MIYO'S WEBSITE - 全盲難聴のんたんの記録と卵巣ガン、そして旅日記。

超未熟児で生まれた後遺症で、全盲難聴(盲ろう)となったのんたん、双子の妹あみちゃんと共に楽しく生きる家族のお話です。
子どもたちは24歳になり、毎日元気に楽しく暮らしています。
卵巣ガンになって思ったことも、少しずつ書き始めました。
ベトナム日記は、
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をご覧ください。
ベトナム家族旅行:
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小学生だったころの子どもたちの育児日記は、こちらです。
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埃まみれのビルマ。バックパッカーの10日間 20 - ダマヤンジー寺院(1987年5月5日/5日め)

1987年5月5日 ダマヤンジー寺院の階段を、せっせと登りました。(ビルマ・パガン)


1987年5月5日(月)- 5日め


ようやく、パガンで訪れた、
最後の寺院のお話になります。
コレがですね…。
もう泣きました。
寺院の名前が、わからないのです。😅


これまでに掲載した寺院は、
たいてい、全体を撮った写真があるので、
それを手がかりにすれば、
名前を調べることができました。


ところが、最後に訪れた寺院は、
なぜか、全体の写真がありません。
寺院内部の写真だけしかないので、
そういう写真を基にグーグルで検索しても、
ヒットするのは、
インドネシアとかカンボジアの寺院ばかり。


困り果てたときに、ふと目についた、この写真。小さな名もないパゴダです。(いえ、調べればきっと、名前はあると思いますが。)


「これはなに?」
と夫に尋ねると、
「この寺院の上に登ったときに、
 下に見えたのを撮ったんだと思うよ。」
と…。


この小さなパゴダに、見覚えがあります。


これです。スラマニ寺院に向かっているときに、馬車の上から夫が撮った写真。左側のパゴダをご覧ください。上の写真のパゴダとそっくりではありませんか。笑


2枚の写真に写っているのは、
同じパゴダだと思われます。
そして、そのすぐ近くに写っているのは、
ダマヤンジー寺院!


これでようやくわかりました。
最後に訪れたのは、
ダマヤンジー寺院だったのです。😂


ちゃんとメモでも、
とっておけばよかったのですが、
あの頃は、次々と現れる寺院を、
受け止めるだけでせいいっぱいでした。
夫が作ったアルバムでも、
寺院名が付記されているのはほんのわずかで、
ほとんどは、寺院名が書いてありません。笑


MIYOの頭の中に残っていた記憶でも、
「寺院を見た。パゴダを見た。
 ほんとうにたくさん見た。」
って、まあそんな感じでしたね。😅
寺院の名前なんて、
ひとつも覚えていませんでした。


このブログを書くにあたって、
ひとつひとつのスポットの写真を頼りに、
「私たちは、いったいどこに行ったのか?」
をまず調べるという、
笑い話のような毎日でした。😅
その苦労も、これでようやく終わります。
(たぶん)


…ということで、今回は、
パガンで最後に訪れた寺院、
ダマヤンジー寺院の日記です。


旅行中はいつも、写真を撮りまくる夫ですが、
「どうしてこの寺院にかぎって、
 全体の写真を撮っていなかったのか?」
というと、たぶん、
「これまでにその前を何度も通って、
 そのたびに写真を撮っていたから。」
だと思います。


たしかに、ダマヤンジー寺院は、
これまでにも2回見ていて、
その都度、この日記にも登場しています。
ここでまとめておきます。


次の写真3枚は、以下の日記で掲載しました。
埃まみれのビルマ。バックパッカーの10日間 11 - マヌーハ寺院、シュエサンドー・パゴダ、ダマヤンジー寺院(1987年5月4日/4日め)

シュエサンド-パゴダの上から見た、ダマヤンジー寺院です。

現在のダマヤンジー寺院です。37年間で木がずいぶん生い茂っていて、その間からニョキニョキと、たくさんのパゴダが顔を出しています。(画像をお借りしました)

この寺院は、未完成のままで残されています。(画像をお借りしました)


【ダマヤンジー寺院(Dhammayan Gyi Temple)】
基壇一辺の長さが約78メートル。ピラミッドのような均整のとれたフォルムが美しい、バガンの中で最大規模の寺院です。1170年、「もっとも変わった姿で、もっとも精密な細工を施した寺院を」と望んだ、パガン王朝第5代ナラトゥー王(Narathu)の命によって建設が始められました。しかしナラトゥー王は在位わずか4年目で何者かに暗殺されてしまい、工事は中断。その後、建造を再開する人物は現れず、寺院は今も未完のままで残っています。


次の写真2枚は、以下の日記で掲載しました。

埃まみれのビルマ。バックパッカーの10日間 18 - ドラッグストア、ティーローミィンロー寺院、タビニュ寺院、ダマヤンジー寺院、そしてスラマニ寺院①へ(1987年5月5日/5日め)

スラマニ寺院に行く途中で見た、ダマヤンジー寺院です。

当時、夫が買った絵葉書です。この頃は、門のまわりは草だらけで、正面玄関の下の方は、土で埋もれています。「未完成の寺院」として放置されていて、あまり整備されていなかったようです。


