MIYO'S WEBSITE - 全盲難聴のんたんの記録と卵巣ガン、そして旅日記。

超未熟児で生まれた後遺症で、全盲難聴(盲ろう)となったのんたん、双子の妹あみちゃんと共に楽しく生きる家族のお話です。
子どもたちは24歳になり、毎日元気に楽しく暮らしています。
卵巣ガンになって思ったことも、少しずつ書き始めました。
ベトナム日記は、
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をご覧ください。
ベトナム家族旅行:
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小学生だったころの子どもたちの育児日記は、こちらです。
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コロナでもポロト湖。星野リゾート 界 ポロト スイートを無料で楽しむ 16 - 仙台藩白老元陣屋資料館②(2022年6月21日/5日め)

2022年6月21日 「仙台藩白老元陣屋資料館」で。当時築かれていた陣屋のジオラマです。(北海道白老郡白老町)


6月21日(火)


「仙台藩白老元陣屋資料館」
に来ています。
前回は、概要を書きましたが、
仙台を出立してからの一行の記録を、
もう少し詳しくご紹介します。


1857年(安政4年)、御備頭三好監物は、白老詰後立として、46名の供を率い、蝦夷地へ向かいました。

様々なものを長持に入れて、人力や馬力で運びました。

こんなものまで持って行ったようです。左は提重。当時のお弁当箱です。

仙台から白老までの所要日数は、順調に行けば19泊ほどでした。が、青森での船待ち、渡海、それに風水害による滞留などが加わり、一ヶ月以上かかるのが常でした。藩士は、仙台の北で藩主に見送られ、一の関、盛岡、七戸を通って青森へ。さらに青森で船を雇い、潮の流れの激しい津軽海峡を渡りました。

箱館からは、8泊程度で白老に着きます。しかし、出張陣屋勤務の藩士たちは、白老からさらに陸路を厚岸や根室へと向かいました。また、択捉、国後詰めの藩士はそこから舟に乗り、任地へ向かわなければなりませんでした。


青い丸で囲んだところが、左から、
白老、厚岸、根室、国後島、択捉島です。
こんな遠いところまで、
行った(=行かされた)んですね…。


元陣屋の図面(右)と、現在の航空写真(左)です。当時のままの形状をとどめているのがわかります。白老元陣屋は、1856年(安政3年)の警衛初年度中に、土塁や主な建物の建築をほぼ完了しました。

白老元陣屋絵図
盛岡市中央公民館に収蔵されていたもので、当時の元陣屋の姿を立体的に描いたものとしては、唯一の貴重なものです。外曲輪、内曲輪合わせて十数棟の建物がありました。

当時の陣屋を再現したジオラマがありました。

土塁の内側に、本陣、勘定所、兵具蔵、穀蔵、井戸、厩が並んでいます。

さらにその手前には、藩士たちが住んだ長屋が建ち並んでいます。

ここには、稽古場と長屋がありました。

【陣屋の武士たち】
白老の仙台藩元陣屋には、百人を越す武士たちが駐留して、北方警備にあたっていました。彼らの士風を引き締めて鼓舞することは、責任者である御備頭の最大の任務でした。そのため、藩兵たちの訓練もきびしく行われていました。

毎月一回の兵学講義を始め、武芸の稽古、火縄銃や大筒の撃方訓練、さらに実戦さながらの訓練を行う修羅前などを積極的に行いました。

修羅前の訓練をしているところです。

【陣屋と地元の人々】
藩兵と地元のアイヌとの交流は掟で禁じられていましたが、勤務が当初の1年から2年以上へと長期化するとともに、相互の交流も自然に深まって行きました。

下の図は、オムシャという儀式を描いています。語源はウムシャ(久しぶりに再会した者同士が行うアイヌの礼式)でしたが、ここでは、知行主の役人が年一回、漁の終わる初冬にアイヌを集めて政令を伝え、酒肴を与えて恩恵を施す儀式となっていました。役人の前で手を付いているアイヌの人々が、そろって陣羽織を着ていることから、すべて長老クラスであったことがわかります。

