MIYO'S WEBSITE - 全盲難聴のんたんの記録と卵巣ガン、そして旅日記。

超未熟児で生まれた後遺症で、全盲難聴(盲ろう)となったのんたん、双子の妹あみちゃんと共に楽しく生きる家族のお話です。
子どもたちは24歳になり、毎日元気に楽しく暮らしています。
卵巣ガンになって思ったことも、少しずつ書き始めました。
ベトナム日記は、
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ベトナム家族旅行:
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小学生だったころの子どもたちの育児日記は、こちらです。
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定年でもベトナム。ハノイで始める、お仕事日記 107 - 国立歴史博物館(旧革命博物館)①(2019年10月12日/42日め)

2019年10月12日 国立歴史博物館で。1941年にサイゴンを進軍する、日本軍。


10月12日


土曜日です。
前日は、お仕事もせず、
一日中市内観光をさせていただいたのですが、
週末ということで、MIYOは今日もお休みです。


兄夫婦は、朝から日帰りで、
ハロン湾ツアーに出かけてしまいました。


以前、ハロン湾ツアーに行ったときの日記はこちらです。


兄夫婦がハノイに戻ってくるのは、夕方6時ごろなので、
その後、いっしょに、
ベトナムフレンチのディナーに行くことにしました。


それまではヒマなので、
今日も、ハノイ旧市街を歩きます。
「ハノイ市内って、もうほとんどの観光スポットに
 行ってしまったんじゃないの?」
と思われることでしょうが、
そんなことはありません。笑


ハノイって、本当に、宝石箱のような街です。
ネットで調べると、訪れてソンはないような場所が、
あとからあとから出てきます。
いつになったら全部行きつくせるか、
見当もつきません。


…ということで、この日は、
国立歴史博物館へ行くことにしました。
ハノイには歴史博物館がふたつあります。
ひとつめは、以前、「革命博物館」と言う名前だった施設。
そしてもうひとつは、そのお向かいにある、
(元祖)「国立歴史博物館」です。
ふたつの歴史博物館は、同じエリアに並んで建っています。


近くにあるとはいえ、同じ敷地ではありません。
通りをはさんで、向かい合うようなかたちで、
二つの博物館が建てられているのです。


入場チケットは40000ドン(約200円)。
ふたつの博物館のチケットがセットになっていて、
どちらか一方にしか行かない場合でも、
半額にはなりません(苦笑)。
この日はとりあえず、旧革命博物館の方に行ってきました。


「歴史博物館に行くなら、2番のバスの方が近いですよ。」
と、ローさんが教えてくれたので、
自宅近くの停留所から、2番のバスに乗りました。
うっかり、バスを降りる場所を教えてもらうのを
忘れてでかけてしまったのですが、
「まあ、どうにかなるだろう。」
と。笑


バスに乗って約一時間後、バスが旧市街に入ってからは、
地図とにらめっこしながら、通りの名前を照らし合わせて。笑
どうにか、近くの停留所で降りることができました。


バスを降りて、地図を見ながら、博物館の方向へと歩きました。

オペラハウスです。美しいフォルムです。

オペラハウスの前の公園にある、ツーリストインフォメーション。ここで、市内観光バスのチケットを買うことができます。

ハノイ市内でよく見かける、ダブルデッカーの観光バスです。30分ごとに出発していて、各観光スポットで、自由に乗り降りできます。4時間チケットが219000ドン(約1100円)。ほかに、24時間、48時間もあります。

これが、そのダブルデッカーです。オペラハウスの前が、バス乗り場になっています。

こちらは赤い色のダブルデッカー。後ろに見える豪華な建物は、ヒルトンホテルです。

オペラハウスを通り過ぎてさらに10分ほど歩いて、「革命博物館」に到着しました。でも、あいにく、お昼休みで、午後の部が始まるまで一時間もあります。その上、こちらは裏口(苦笑)。

散歩がてら、周囲をぐるぐると歩いて、正門にたどり着きました。ちなみに、この門の左右に、一軒ずつ、日本料理屋があります。

門を入って、目の前の建物まで歩きました。この建物の中に、チケット売り場があります。

国立歴史博物館のチケット。一枚を使用したあとで、もう一枚が残っている状態です。

まずは、2階に上がるようにと言われました。階段を上がると、長い廊下があり、廊下に沿って、いくつもの展示室が並んでいます。これを全部見ると、かなりの時間がかかります。ときどき、廊下のソファーで休憩しながら、ゆっくりと見てまわりました。

まずは、ベトナム王朝のころの物品や写真から始まります。同じ部屋に、ロンビエン橋の写真がありました。ベトナムに着いたばかりの頃に、はじめに行った場所です。写真には、1902年とあります。なんと、100年以上前に作られた橋なんですね。あちこちボロボロだったはずです(苦笑)。


この博物館には、膨大な量の写真や物品が展示されているのですが、
とうてい掲載しきれないので、
ほんの少しだけですが、
MIYOが特に心に残ったものをご紹介します。


「1941年8月3日、サイゴンを進軍する日本ファシスト軍隊。」とあります。あいたー、旭日旗を先頭に捧げ持ってる。こんなの韓国に見られたら、鬼の首でもとったように意地悪言われるんだろうなあ…(苦笑)。

「1940年9月、ランソンに移動する日本ファシスト軍隊。」とあります。ただの「日本軍」ではなく、どうしても、fascist とつけたいみたいです。

そして、日本軍は撤退しますが、その後まもなく、長い長いインドシナ戦争が始まります。

子どもたちで構成された、ゲリラ軍。手前の女の子は、小学校低学年のように見えます。

1948年、敵の戦闘機を撃ち落としたゲリラ軍(ニンビン省)。30年以上前に、「ベトナム人はライフルで敵機を撃ち落とす」と本で読んだことがありましたが、この写真を見て、本当のことであったのがわかりました。

一時間以上をかけて2階の展示室をすべて見た後、次は1階に移動しました。


(つづく)

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