もうひとつの、スピリチュアル体験 – ひまわり施療院 ⑨
2006年10月14日 運動会で。お弁当の時間。(全盲難聴・のんたん 11歳)
往く年と共に
のぞみの手術も無事に終わり、12月上旬、退院の運びとなった。
それまではあたりまえのことのように思っていた、保育所と自宅、会社の往復の日々が、また始まった。そのあたりまえの繰り返しが、なによりも幸せなことに思えた。たとえ何が起ころうと、私がのぞみを受けとめるのだと決めてから、のぞみは私にとってこれまで以上にいとおしい存在になっていた。
穏やかな生活の中でも、日々は流れるように過ぎていき、その年もおしつまった、大晦日になった。私には、新しい年を迎える前に、どうしてもしておきたいことがあった。
それは、田中先生へのお見舞いだった。田中先生の方から病気や病院についてなにも話されないのは、話したくない事情があったのだろうし、今は退院されているのかどうかもわからない。けれども、病の床にある先生に、私はのぞみの手術についての手紙を出してしまったのだ。先生にご心配をおかけした以上、のぞみが無事に退院したことも報告しなければならないと、私は思っていた。
大晦日の夜、私たち一家は、ささやかなお見舞いの品を持って、ひまわり施療院の門をくぐった。最後にお目にかかったあの夏の日から5ヶ月もたっていることが、うそのようだった。
たとえ先生がまだ入院中であっても、のぞみのことだけでもお伝えできればいいと思っていたのだが、玄関で来意を告げると、応対されたご主人は、
「退院してるんですよ。今呼んできます。」
と、私たちが止めるのもかまわず二階に上がってしまわれた。
おそらく田中先生は、わざわざ服を着替えられたのではないだろうか。私たちはしばらく玄関で待たされた。その広い玄関のすみには、車いすが置いてあった。先生が使っておられるのだろうか。やがて、支度を終えて二階からゆっくりとした足取りで降りてこられた先生は、驚くほどに痩せて、小さくなっていた。
私は、先生に近況を手短かに報告して失礼しようとした。けれども先生は、私が抱いていたのぞみを受け取り、玄関に腰をおろした姿勢でのぞみを抱いたまま、動こうとはしなかった。
こんなからだなのに、先生はのぞみに気を送ろうとしているのだ、と私は気がついた。
「先生、もうけっこうです。もう、十分です。」
私はそう言ってのぞみを受け取ろうとしたが、先生はやめようとはしなかった。そして、
「おかげさまで、もうずいぶんいいのよ。近所なら買い物にも行けるようになったんだから。」
と笑顔を見せてくれた。
あまり長居をしては、先生がお疲れになるだろうからと、私たちは早々に施療院をあとにした。
門の外に出てから、私はもういちど振り返り、かつては「ひまわり施療院」と小さな札がかけられていた玄関を見つめた。二年近くにわたって、毎週のように、ときには数日おきに、ここに通い続けたのだ。それが、何年も前のことのように思えた。
(つづく)