三好監物のシントコ(本州で作られた、漆塗りの器)です。アイヌは産物と引き換えにこれを手に入れ、宝物として、大切に保存してきました。ここに展示してあるシントコは、三好監物が当時の総乙名に与えたものと推定されています。陣屋の建設や警備体制の維持には、地元民の協力が必要であり、代々の御備頭は、アイヌには相当気を遣ったと言われています。

こんな大砲まで、仙台からはるばる運んできて、訓練を行っていました。

火薬入れ、白石藩家臣紺野家に伝わる槍(穂先)と三好家の家紋の入った槍鞘、鉄扇です。

槍と火縄銃。


当時の仙台藩は、資金難にあえいでいました。
そのため、白老に送った大砲も、
当時としてもかなり旧式のもので、
実戦では役に立たないものだったそうです。


そんな武器を与えられ、日々、
訓練に励んでいた藩士たちの胸中は、
どのようなものだったのでしょうか…。


故郷を遠く離れ、厳寒に堪えながら、
仙台藩士たちが苦労して築いた陣屋でしたが、
やがてその歴史に幕を閉じる日が、
刻々とせまっていました。


(つづく)

コロナでもポロト湖。星野リゾート 界 ポロト スイートを無料で楽しむ 15 - 「ななかまどイレンカ」から仙台藩白老元陣屋資料館①へ(2022年6月21日/5日め)

2022年6月21日 「仙台藩白老元陣屋資料館」で。貴重な資料が多数展示されていました。(北海道白老郡白老町)


6月21日(火)


「Café RIMSE(カフェリムセ)」で
お昼ご飯をいただいたあとは、
もう一か所、行きたいところがありました。


スイーツカフェ、「ななかまどイレンカ」です。

前回、このお店に行った時の日記です。
コロナでもウポポイ3。札幌2週間ホテル暮らし 53 - ウポポイ①(いざないの回廊、ななかまどイレンカ、歓迎の広場)/ 5435(2021年11月7日/5日め) - MIYO'S WEBSITE - 全盲難聴のんたんの記録と卵巣ガン、そして旅日記。


このお店を運営しているのは、
社会福祉法人 白老宏友会。
つまりこのお店は、
障害者の福祉作業所です。
でも、そのことを知ったのは、
前回訪問した後。
夜、ホテルに戻ってからでした。


「そうとわかっていれば、もっといろいろ、
 たくさん購入したのに…。」
と残念に思っていたので、今回の旅行では、
「白老に行くなら『ななかまど』に行きたい。
 今度はもっと買い物したい。」

と、夫に何度も話していました。


なので、ウポポイに来たからには、
このお店に行かねばなりません。笑


店内には、チーズケーキのような生菓子のほか、お土産用のコーヒーやお菓子もたくさんありました。

前回は気がつきませんでしたが、レジを担当しているのも利用者さんなのだそうです。はきはきと対応していて、すばらしかったです。仕事をこなす彼の誇らしげな気持ちが伝わってきました。^^


旅先で、あまり物を買わない私たちですが、
このときばかりは、たくさん買いましたよ。^^
食べ物だけでなく、
夫のTシャツまで買っちゃいました。
前回の心残りが解消できて、
なにかほっとしました。^^


スタッフの方々にも、話しかけてみました。
はじめは当惑しておられるようでしたが、
「私の長男も施設にいて、
 皆様のお世話になっているんです。^^」
と話したら、表情が柔らぎ、
お店を運営するうえで考えていることや
日頃のとりくみなどを話してくださいました。


楽しいひとときでした。
このお店にまた来ることができて、
よかったです。


最後は、ソフトクリームを1個買って、夫とはんぶんこ。北海道は、ソフトクリームも格別ですね。^^

トゥレッポんに見送られて、ウポポイを後にしました。

ウポポイを出て、白老町を北上します。

目指すはここ、仙台藩白老元陣屋資料館。白老仙台藩陣屋跡の中にあります。サブキャプションは、「幕末維新を生きた防人たちの歴史」。


【白老仙台藩陣屋跡】
白老町にある白老仙台藩陣屋跡(しらおいせんだいはんじんやあと)は、幕末期に蝦夷地警備を命じられた仙台藩の陣屋があった場所です。国指定の史跡で、約6万6000平方メートルの史跡公園として整備されています。ここには、仙台藩白老元陣屋資料館があり、史跡の絵図面や古文書、武具など約300点の資料を所蔵しています。


