MIYO'S WEBSITE - 全盲難聴のんたんの記録と卵巣ガン、そして旅日記。

超未熟児で生まれた後遺症で、全盲難聴(盲ろう)となったのんたん、双子の妹あみちゃんと共に楽しく生きる家族のお話です。
子どもたちは24歳になり、毎日元気に楽しく暮らしています。
卵巣ガンになって思ったことも、少しずつ書き始めました。
ベトナム日記は、
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ベトナム家族旅行:
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小学生だったころの子どもたちの育児日記は、こちらです。
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全盲難聴・のんたんの夏休み 6 - 戸ノ口堰洞穴(2020年8月12日/5日め)

2020年8月12日 飯盛山・さざえ堂で。(全盲難聴・のんたん 25歳)


8月12日


会津若松の飯盛山に来ています。
なにも知らないままで、
ただ、さざえ堂を見るだけのために
来ました。
ところが、来てみたら、
飯盛山は、見どころ満載でした。


まずは、「動く坂道」に乗って、山頂に上がりました。

山頂の、「白虎隊十九士の墓」へ。

そして、目的地だった「さざえ堂」の内部を上がりました。

そこからさらに歩くと、「戸ノ口堰洞穴」に着きます。下の写真では、説明板の後ろ側になっていて、洞穴が見えません。

「戸ノ口堰洞穴」です(画像をお借りしました)。


「戸ノ口堰洞穴」からは、
猪苗代湖から引かれた水が、
大量に流れだしていました。
戸ノ口用水です。


戸ノ口用水は、江戸時代初期から江戸末期まで、
段階的に工事が行われました。
猪苗代湖から会津若松に到達する、
最後の関門だったのが、この戸ノ口堰洞穴で、
飯盛山を掘り抜いた、長さ150mの用水トンネルです。
天保3年(1832)から3年の歳月をかけて、
5万5千人を動員したこのトンネル工事は、
天保の大飢饉の失業者対策の意味もあったようです。


慶応4(1868)年8月23日、
戊辰戦争の戸ノ口原の戦いで、
敗走した白虎隊20名が抜け道として使いました。
が、会津若松の城下町が炎上しているのを見て、
鶴ヶ城落城と勘違いし、自刃したそうです。


現在の「戸ノ口堰洞穴」は、戸ノ口堰水神社内にあります。小さな祠の周囲では、常に大量の水が流れていて、涼しい風が吹いていました。

そろそろ戻りましょう。

戸ノ口堰水神社の鳥居をくぐって、下山します。

飯盛山のふもとには、お店が並んでいます。ここでちょっと休憩しました。

あわまんじゅう屋さん。作り立てを売っていました。

一個買って、家族で分け合って食べました。もちもちしておいしかったです。

そして、お土産物屋さんでお買い物。会津の地酒を買いました。

このお店は、茶店にもなっていて、冷たいお茶をごちそうしてくださいました。

暑かったので、氷を注文して、みんなで食べました。


さて、お昼をだいぶ過ぎてしまいましたが、
ようやくお昼ごはんです。
喜多方まで行ってみました。


ジャンボ海老のまるやま 喜多方店


このお店…。
すごい量なのです。
驚きました。
どんぶりのデカさを見てください。
出されたものは、基本、全部食べる我が家ですが、
さすがに、途中でギブアップ。


けれど、隣りのテーブルにやってきた、
地元の方々。
同じようなものを注文したので、
どうなることかと、こっそり見ていたら、
全員が、ぺろりと平らげておられました。
驚きました。
「福島県の人って、大食いなんだねえ…。」
と、みんなで苦笑。


がんばって食べている長男です。いつのまにか、お箸を使って自分でおそばが食べられるようになっていました。S園のおかげです。^^


(つづく)


13歳(中1)の長男。月に2回、アリオ亀有のドラム教室に通っていました。(2009年2月22日)

左:教室のあと、フードコートでたこ焼きを食べました。
右:おとうさんの携帯で、音楽を聴いている長男。

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