MIYO'S WEBSITE - 全盲難聴のんたんの記録と卵巣ガン、そして旅日記。

超未熟児で生まれた後遺症で、全盲難聴(盲ろう)となったのんたん、双子の妹あみちゃんと共に楽しく生きる家族のお話です。
子どもたちは24歳になり、毎日元気に楽しく暮らしています。
卵巣ガンになって思ったことも、少しずつ書き始めました。
ベトナム日記は、
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をご覧ください。
ベトナム家族旅行:
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小学生だったころの子どもたちの育児日記は、こちらです。
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定年でもベトナム。ハノイで始める、お仕事日記 183 - 最後の日曜日/ベトナム軍事歴史博物館④ モニュメントとフラッグタワー(2019年10月27日/57日め)

2019年10月27日 ベトナム軍事歴史博物館で。フラッグタワーで見かけた子どもたちです。


10月27日


ベトナム軍事歴史博物館で、
屋外の展示エリアを歩いています。
たくさんの戦闘機や戦車の右端に、
大きなモニュメントがあります。


ベトナム軍が撃ち落とした、米軍の戦闘機の残骸で作られたオブジェです。戦争の無残さや虚しさが伝わってきます。


屋外展示されている航空機を
いちばん奥まで見て歩くと、
そこにフラッグタワーがあります。


かつての「ハノイ城」の一部でした。

2週間前、兄夫婦と一緒にタンロン城に行き、端門の上から庭を臨んだとき、遠くの方に見えていた、あのフラッグタワーです(2019年10月11日)。

正面の階段を上がります。タワーの中には入れませんが、ここから、内部の階段を上がって、上部の展望台までは、行くことができます。

中はこんな感じです。

展望台に上がりました。右側には、「レーニン公園」が広がっています。

その隣りは、博物館の入り口と第一資料館です。30年ぶりに再会した自転車が展示してあったところです。

左側には、第二資料館。

さらに、展示してある航空機や戦車を、上から眺めることができます。遠くには、高層ビルも見えました。

タワーで記念写真を撮る、ベトナム人の親子です。心が和みました。

朝8時半からお昼過ぎまで、ずいぶん長い時間を過ごし、門を出ました。

博物館を出ると、向かい側には、「レーニン公園」があり、ソ連初代最高指導者ウラジーミル・イリイチ・レーニンの像があります。この公園で、少し休憩しました。

そして、午後の部、開始です。^^ 樹木が生い茂った、ディエンビエンフー(Dien Bien Phu)通りが見えました。これから、この通りを直進していきます。一時間くらい歩けば、ドンスアン市場の手前あたりに着くはずです。

道路の名前を地図で確認しながら歩くので、迷う心配はありません。

雑貨を自転車に積んで売り歩いていました。売り物は、ベルト、サンダル、接着剤、タワシなど、種々雑多です。

おなじみの、路上食堂です。

ふたりの男性が向かいあって食べているのを、見せていただきました。ブン(ベトナムそうめん)、きゅうり、揚げ豆腐、さつまあげ、葉っぱとつけ汁という、典型的なベトナムの庶民のランチです。


MIYOが毎日のランチでいただいていたのも、
こういう感じでした。
特に、ブンはかなりの頻度で、
食事に出てきました(苦笑)。


滞在中は、毎回、
とてもおいしくいただいていました。
でも、家でしょっちゅう食べるものを、
外出先でまで食べたいとは思えませんでした。


あまりにも頻繁に食べすぎたせいか、
帰国した当初は、
「もうとうぶん、ブンは食べたくない」
と思っていました。


でも、帰国して4か月が過ぎ、
最近ようやく、
ブンの味をなつかしく思い出すようになりました。^^


それと同時に、
ベトナムから帰国するときに、
うまく言葉にできなかった自分の気持ちも、
今なら文字にすることができるかな、
と思い始めています。


(つづく)

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