江戸時代末期、幕府の命令で、
東北6藩(津軽・南部・秋田・仙台・庄内・会津)
が北海道の警備を行っていました。
それについてはよく知らなかったのですが、
この旅の途中で、たまたま、
「元陣屋」の存在を知りました。
その中でも、仙台藩が陣屋を築いたのが、
この白老だったのです。


実は、この2日前に訪れた増毛にも、
元陣屋がありました。
こちらは、秋田藩が築いた場所です。


西蝦夷警護のために、秋田藩が陣屋を置いた場所です。(2022年6月19日 北海道増毛郡増毛町)


この旅で、増毛町の元陣屋を訪れるまで、
北海道に東北6藩の陣屋があったことを
全然知りませんでした。
東北からはるばる北海道まで
警護に向かった人々の苦労は、
並大抵のものではなかったようです。


今回の旅行での主たる目的地は、
増毛町と白老町だったのですが、
見どころを調べているうちに、
その両方の町に、
秋田藩と仙台藩の陣屋が築かれていたことを
たまたま知りました。
そのことに、なにか不思議な縁を感じ、
訪ねてみたい、と思うようになりました。


仙台藩白老元陣屋資料館に到着です。駐車場に車を停め、建物に沿って伸びる道路を歩きました。

資料館の全景です。あまり知られていないためか、訪れる人はほとんど見かけませんでした。

ようやく、入口に着きました。

下の地図の赤い丸が仙台藩白老元陣屋資料館です。そして黄色い丸が白老仙台藩陣屋跡。かなり広いです。かつてはここに、陣屋、兵具庫、厩、倉、長屋などが建ち並んでいました。

まずは資料館で勉強して、そのあとに陣屋跡を歩いてみることにします。

入館料は300円です。

館内に入ると、まずはビデオを見せていただきます。この動画で、北海道に元陣屋が開かれた経緯を説明してもらいました。


【白老仙台藩陣屋の経緯と存在意義】
1856年(安政3年)、江戸幕府は、開国時におけるロシア勢力の南下に備え、仙台藩ほか東北地方の6藩に蝦夷地の警備を命じました。仙台藩の守備範囲は、白老から国後・択捉島までの広大な範囲に及び、白老の元陣屋は、各地に置かれた出張(でばり)陣屋の中核として機能しました。


陣屋の中に入っていくかのように設えられた門をくぐります。この先に、たくさんの資料が展示されています。

館内はいくつもの部屋に仕切られ、数多くの資料が整然と展示されていました。

【三好監物の白老視察】
白老を視察する三好監物です。幕府は当初、陣屋を現在の苫小牧に設置するように指示しましたが、監物は白老の方が最適であると報告します。これにより、白老元陣屋を中心とした蝦夷地警備が始まりました。

三好監物所用の甲冑です。

【北方の脅威強まる】
17世紀ごろから、ロシアは次第にアジアへ進出し始めました。カムチャッカを領有したあと、18世紀には、千島列島沿いに南下を始めました。これ以降、北方の脅威は次第に強まっていきます。

【蝦夷地へ向かう仙台藩士】
当時の仙台藩士がたどった道のりが、克明に記録されていました。

一行には、藩士や藩内各地から集められた下級武士に加え、医師や大工の姿もありました。派遣にあたっては、衣類や武具はもちろんのこと、お櫃などの生活用品に至るまで、すべて持って行ったそうです。出発に必要な費用は、派遣された各人が負担することになっていたので、支度金の工面に苦労する者も多くいたようです。

当初は、ほとんどの者が一年勤務の体制でした。仙台から青森までは陸路を使い、船で箱館に行き、そこかさらに陸路で白老まで行きました。白老までの移動日数は、順調にいけば20日程度でした。が、津軽海峡の渡海のために青森で船待ちをしたり、風雨による滞留などが重なると、2ヵ月を要することもありました。当時、仙台藩からの陣屋警衛に対する経費も切り詰められていたため、行程の間は、各人が自給自足を強いられる状況でした。

