定年でもベトナム。ハノイで始める、お仕事日記 108 - 国立歴史博物館(旧革命博物館)②(2019年10月12日/42日め)
2019年10月12日 ベトナム料理の有名店、「ニャー・ハン・ゴン」で。
10月12日
前回に続き、旧革命博物館をご紹介しています。
2階が終わり、1階に降りてみました。
ここにも、膨大な量の写真や武器などが展示してあります。
そのごく一部ですが、以下にご紹介します。
見学者が少ないので、どの部屋もゆっくりと見ることができます。日本人でここに来る人は少ないようで、この日、日本人の見学者は私だけでした。
1945年10月11日、フランス軍と戦うため、ハノイ駅から南ベトナムへと出発するベトナム軍。
1955年10月15日、ハイフォン。フランスの最後の部隊が、ベトナムから撤退します。ワンちゃん(たぶん軍用犬?)もいっしょに連れて帰ったんですね。^^
韓国軍が、米軍の傭兵としてベトナム戦争に参加。1965年8月13日に、10000人以上の兵士が、南ベトナムに上陸しました。
ベトナム戦争に参加した韓国人兵士の数は、
韓国軍が撤退する1973年3月までに、
延べ32万5517人になり、
米国に次ぐ大量派兵となりました。
このベトナム戦争時に、韓国軍は、
ベトナムの民間人の大虐殺と暴行を行っています。
その結果生まれた、韓国人の血をひく子どもは、
3万人以上とも言われています。
ライダイハンとして有名な事件ですが、
韓国政府は、ベトナムの人々に、
いまだになんの補償もしていません。
多くの韓国人は、このことを無視しながら、
日本に対して、慰安婦補償を要求し続けています。
最前線で戦う女性兵士。
1975年3月26日、フエが解放されました。
1975年3月29日、解放軍が攻撃し、ダナンを掌握しました。
そして…。
1975年4月30日、
ベトナムは、解放の日を迎えます。
解放を祝い、アオザイで行進する人々。この写真は、額に入れられることなく、大きく引き伸ばして、壁一面に貼ってありました。
ただただ、すごい、としかことばがありません。
フランス植民地時代に始まり、
日本軍が去ったあとは、フランスと、
そして、米軍や韓国軍と。
何十年も戦い続けた、ベトナムの人々。
そもそも、あのアメリカと戦って、
勝ってしまった国、なのです。
こんな国、他にありませんよね。
子どもたちも、女性も、
みんながいっしょになって闘い、
自分たちの国を取り戻したベトナムの人々には、
心から敬服します。
解放の日に行進する人々の写真を、
大きく引き伸ばして、
壁一面に貼った人々の、
喜びと誇りが伝わってくるようです。
見学者がほとんどいない博物館の片隅で、
私も、しばらく立ちつくして、
この壁を見つめ続けました。
それから、反対側の壁に向かって、
めいっぱい移動しました。
この、大きな写真を、私もカメラに収めたくて。
1階の端のスペースに置いてあった、ギロチン台。同じものを、ホアロー収容所でも見ました。レジスタンスのベトナム人が数多く処刑されたそうです。フランス人は、いったい何台のギロチン台を、ベトナムに持ってきたのでしょうか。
革命博物館の展示は、まだまだ続くのですが、
このあとは、「昔の電気製品」とか、
「諸外国からプレゼントされたもの」とか、
わけのわからない(苦笑)ものが続くので、
割愛いたします。
革命博物館を出て、オペラハウスまで歩きました。観光客を乗せた20台近くのシクロが、連なって通り過ぎて行きました。(MIYOは、このシクロ行列を見るのが大好きです。^^)
オペラハウスの前だからでしょうか。たくさんの女性が、アオザイでオシャレして歩いていました。
そのすぐそばにある、「パブロ」。日本のチーズタルトのお店です。
兄夫婦が戻ってくるまでには、
まだ2時間ほどあったので、
あてもなく、そのへんを歩いてみることにしました。
まずは、このあとに兄夫婦と食事する予定になっているお店に、
下見がてら、寄ってみました。
ハノイによくある、普通の通り。両側に樹木が生い茂る、ハノイのこんな街並みが大好きなので、ただ歩いているだけで幸せな気分になります(アホです。笑)。
この日の夜に兄夫婦と食事する予定のお店です。ベトナムフレンチの有名店、「Maison Vie」。
つづいて、翌日の夜に、兄夫婦と食事する予定のお店をチェック。ベトナム料理のお店、「ニャー・ハン・ゴン」。こちらも、とても評判のいいお店です。
ね? いい感じのお店でしょう?^^
このあとも、街歩きが続きます。
ホアンキエム湖の南西側のエリアには、
まだ行ったことがないので、
そのあたりをめざしてみます。
(つづく)