盲学校の育児教室で話しました - 聴覚視覚障害児を育てるおかあさんへ ①
2006年10月14日 おもちゃに耳をくっつけて、音を聞いています。(全盲難聴・のんたん 11歳)
11月29日
かつて長男が通学していたK盲学校からお声をかけていただき、
幼稚部の育児教室で、「先輩おかあさんの体験談」をお話してきました。
長男は、この学校の小学部と中学部でお世話になりましたが、
卒業して、もう10年になります。
駅から学校まで続く、なつかしい道を歩きながら、
幼い長男の手をひいて、いっしょに歩いた日々が思い出されました。
今回お声をかけてくださったのは、
長男が小学二年生のときの担任をしていただいた、M先生。
テーマは、
「視覚および聴覚に障害のあるお子さんを育てている
先輩保護者の体験談より、育児を考える」
というものです。
20年以上も前の長男を思い出しながら、
お話させていただきました。
原稿が残っておりますので、ここに、掲載いたします。
(長いので、連載にします。)
まずは自己紹介をかねて、私の家族構成を申し上げます。
私、夫、長男(22歳・S園)、長女(22歳・大学4年)の4人家族です。
私も夫も、普通の会社員です。
長男は、超未熟児の双子として生まれ、未熟児網膜症を発症し、全盲になりました。その後、難聴であることがわかりました。つまり、全盲・難聴の盲ろう児です。盲学校高等部を卒業後、社会福祉法人S園に入所して、4年になります。現在は、経済的にも自立しています。
長女は、生まれたときは慢性肺疾患で、病弱でしたが、現在は健康です。就職も内定し、来春から社会人となります。
私は、子ども達が1歳になった日から職場復帰し、以来ずっと、ボランティアさんやヘルパーさんに助けられながら子育てし、現在も、仕事を続けています。
どんな子育てをしてきたか。
私たちの子育てをひとことで言うと、「周りの人を巻き込んだ育児だった」ということになると思います。
そのことについて、お話していきます。
私が仕事をしていたので、長男は、はじめは、保育園でお世話になり、小学校入学からは、学童保育にお世話になり、毎日の送り迎えや放課後活動のすべてを、ボランティアさんに助けられてきました。私も夫も、両親が地方に住んでいて頼りにできなかったのですが、「遠くの親戚より近くの他人」ということばそのままに、多くの方々に助けられた育児でした。
学校に通った12年間で、のべ、数千人ものボランティアさんにお世話になってきたと思います。
仕事との両立はたいへんでしたが、いらしてくださる方々がいい方ばかりだったので、子ども達にとっては、良い、育ちの環境を作ってあげられたのではないかと思っています。
ですから、私たちの経験をもとに、ひとつだけ言えるとしたら、
「子育ては、自分ひとりでがんばらない。できるだけたくさんの人を巻き込んで育てる。」
ということかな、と思います。
たくさんの方々を巻き込んだことで、どんないい点があったかというと、
子どもが、親だけに頼ることなく、人見知りをしない子どもになりました。
また、他者に信頼をよせる、おおらかな子どもになりました。
…のように、思います。
学校を卒業し、S園に入所してからも、多くのボランティアさんとのおつきあいを続けていただいています。
長男がお世話になったヘルパーさんと長女は、今でも、年に数回会って、いっしょに食事をしております。
長男は、月に数回、S園から外出して、都内のウクレレ教室に通っているのですが、その送り迎えは、いまでも、ボランティアさんがかけつけてくださっています。小学一年生の頃から、16年のおつきあいになる方もいます。
私たち両親以外に、長男のことを知っている人がたくさんいて、みんなが、長男の成長をいっしょになって喜んでくれたおかげで、私は孤独な育児をしなくてすんだように思います。また、たくさんの方に触れ合いながら育つということは、のぞみにとっても、とてもよいことであったと思っています。
現在の我が家は、もう子育ても終わり、日々、のんきに楽しく過ごしております。が、当時、働きながら、家事も育児も、そのうえ療育も、というのは、やはりたいへんなことの連続でした。
それをどんなふうに乗り切ってきたか、お話したいと思うことは、たくさん、たくさんあるのですが、その中で、今回、「お話してください。」と、テーマとしていただいているのは、
自立に向けて大切にすべきこと(しつけ、身辺自立、学習)
ですので、今日はこれを軸にして、お話していこうと思います。
(つづく)