白老に到着した仙台藩士たちは、元陣屋の建設を開始しました。陣屋の建設には、仙台から同行した大工や人夫の他、白老場所請負人の野口屋又造手配の地元のアイヌも加わりました。そのかたわら、藩士たちは、鉄砲や大筒などの射撃訓練や完全武装による訓練などに励みました。

こうして、大規模な白老元陣屋が完成しました。約1年という極めて短い期間で造られた元陣屋でしたが、深い堀が掘られ、高い土塁が築かれたその中に、藩士が暮らす6棟の長屋を始め、蔵や厩(うまや)、6基の門などが建てられました。また、国元から塩釜神社や愛宕神社も分霊されて、小さな祠も祀られました。
このときの陣屋跡が、白老の町に今も残っています。写真の中央に写っている円型の広場のような部分が、陣屋跡です。

残念ながら屋敷類は残っていませんが、当時、築かれた円形の土塁の跡は、今もはっきりと見ることができます。


重機も何もない時代、故郷を遠く離れ、
北海道の原野で、厳しい寒さの中、
広大な陣屋を築いた人々を思うと、
胸にせまるものがあります。


「幕末維新を生きた防人たちの歴史」。
まさにそのとおりのドラマが、
ここ白老にありました。


この陣屋がその後、
どんな運命をたどったのか…。
それについては、次回にお話したいと思います。


(つづく)

コロナでもポロト湖。星野リゾート 界 ポロト スイートを無料で楽しむ 14 - 「Café RIMSE(カフェリムセ)」でお昼ごはん(2022年6月21日/5日め)

2022年6月21日 ウポポイの「Café RIMSE(カフェリムセ)」で。ペネイモぜんざいをいただきました。(北海道白老郡白老町)


6月21日(火)


「界 ポロト」の日記は終わってしまいましたが、
タイトルに「ポロト湖」とあるとおり、
この連載は、ポロト湖周辺の旅日記です。
なので、もう少しだけ、日記を続けます。



ホテルはチェックアウトしましたが、
もう少しだけ、駐車場をお借りして、
ウポポイをのぞいてみることにしました。


ウポポイは、入場料が1200円。
駐車場代は500円。
ちょっとだけのぞいていこうとしても、
ふたりで3000円は高すぎます。


でも、「界 ポロト」に泊まっている場合は、
ポロトの駐車場に車を停め、
直通の出入り口を通って、
ウポポイの入口まで歩いて行くことが
できるようになっています。
これなら、ウポポイの駐車場代もかかりません。^^


お隣りなので、数分歩くだけで、ウポポイの入り口に到着します。7か月ぶりに、また戻ってきました。^^

博物館の予約状況です。たくさんの人が訪れているようで、10時から15時まで、すべて空きがない状態でした。よかった。^^

いざないの回廊を歩いていきます。

7か月前、同じ回廊を歩いたときの日記はこちらです。(2021年11月7日)
コロナでもウポポイ3。札幌2週間ホテル暮らし 53 - ウポポイ①(いざないの回廊、ななかまどイレンカ、歓迎の広場)/ 5435(2021年11月7日/5日め) - MIYO'S WEBSITE - 全盲難聴のんたんの記録と卵巣ガン、そして旅日記。

歓迎の広場に来ました。PRキャラクターのトゥレッポんの後ろにあるのが、入場ゲートと国立アイヌ民族博物館です。

右端にあるのが入場ゲートです。ウポポイは、ここから先が有料です。言いかえれば、ここまでは無料なので、今日のお昼ごはんはここのレストランで食べて行こう、と決めていました。^^

