MIYO'S WEBSITE - 全盲難聴のんたんの記録と卵巣ガン、そして旅日記。

超未熟児で生まれた後遺症で、全盲難聴(盲ろう)となったのんたん、双子の妹あみちゃんと共に楽しく生きる家族のお話です。
子どもたちは24歳になり、毎日元気に楽しく暮らしています。
卵巣ガンになって思ったことも、少しずつ書き始めました。
ベトナム日記は、
http://limings.muragon.com/tag/?q=2019%E5%B9%B49%E6%9C%88-10%E6%9C%88%E3%80%80%E3%83%99%E3%83%88%E3%83%8A%E3%83%A0&p=4 
をご覧ください。
ベトナム家族旅行:
https://limings.muragon.com/tag/?q=2017%E5%B9%B412%E6%9C%88%E3%80%80%E3%83%99%E3%83%88%E3%83%8A%E3%83%A0
小学生だったころの子どもたちの育児日記は、こちらです。
http://limings.sweet.coocan.jp/

ガンになるまでの日々 39 - エピローグ・笑顔(2016年8月)

2009年1月6日 盲学校での、書きぞめです。(全盲難聴・のんたん 13歳/中1)
右下:病室の窓から見えた、初日の出。


もうひとつのガンのお話、「今でよかった」(2017年1月25日)



2016年8月


6月に、ガンの再発がわかり、
7月に、G研病院に転院。
慌ただしく、手術となりました。
これは、そのころのお話です。


私の手術から10日ほど遅れて、
同じ病室に、埼玉県から、
Jさんが入院してきました。


Jさんは、初めてのお子さんを妊娠中に、
卵巣がんであることがわかりました。
お子さんのことを優先し、
治療を控えていたのですが、
5月に、無事、出産。
そしてその2か月後、
出産したS大附属病院の紹介で、
Jさんは、G研病院に入院します。
卵巣を切除するためでした。


Jさんの入院中は、
ご主人が仕事を休んで、
お子さんの世話をしておられるとのこと。
なので、ご主人も、
なかなか病院に来ることができません。


生後わずか2か月のお子さんと別れて、
入院してきたJさんのお気持ちは、
察するにあまりあります。


たまたま、電話室の横を通ったとき、
電話で、うれしそうに、
お子さんに話しかけている、
Jさんの声が聞こえました。
私までが、切なくなりました。


我が家の子どもたちも、
生後ずっと、危篤状態が続きました。
NICUで、保育器に入れられ、
退院までに、長男は4か月、
長女は6か月かかりました。
あの頃は、私も、よく泣きました…。^^


電話室から戻ってきた、Jさん。
ベッドのカーテンを閉め切っていましたが、
そのカーテンの内側で、
泣いている声が聞こえました。


ガンと診断され、
手術を受けるだけでも不安なのに、
出産したばかりのお子さんと
はなればなれなのです。
どんなにかつらくて、寂しかったことでしょう。
Jさんに話しかけたかったけれど、
しっかりと閉ざされたカーテンをあけて、
その向こうに行く勇気はありませんでした。


その翌日のことです。
病室を出て行ったJさんが、
なにかの用事を済ませて、戻ってきました。
チャンスです。^^
思いきって、話しかけてみました。


「手術はいつごろですか?」と…。


「明日です。
 卵巣をとることになったので、
 明日、手術するんです。」
「そうですか…。
 それは不安ですよね。
 でもね、だいじょうぶですよ。
 手術は、寝ているあいだに終わるし、
 全然痛くないし。
 なにしろ、ここは天下のG研なんだから。笑
 この病院で治療が受けられるだけで、
 もう、ひとつめの運をつかんでるんですよ。


どこかで聞いたセリフです。笑


「ああ、ちなみに、私ね。
 10日前に、手術したんです。
 だから、子宮も卵巣もないんですよ。」
「えええっ?」
「でも、ウソみたいに、元気でしょ?
 あさって、退院するんです。
 Jさんも、手術が終わったら、
 こんなふうに、すぐに元気になれますよ。」


Jさんの表情が、少し明るくなったようでした。


「卵巣の手術をするなんて、つらいよね。
 でも、Jさんはひとりじゃないからね。
 ここはガンの専門病院だから、
 ここに入院してる人、全員、ガンだし、
 みんな、子宮も卵巣も切除してるし。
 けど、みんな、明るいよね。
 私もね、この病院に来て、
 みなさんから、元気をもらったの。
 だから私も、Jさんのことを、
 応援してるからね。
 明日の手術も、きっとだいじょうぶ。
 うまくいくからね。^^」


翌日、手術の時間になり、
Jさんは、手術室へと向かいました。
そのときのことです。
私のベッドの前を通り過ぎるとき、
Jさんは、私の方を向いて、
笑ってくれたのです。


「いってらっしゃい。
 応援してるからね。^^」


前を向いて歩いていく、
Jさんの後ろ姿を見送りながら、
よかった、と思いました。


Jさんは、もう、泣いていませんでした。
笑顔で病室を出て、
手術室まで、歩いていったのです。
それだけでも、よかった。
泣きながら行くより、
笑顔で行くほうが、ずっといい。
ほんとうによかった…。


Jさんがいなくなった病室で、
私は、初めてG研に入院したときのことを
思い出していました。


さりげなく、同じ病室に入院してきて、
寝食を共にしたあと、
さりげなく、退院していった、
たくさんの方々…。
みなさんが、身をもっておしえてくれた、
あまりにも多くのこと…。


ガンになるまでの日々に出会った、
おひとりおひとりのことが、
次々に思い出されました。


みなさんからいただいたものを、
私も、少しだけ、お返しすることが
できたのかもしれない…。


なんとなく、そんな気がしました。


ガンになったからこそ、
こんな私でも、
できることがあるのかもしれません。


手術室に向かうJさんを見送ったあと、
再び、Jさんと会うことはありませんでした。
手術後、Jさんは回復室に入り、
その翌日、私は退院してしまったからです。


けれどその後、
Jさんから、メールをいただきました。


「お手紙を置いて行ってくださり、
 ありがとうございました❗
 手術が夜までかかったので、翌朝拝見して、
 今日のお返事になっちゃってすみませんm(__)m
 やはり、卵巣癌でした。
 術後、かなり大変でしたが、
 みなさん頑張っているので、私もがんばります!!」


文字の向こうに、
Jさんの笑顔が、見えるようでした。
それは、
手術室に向かうときに見せてくれた、
あのときの笑顔でした。


(おわり)


長い連載におつきあいくださり、ありがとうございました。
このあと少し、お休みをいただきます。^^


長男の書きぞめです。(2009年1月6日)

退院して3週間。こんなに元気になりました。写真は、長男が小1・小2のときに担任だったU先生のお宅に、家族みんなで伺い、点字を読む長男です。(2009年2月7日)

×

非ログインユーザーとして返信する