MIYO'S WEBSITE - 全盲難聴のんたんの記録と卵巣ガン、そして旅日記。

超未熟児で生まれた後遺症で、全盲難聴(盲ろう)となったのんたん、双子の妹あみちゃんと共に楽しく生きる家族のお話です。
子どもたちは24歳になり、毎日元気に楽しく暮らしています。
卵巣ガンになって思ったことも、少しずつ書き始めました。
ベトナム日記は、
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をご覧ください。
ベトナム家族旅行:
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小学生だったころの子どもたちの育児日記は、こちらです。
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定年でもベトナム。ハノイで始める、お仕事日記 192 - ありがとう、元気で。(2019年10月29日/59日め)

2019年10月29日 「ありがとう、元気で。」


10月29日


日本に帰国する日も、
私は、いつものように仕事をしていました。
午後になって、タムさんから、
「もういいから、休んでください。」
と言われ、部屋に戻ったのですが、
特にすることもなく…。


結局、自室のデスクで、
わかりにくくて気になっていた、
お客様向け案内書を作り直したり。(苦笑)
なんか、ぎりぎりまで、仕事していましたね。
ドキュメントを直したり、
新しいツアー企画の提案を作ったり…。


旅行会社の仕事は、楽しくて、
私は、嫌いではありませんでした。
とりあえず、2か月で帰国するけれど、
今後もお手伝いしてもいいかな、
という気持ちが、なかったわけではありません。


でも、そのためには、彼らから、
きちんと言ってもらいたかったのです。
「今まで働いてくれてありがとう。
 おかげで、とても助かりました。
 会社にはあなたが必要なので、
 今後も働いてもらえませんか。」
と…。


そんなことを言われたら、単純な私は、
つい引き受けてしまったかもしれません。
でも、彼らからそういう言葉は、
最後まで、言われることはありませんでした。


そう。
彼らは私に、「お礼」というものを
言いませんでした。
これが、ずっと不思議でした。
「とてもいい人たちなのに、
 どうしてこうなのだろう?」
と、寂しく思ったことが、何度もありました。


日本の会社では、
「課長、ご指示の書類を用意しておきました。」
「ああ、そう。どうもありがとう。」
…って、これ、普通の会話ですよね?
なにかしてもらったら、
「ありがとう」って言いますよね?


けれど、タムさんとローさんは、MIYOに、
「ありがとう」を、けっして言わなかったのです。
あるとき、ローさんから、
「ハロン湾やチャンアンに取材旅行をしたあと、
 会社のHPに掲載する日記を書いてほしい。」
と言われ、原稿を作成しました。
「できましたよ。^^」
と提出すると、
「……。」
黙ったままで受け取って終わりました。


「ありがとう」の代わりに、
「お客様の写真にモザイクかけてる?
 あ、かけてるね。よし。」
とだけ、言われたこともありました。


「作ってくれてありがとう。」
「よくできてるね。」
「おかげで助かりました。」
…などと言うのは、日本では当たり前のことです。
でも、私が仕事でどんな成果を出しても、
彼らからお礼を言われたことは、
一度もありませんでした。


日本の代理店とむずかしい交渉をし、
最終的に、最高に有利な条件で、
商談をまとめたことがありました。


そのときも、彼らは、喜んではいるものの、
ただそれだけでした。
「MIYOさんのおかげで、いい条件でまとまった。」とか、
「おかげで助かった。どうもありがとう。」
などと言ってくれれば、
どんなにか私もうれしかったことか。
でも、そんな言葉は、一度もありませんでした。


仕事で何をやっても、
「ありがとう」と言われることがない不自然さを
ずっと、寂しく、不可解に思っていました。
でも、最近になって、ようやく、
その理由に思いあたりました。


私が2か月間に残した、様々な「成果」は、
おそらく、彼らにとっては、
「当然のこと」だったのです。


タダで取材旅行に行かせてあげたのだから、
そのあとに宣伝用の旅行記を作るのは、当然のこと。
日本からの渡航費も滞在費も、
全部会社が負担したのだから、
言われた仕事をなんでもするのは、当然のこと。
そのうえ給料まで払うのだから、
予想外の好条件で交渉をまとめたとしても、
それもまた当然のこと。


「当然のこと」だから、お礼は言わない。
彼らの中に、そんな気持ちがあったのではないか、
と、今頃になって気がつきました。


「こちらは、給料を払う側。
 雇われた側は、指示どおりに働くのがあたりまえ」
という意識は、日本のそれとは、
ちょっと違っていたと思います。


「雇われた側だから、
 なんでもやるのがあたりまえ」
という意識があったから、
SEのハイさんが料理をするのも、
当然のことだったのかもしれません。


私も、日本にいるときは、
「お客さんとメールのやりとりをする仕事です。」
と説明されていました。
が、来てみると、
それ以外の仕事がどんどん増えていったわけです。