前回来た時に食事したのは、この、焚火ダイニング・カフェ ハルランナ。上の写真の中央に写っているお店です。

そのときの日記です。

その隣りには、「ヒンナヒンナキッチン 炎」というフードコートがあります。ここでは、カレー、ラーメン、ハンバーグ、ザンギ定食などがいただけます。


どちらもおいしそうだったのですが、
なにしろ、朝9時から、
充実の朝食を完食しちゃったもので、
あまりお腹が空いてないんです。😂


「ほんの少しだけ
 食べられるようなところがいいね。」
ってことで、ここにしました。


同じ広場にある、「Café RIMSE(カフェリムセ)」。アイヌ伝統料理とスイーツのお店です。

アイヌ料理がたくさんありましたよ。^^


【Café RIMSE(カフェリムセ)】
ウポポイの前身「旧アイヌ民族博物館」の頃より、アイヌ料理を提供してきたお店です。博物館で働いていた職員の方からの直伝でつくるシンプルなアイヌ料理は、非常に人気がありました。
2021年に、ウポポイのオープンと共に、『Cafe RIMSE』としてスタートしました。現在は、登別温泉の温泉旅館を勤め上げた料理長が奮闘し、おいしいアイヌ料理を提供し続けています。

運営しているのは、社会福祉法人ホープ。「白老町手をつなぐ育成会」が母体となり、長く、障害者福祉に貢献してきた法人です。


入口を入ってすぐのところにカウンターがあります。ここでオーダーし、代金を支払います。

内装や家具には、北海道産のナラ材が使われているそうです。

壁には、アイヌ文様刺繍をつなげたパッチワークが飾られています。これは、「みんなの心つなげる『巨大パッチワーク』の会(白老町)」が制作したものだそうです。

メニューの中に、アイヌ料理がいくつもありました。セットメニューには、野草茶が付いています。(画像をお借りしました)
 チェプオハウ(白老産の鮭と野菜のオハウ)
 キナオハウ(厚揚げと野菜のオハウ)
 ユクカツカレー(白老産鹿肉のカツと道産野菜の素揚げ)
 白老育ちの牛と鹿チタタプ風肉団子スープ


どれも食べてみたかったのですが、
残念ながら、あまりお腹が空いてない…。😅
なので、少なめのをオーダーして、
ふたりではんぶんこすることにしました。


道産子野菜カレー。道産野菜の素揚げをトッピングしています。サラダ、漬物、野草茶付き。(800円)

ペネイモぜんざい。ペネイモのお団子がはいっています。(600円) MIYOが小さいころに母が作っていた、「かんころもち」に似ていました。


【ペネイモ】
ポッチェイモ(アイヌ語:potce-imo)とも言います。北海道、樺太などの北方地域に住むアイヌの間に伝わる、ジャガイモを用いた保存食です。アイヌの家庭で日常食として食されていたものであり、現在も作られ、食されています。ペネは、「ぐちゃぐちゃになる」という意味です。ポッチェイモ(potce-imo)は、釧路地方の言い方で、ポッチェは、「ぐちゃっとつぶれる」という意味です。
冬季、土地が根雪に覆われた後に、雪の中にジャガイモを埋めます。イモは雪の中で、凍ったり、融けたりを繰り返すうちに、発酵します。
春の雪融けのころに、雪とともに溶け出した発酵済みのイモの皮をむき、つぶし、水を張った桶等で何度も洗います。澱粉質が沈殿するので、これを漉して乾燥させ、この状態で保存します。食べるときは、保存したイモを水で戻し、練ったり搗いたりして成型し、焼いて食べます。
ジャガイモをくり返し凍結・解凍させた保存食としては、原産地である南米のチューニョがあります。日本でも一般に、「しみいも(凍み芋)」「ちぢみいも」「しばれいも」などが知られており、フリーズドライの原型とも言えます。が、ペネイモの場合、積極的に水分は抜かず、フリーズドライさせません。むしろそのまま発酵させ、水分を多く含んだ状態のものをあく抜きし、絞って水分を抜いてから乾燥させ保存するという点で、違いがあります。


