MIYO'S WEBSITE - 全盲難聴のんたんの記録と卵巣ガン、そして旅日記。

超未熟児で生まれた後遺症で、全盲難聴(盲ろう)となったのんたん、双子の妹あみちゃんと共に楽しく生きる家族のお話です。
子どもたちは24歳になり、毎日元気に楽しく暮らしています。
卵巣ガンになって思ったことも、少しずつ書き始めました。
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骨折でも台湾。家族で食べ歩いた、4泊7日のおトク旅 32 - ツォウ族・セデック族の住居(2019年1月3日/4日め)

2019年1月3日 九族文化村・ツォウ族の村で。(全盲難聴・のんたん 23歳)


1月3日


パイワン族、タオ族、ルカイ族・ブユマ族・・・
と、各民族のエリアを訪ねてきました。
次は、ツォウ族エリアです。


ツォウ族(鄒族) 


大きなフクロウの置物が見えたら、
その先が、ツォウ族のエリアです。


フクロウは、ツォウ族の守り神となっています。
「フクロウがうちへ飛んできたら、
 もうすぐ懐妊しますよという合図」
という言い伝えがあり、
そこから転じて、
「フクロウ=新しい命を宿す=おめでたいことが来る」
と考えられているのだそうです。


ツォウ族の村の手前にある、フクロウたちです。

奥に、「鄒族」(ツォウ族)と書いた石碑が見えます。

家の中に入りました。いくつかの、小部屋があります。

生活に必要な様々の道具を、「置く」のではなく、「吊す」という考え方。


セデック族(賽徳克族)


霧社事件を起こした民族として知られています。
霧社事件h、日本統治時代後期における、
最大規模の抗日蜂起事件です。
このときの事件を描いた台湾映画・「セデック・バレ」が、
2011年に公開されています。


このエリアの家屋は、その「セデック・バレ」を
彷彿とさせるような造りになっているそうです。
たしか TSUTAYA にあったと思うので、
その映画を観てみたいと思っています。



「九族文化村」のなりたち


九族文化村が作られたのは、1980年代後半のことです。
当時の原住民は、9民族に分けられていたため、
この名前が付けられました。


その後、2001年10月に、サオ族が10番目の台湾原住民族として、
そして、2002年12月に、クバラン族が11番目として、
認定されました。
2004年1月には、約10万人いるタイヤル族のうち、
花蓮県を中心に居住するタロコ族が公認されます。
2007年1月、アミ族に入っていたサキザヤ族が、
独立した民族と認められます。
そして2008年4月には、
セデック族が独立した民族と認定されることに。
更に2014年、ツォウ族(南鄒)に含まれていた、
カナカナブ族、サアロア族が独立した民族となりました。


その結果、2019年現在、
「台湾の原住民族」は、以下の16民族となっています。
 アミ族(阿美族) 
 パイワン族(排湾族) 
 タイヤル族(泰雅族) 
 タロコ族(太魯閣族) 
 ブヌン族(布農族) 
 プユマ族(卑南族) 
 ルカイ族(魯凱族) 
 ツォウ族(鄒族) 
 サイシャット族(賽夏族) 
 タオ族(達悟族、雅美族〈ヤミ族〉) 
 クバラン族(噶瑪蘭族)(カヴァラン族) 
 サオ族(邵族) 
 サキザヤ族(撒奇莱雅族) 
 セデック族(賽徳克族) 
 カナカナブ族(卡那卡那富族) 
 サアロア族(拉阿魯哇族)


台湾原住民の人口は、約556,000人です。
最も多いのがアミ族(約21万人)で、
パイワン族(約10万人)、タイヤル族(約9万人)と続きます。
一番少ないのは、カナカナブ族(300人強)です。


各部族によって、住居形式はもちろんのこと、
言語・文化・習俗が異なります。


アミ族の女性。(画像をお借りしました)

文化村内にある、「原住民族文化館」。


台湾の原住民族については、
30年以上前に読んだ本の中に、
忘れられない一節がありました。


それによると・・・。
もともと、多数の民族が暮らしていた台湾では、
民族ごとに言語が異なり、
民族間での意思疎通が難しかったのだそうです。


1895年、日清戦争の結果として、
台湾は日本領となります。
そして、日本政府が造った学校で、
日本語による教育が行われました。


原住民族の子どもたちが、学校に行き、
日本語を話すようになり、
その結果、台湾内でのすべての民族の間に、
初めて、「共通のことば(=日本語)」ができ、
民族間での会話ができるようになったのだそうです。


だからといって、日本統治がよかったとか、
そんなことを言うつもりはありません。
けれど、それまで孤立していた多くの民族が、
「初めて、共通のことばを持った」ということ・・・。


それは、原住民族の方々にとって、
たいせつな一歩だったのではないかな、と。


台湾も韓国も、同じように、日本が統治したのですが、
台湾は今でも、日本を親しみのある国として尊重し、
韓国は、大統領が、「この恨みは1000年消えない」と、
国民に訴えます。


ふたつの国が、こんなにも違っていることを、
いつも不思議に思っていましたが、
最近は、なんとなく、
その理由がわかってきたような気がしています・・・。


さて。
あまりにも広い、九族文化村。
まだまだ、行ってないところがたくさんあるのですが、
帰りの新幹線の時間がせまってきました。


来たときと同じように、
「早く、早く」
と夫にせかされながら、出口へと急ぎました。


正門に近づいてくると、「観楽世界」という遊園地。
さらに行くと、「アラジン劇場」という室内遊園地が。
九族文化村とのコントラストが、笑えます。^^


歓楽世界

アラジン劇場

「桜祭り」の太鼓と提灯。桜は、統治時代に日本が広めたものですが、台湾の人々も、桜が大好きです。九族文化村は、台湾人にとって桜を鑑賞する景勝地となっていて、桜の季節には、「九族桜祭り」を開催しているそうです。

正門前のホールで、輪になって踊っていた学生さんたち。

みんなで記念写真を撮っていました。

鮮やかな色の花をながめながら、バス停へと急ぎます。

Orange trumpet vine という花です。

バス乗り場に到着。どうにか、バスの時間に間に合いました。^^


「バスの時間に間に合いました。」
のはずだったのですが・・・。


なぜか、待っても、待っても、
バスが来ません。


不安です。


(つづく)

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