それだけなら、よくあることですが、
ローさんから、
「新規の代理店の契約をとってきてほしい。」
と、当然のように言われ、さすがに、
「そんなことまでやるとは、聞いていません。」
と、お断りしました。
それでも、あきらめきれないローさんからは、
「MIYOさん、**社と契約したい。」
「XX社との契約もやりたい。」
と、その後も何度も言われましたが…(苦笑)。
(実は、帰国後も言われています。笑)


私は、
「事前に説明していない仕事を、
 ベトナムに来てからやらせるのは、
 よくないです。
 私の後に来る日本人には、
 担当することになる仕事の内容を、
 事前にきちんと説明してくださいね。」
と言いましたが、
彼らはいつものように、
ただ黙って聞いているだけでした。


もしも彼らが、
「雇われて、給料をもらっているのだから、
 言われたことはなんでもやるのがあたりまえ」
と思っていたとしたら、
私の訴えていることは、
彼らにはとうてい理解できなかっただろう、
と思います。


「今まで働いてくれてありがとう。
 これからもいっしょに働いてもらえませんか。」
と言ってもらえるならば、
もしかしたら今後も、
いっしょに働く可能性があるかもしれない、
と、私は考えていました。


けれど、2か月間、
一度も「ありがとう」と言われることなく、
働き続けたことを、よくよく考えてみたら、
彼らの口から、そんな言葉は、
出てくるはずもなかったのです。


私がいなくなれば、
困るだろうことはわかっていました。
でも、私が心配して、
「**の件は、ひとりで大丈夫?」
「XXも、心配なんだけど。」
などと、何度尋ねても、タムさんは、
「MIYOさん、だいじょうぶ。私できるよ。」
と答えるだけでした。


「ありがとう」の一言すらも言わないのだから、
「あなたがいないと困ります。
 これからもいっしょに働いてください。」
なんて、彼らが言うはずもないですよね。
たぶん、そういうところが、
ベトナム人のプライドだったんだろうなあ…、
と、今頃になって、ようやく気がついています。(苦笑)


結局、お互いにかみ合わないままで、
2か月が過ぎてしまい、
幕切れとなったような気がします。


「いや、むしろそれでよかった。」
と、夫は言っています。
「もしも彼らが、
 あなたの琴線に触れるような、
 上手な言い方をしていたら、
 またぐっときちゃって、
 『私、これからもずっとベトナムで働く』
 なんて言い出しかねないもんなあ。
 いや~、これでよかったんだよ。」


はは…。
そうかもしれません。笑


トントン、と部屋のドアをノックして、アインちゃんとノックちゃんがやってきました。日本語で、「ごはん…」と恥ずかしそうにおしえてくれるのも、毎日のお約束でした。

最後の夕食に、タムさん、腕を振るってくれました。今日はローさんが手伝って、すごいごちそうです。

骨付き豚肉の甘辛煮。

キノコとネギの炒め物。

フエの料理、ネムルイ (Nem lui)。レモングラスの周りにひき肉を巻き付けて焼いたものです。

エビ春巻き。

野菜としいたけのスープ。

蒸し鶏肉。

牡蠣のグリル。

恒例、タムさんのごちそう祭り。^^ これが、ベトナムでいただく、最後の食事になりました。

MIYOが、2か月間を過ごした部屋です。全部片づけて、シーツもはがして帰ります。


夜8時。
迎えの車が来ました。


タムさんとローさんは、ほんとうは、
空港までMIYOを見送るつもりでした。
でも、MIYOが出発した後、
深夜の空港から自宅に戻るのはたいへんです。
だから、お気持ちだけいただきました。


「私ひとりで行きます。
 この家で、お別れにしましょう。
 すみませんが、空港までの車を
 手配してください。
 タクシー代は、払いますね。」


空港で見送ってもらうのは苦手です。
うっかり、泣き出すかもしれません。
だからここで、さらりとお別れしたかったのです。


タムさんは、さらになにか
言いたそうにしていましたが、
MIYOの意思がかたいとわかり、
あきらめたようでした。


「わかった。
 でも、タクシー代は、うちが払います。」


迎えの車の運転手さんに、写真を撮ってもらいました。


考えてみたら、
5人でいっしょに写真を撮ったのは、
このときが初めてだったような気がします。
もっといっぱい、撮っておけばよかったなあ…。^^


重いかばんを車に積んでもらい、
私も、車に乗りました。


「ありがとう。元気でね。」


そういえば、このときも、
彼らからの「ありがとう」は、
なかったなあ…。爆


ご家族の皆さんに見送られる中、
MIYOを乗せた車が、出発しました。


(つづく)


次回は、ようやく最終回です。^^

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