カレーもペネイモも、とてもおいしかったです。^^

お土産物コーナーには、知里幸恵さんのユカラ絵本がありました。


【知里幸恵】
1903年(明治36年)、登別で生まれました。アイヌで初めてアイヌの物語を文字化した『アイヌ神謡集』の著者として知られています。13篇のカムイユカラ(神謡)が収められているこの著作のアイヌ語表記と対訳、及び序文は、現在でも高い評価を受けています。
幸恵が15歳の時に、言語学者の金田一京助が訪れます。アイヌの口承叙事詩“カムイユカラ”を「文字」にして後世に残そうという金田一からの要請を受け、1922年(大正11年)、幸恵は上京し、東京・本郷の金田一宅に身を寄せました。当時幸恵は重度の心臓病を患っていたのですが、翻訳・編集・推敲作業を続け、1922年(大正11年)9月18日に、『アイヌ神謡集』を完成させました。しかしその日の夜、心臓発作のために死去。19歳でした。
アイヌとしての民族意識と誇りを持ち、アイヌ語を伝えるという使命を果たした幸恵は、没後、その著書と、そこにこめられた精神によって、多くの人たちに感銘を与え続けています。


この日は、今回の旅行の最終日で、
東京に帰る日でした。
が、予約してあるのは、
18時30分発のANA 076。
17時ごろに新千歳空港に着けばいいので、
まだまだ時間があります。
(「最終日もめいっぱい観光したいので、
 夜の便を予約してね」と、
 いつも夫から言われております。😂😂)


なので、このあとも観光を続けます。
連載がなかなか終わりませんが、😅
あと少しだけ、おつきあいください。


(つづく)

コロナでもポロト湖。星野リゾート 界 ポロト スイートを無料で楽しむ 13 - チェックアウト(2022年6月21日/5日め)

2022年6月20日 「界 ポロト」で。(北海道白老郡白老町)


6月21日(火)


朝ごはんを完食して、お食事処を出ました。


トラベルライブラリーを通って、お部屋に戻ります。この写真はチェックインしたときに撮ったもので、このときは、くつろぐ人たちでにぎわっていました。

でも今は、もう10時を過ぎていたので、多くの方はチェックアウトされたあとのようです。ライブラリーには誰もいませんでした。

実は、ここのドリンクバーに置いてあるハーブティーをいただいていくのを、朝から楽しみにしていました。


ちなみに、左側に置いてあるお茶は、
ダージリン、スリープウェル、ローズヒップです。


スリープウェルのティーバッグ。いろんなハーブが入っていて、きれいですね。^^

そしてローズヒップの赤の美しいこと。このふたつは、お土産にいただいて帰りました(スミマセン)。😅

MIYOが楽しみにしていたのは、右側の、ジャルダンソバージュという、ルピシアのお茶です。

ティーバッグだと、10個パックが860円もする、高価なお茶です。


【ジャルダンソバージュ】(サイトより)
甘く熟れたマンゴーとシトラスの香りを、南アフリカ特産のグリーンルイボスにまとわせました。カフェインを含まないので、おやすみ前や、お子様にもおすすめです。


このお茶を前日にいただいたのですが、
むくみとり効果が(私には)抜群でした。
ミネラルが豊富なお茶であるそうなので、
おそらく、それがよかったのだと思います。
効果を実感できたので、今朝も、
これをいただくのを楽しみにしていたのです。
ところが…。


ありません…。ジャルダンソバージュの入ったジャーだけが、消えています。泣


楽しみにしていただけにショックで、
しばし呆然としていました。
でもあきらめきれず、
フロントで尋ねてしまいました。😅


「あの、ジャルダンソバージュは、
 もうないのでしょうか?」
「昨日の分はもう終わってしまって、
 今は、今日の分を煮出しているところです。」


終わっちゃったんですね…。
それなら、しかたありません。


MIYOがよほど残念そうにしていたのか、
フロントの方が、
「ですが、もうほぼできあがっているはずです。
 まだ少し薄めかもしれませんが、
 よろしかったら、お持ちいたしましょうか。」
と言ってくださいました。


いえ、そんな、お手間をかけてしまうので、
けっこうですよ。
…と答えたのですが、その方、
「すぐですから。」
と、そのまま行ってしまわれ、ほどなく、
ジャルダンソバージュの入ったコップを
二つ持って、戻ってこられました。


