかもしれない、命です。
それを思ったら、感謝しかありません。


私の命を助けてくださった、
医師のみなさま。
いつも寄り添ってくださった、
看護師の方々。
そして、病院で知り合った、
お仲間さんたち。
すべてのみなさんに、感謝です。


(つづく)
*次回は、最終話です。


左上:退院の日。長男がお気に入りの「でんどうベッド」で、最後に遊んで帰ります。^^(2009年1月18日)
右上:みんなで、病院の近くにあった、「中村孝明の店」に行きました。
左下:ランチセットをいただきました。
右下:おいしいね!^^

この日は、中村孝明さんが厨房から出てこられたので、びっくりしました。^^

食事のあとは、スーパーへ。翌日から、ひとりで自宅療養をするため、食料を買い込みました。

×

非ログインユーザーとして返信する