ふたつですよ…。ひとつでなくてふたつですよ。^^


客室に戻り、
作りたてのジャルダンソバージュを
ありがたく、ありがたく、いただきました。
(ありがとうございました。→係の方)


これが、
星野リゾートのおもてなしなんですね…。
やっぱりすごいです。^^


夫はと言えば、
ハーブティーなんぞには興味なく、
「オレ、もう一回風呂に行ってくるから。」
と…。🤣🤣
これで3回めの温泉ですよ。😂


とんがり湯小屋の「△湯(さんかくのゆ)」
には、前日と今朝の2回入ったので、
3回めは、
ドーム型の「〇湯(まるのゆ)」
に行ってみたそうです。


「〇湯(まるのゆ)」は、白老町の住民の方々も無料で利用できるのだそうです。このゲートは、白老町の方が利用するための出入り口で、利用券を持っている人だけが中に入れるようになっています。ちなみに、宿泊客は、客室から自由に出入りできます。

脱衣場です。

そしてこれが、ドーム型の「〇湯(まるのゆ)」です。「洞窟の中の温泉」をイメージしているそうです。

夫がお風呂に入っているあいだ、MIYOは部屋に残り、デスクで、撮りすぎた写真の整理をしていました。たくさんのアメニティに囲まれて、ご満悦です。笑

(おまけ)夫が部屋に置いてあった本。「いちいち不機嫌にならない生き方」だそうです。私の不機嫌の原因は、すべてあなたなんですけどね…。😔😔

窓の向こうには、とんがり湯小屋とウポポイの伝統的コタンの両方が見えました。

すぐ目の前には、体験学習館(ヤイハノッカラ チセ)。こんなに近くに見えます。そして奥にあるのが、体験交流ホール(ウエカリ チセ)です。

2021年11月に私たちが行ったときは、観客がほとんどいなくてガラガラでしたが、今では、入場を待つ人たちの長い列ができていました。よかった。^^

手前には大きなテントが設置されていて、中でくつろいでいる人たちも見えました。ウポポイが、7か月前よりもずっとにぎわっているようすがうかがえ、見ていてうれしくなりました。^^


さて、11時50分になりました。
チェックアウトです。
一泊二日の滞在でしたが、
ほんとうに楽しい二日間でした。


フロントでチェックアウトをしたところ、こんなプレゼントをいただきました。皮革調に装丁された、はがきサイズのアルバムです。

開くと中には、私たちの写真が…。


「ご主人様のお誕生日、おめでとうございます。」
と…。^^
夕食の時にパクさんが撮ってくださった写真で、
小さなアルバムを作ってくださっていました。


とんがり湯小屋と並んだ、私たちの写真。
界 ポロトのみなさんからの、
うれしいプレゼントでした。^^


35年前の私たち。バックパックでビルマを歩いたときは、27歳と29歳でした。(1987年5月3日)

62歳と65歳になった今は、こんな旅をしています。(2022年6月20日)


あの頃の旅は、ただ楽しかった。^^
けれど最近の旅は、もっと深くて、
胸に染みるような思いをすることが
多くなりました。
生きていれば、こんな幸せな瞬間もあるんだな、
と思えるような旅を、
これからも重ねていけたら、と思います。


美味しいものを食べる元気と、
行きたいところに歩ける体力があるのは、
あとどれくらいでしょうか。
案外短いのかもしれないし、
想像しているよりも長いかもしれません。
そんなことを考えていると、やはり、
今出かけなければ、と思ってしまうのです。


書きつくせない思いがたくさんあります。
書く時間がないまま、
ブログに残せていない旅もたくさんあり、
気になっています。
とにかく、忙しい。
定年後にすることがない、とか、
考えられません。(←アホな夫婦です。笑)


そんなことを言っているあいだに、
次の旅に出かける日が近づいてきました。😅


(つづく)

コロナでもポロト湖。星野リゾート 界 ポロト スイートを無料で楽しむ 12 - 「界 ポロト」で朝ごはん(2022年6月21日/5日め)

2022年6月21日 「界 ポロト」の朝ごはんです。(北海道白老郡白老町)


6月21日(火)


朝食は、朝9時からでした。
ほんとうは、もっと早い時間から
予約できるのですが、
私たちがうかうかしている間に、
どんどん予約が入ってしまい、
気がついたら、いちばん遅い9時しか
空いていませんでした。😅
まあ、どうせチェックアウトの12時まで
「界 ポロト」でゆっくりするつもりだったので、
遅い時間でも、別にいいんですけどね。^^


朝食は、前日に夕食をいただいたのと同じ、「お食事処」でいただきます。ポロト湖の自然をモチーフに作られていて、木の温もりが感じられる設えです。

入口を入ると、こんなふうに、折れ曲がった通路が続きます。通路を右に曲がると、レイクビューの広いエリアにでます。

そのエリアのいちばん奥にあるテーブルに案内されました。間仕切りでしきられた個室風のスペースです。4人用のテーブルですが、向かい合って、ではなく、横に並んだ席が用意されていました。なぜなら、こうして座ると…、

目の前にこんな景色が広がっているからなんです。^^

さて、朝ごはんです。どんなのが出てくるかと、楽しみです。^^

まずは、お鍋が火にかけられました。

じゃがいものすり流し鍋です。アイヌ文化の「オハウ」という鍋料理から着想を得た、「界 ポロト」のオリジナル料理だそうです。スープには豆乳や白味噌を加えて食べやすくしてあり、お野菜や自家製の鮭つみれがはいった、具だくさんの鍋です。

「おすすめの鍋の食べ方」もいただきました。普通の鍋料理としていただいたあと、バターを入れて味変を楽しみ、最後はごはんにかけるのもおすすめだそうです。

ウポポイで買ったオハウを自宅でいただいたときの日記はこちらです。
コロナでもウポポイ3。札幌2週間ホテル暮らし 61 - ウポポイ⑧(国立アイヌ民族博物館 - ミュージアムショップ)/ 台湾フェスティバル / コンビニで5%オフになるカード2(2021年11月7日/5日め) - MIYO'S WEBSITE - 全盲難聴のんたんの記録と卵巣ガン、そして旅日記。


お鍋が煮えてきました。「界 ポロト」の朝ごはんです。

小鉢 自家製豆腐 昆布醤油
   小松菜のお浸し

煮物 鶏とおからのつくね
冷めないように、茶碗蒸しの器に入れて、蓋つきで提供されました。

鍋 じゃがいものすり流し鍋
  彩り野菜 バター

焼き物 かすべの西京漬け
    たらこ


【かすべ】
北海道の方言で、魚の「えい」を表す言葉です。えいは、大きなヒレをたなびかせて泳ぐ平べったい体が特徴の軟骨魚類です。一年中とれる魚ですが、おもな漁獲時期は10月〜6月頃です。おもな産地は北海道ですが、南は九州まで幅広い地域に生息しています。


玉子料理 温度玉子
珍味   いくら醤油漬け
     がごめ昆布入り山わさび

食事 白米
   鮭節ふりかけ

おひつのごはんをお茶碗によそい、温度玉子と鮭節ふりかけをどんとかけていただきました。美味です!^^

じゃがいものすり流し鍋もいい感じです。具がわかりやすいよう、とりあえず、スープを少なめにしてみました。最後には、鍋にバターを入れて、違う味を楽しめます。

夫が撮るとこうなります。湯気がたって、おいしそうですよね。^^

そしてデザートは、自家製ヨーグルトをハスカップのソースで。充実の朝ごはんです。

おいしかったです。ごちそうさまでした。^^


どれもおいしくて、
ひとつも残さず、完食しました。😊


お腹いっぱいになってお食事処を出ると、
いろりの周りでは、
10時からの「ご当地楽」が始まっていました。
今日の講師は、前日と違う方のようです。
そして生徒さんは、全員が女性でした。^^


六角形に折るのはほんとにむずかしいのですが、みなさん、余裕の表情で楽しんでおられました。


チェックアウトまで、あと2時間。
せっかく来たのですから、
時間ぎりぎりまで、
「界 ポロト」を楽しむつもりです。


(つづく)