二度にわたってその姿を見ながら、

そのたびに素通りしていた、

ダマヤンジー寺院。

今ようやく、その中に入ります。笑


まず初めに目に入ったのは、

2体の仏像でした。


「ふたつ並んで、双子みたいだ。

 おもしろいから前に立って。」

と、夫は喜び、写真を撮りました。


モンモンさんといっしょに撮りました。^^

現在の同じ場所です。ここは、今では撮影スポットになっていて、写真を撮りたい人たちが列を作って順番を待っているところなのだそうです。


仏像は普通、1体だけで置かれていますが、

ここでは2体が並んでいます。

それが珍しくて、人気となっているようです。


けれど、2体並んでいるのには、

実は言い伝えがあります。

この寺院の建設を命じたナラトゥー王は、

自分が王位に就くために、

実の父と兄を毒殺してしまったのだとか。

即位後は、そのことで生涯苦しんだそうで、

「父と兄を供養するために、

 2体の仏像を並べた。」

…と言われています。


「自分の父と兄を殺した王」が亡くなった時、

そんな彼が作ろうとしていた寺院の建設を

引き継ごうとする人はいなかったようです。

それが、ダマヤンジー寺院が未完成のままで

放置されつづけた理由だそうです。


「因縁のある寺院」

「夜になったら幽霊が出る寺院」

として、現在でも、

地元の人々には恐れられているのだとか…。


そんなこととはつゆ知らず、夕暮れの寺院内を歩くMIYO。笑 ここから階段で、上に上がることができます。

一階部分の屋根の上のようなところに出ました。

さらに上層へ行こうとしていたとき、上の方から、地元の女の子がやってきました。

中学生くらいでしょうか。なぜか仲良くなってしまって、このあとは、彼女といっしょに寺院を歩きました。


外国の遺跡に行くと、

そこに地元の子どもたちがいるのは、

そう珍しいことではありません。

でもMIYOは、彼らに話しかけられるのが、

あまり好きではありません。

最後に必ず、

「ガイド料をちょうだい。」

と言われるからです。


たいした金額ではないのですが、

そういうことをあたりまえと思って、

子どもが育つというのは、どうなんだろう。

…と思うのです。

だから外国で、

子どもにお金をあげたことはありません。


ビルマを旅行中も、

あちこちで子どもたちに会いました。

この前日にも、ティーローミィンロー寺院で、

ふたりの男の子といっしょに、

寺院内を歩いています。


けれどこの国では、だれも、

お金をせがんだりはしませんでした。

もちろん、このときの女の子も。

ただ笑顔で、MIYOといっしょに、

階段を上がってくれました。


観光ずれしていないということなのか。

それとも、ビルマがそういう国なのか。

よくわからないけれど、

ビルマの人々とのかかわりは、いろんな面で、

これまでに歩いたどんな国とも、

違っていたように思います。


やっぱり、

「天国にいちばん近い国」

だったなあ…。


ふたりで元気に、階段を上がりました。🤣

最上層まで、あともう少し。どこに行っても階段で、ほんと、遺跡めぐりは体力勝負です。🤣

最上層です。パゴダが並んでいるのが見えます。

今、こうして写真を見返してみても、胸がしめつけられるような気がします。

「気持ちがいいね!^^」


居並ぶパゴダもすばらしかったけど、

それと同じくらい心に残っているのは、

女の子が見せてくれた笑顔でした。


下を見下ろすと、入ってきた門と1階の屋根にあたる部分が見えました。裏門の前は畑のようで、きちんと耕され、畝ができていました。850年以上前に造られた寺院遺跡の隣りが畑というのも、なんかのどかでいいなあ…。笑

MIYOは覚えていないのですが、「そうそう。オレたちが乗った馬車も、畑の隣りにとめたよな…。」と、夫も言っていました。たしかに、尖塔の向こうに見えているのは畑ですね。😄

これは反対側の門です。

地上まで降りてきたら、他の子どもたちもやってきたので、みんなでいっしょに記念撮影。タナッカーが似ているので、姉妹だったのかも。^^


こうして、パガンの寺院めぐりが終わりました。


本日訪れたところです。
 マニシトゥ・マーケット
 ティーローミィンロー寺院
 モンモンさんの家
 シュエズィーゴン・パゴダ
 チャンジッタ ウミン洞窟僧院
 ウパリテイン
 シュエナンインタウ僧院群

 漆器屋さん(場所不明)

 スラマニ寺院

 ダマヤンジー寺院


いまここ。😄


ここまで、10回にわたって、

パガン寺院めぐり日記を書いてきました。

2日間で訪れた寺院は、14個。

ひとつひとつの寺院に訪れては、

内部を歩き、最上層まで登って、と、

その運動量たるや、さぞかしだったと思います。

ほんと、遺跡めぐりは体力勝負です。😄


それにしても楽しかったなぁ…、

とのんきに思い出していたら、

今日になって、驚くべきことを知りました。

なんと、

現在のパガンには、上に登れるパゴダはない。

…のだそうです。


私たちが行った1987年には、

どこでも自由に入り、登ることができたのですが、

それが現在では、原則として禁止されているそうです。


2016年のミャンマー地震によって、

パゴダが損傷したこと。

観光客の増加に伴い、

転落事故が年々増加し続けてきたこと。

…などが原因のようです。


2016年に、地震で被災したときのパガン。舞い上がる粉塵で、パゴダがかすんだそうです。(画像をお借りしました)

つまり、こんなアホなことは、今ではもうできないわけです。たしかに、手すりとかもなくて、ちょっとコワいな、とは思いましたが。😅(1987年5月4日 シュエサンド-・パゴダ)


その代わりに、ということでしょうか。

現在は、
パガン・ビューイングタワー
なるものが建設されています。


パガン・ビューイングタワーです。(画像をお借りしました)


【パガン・ビューイングタワー】
パゴダや寺院が林立する広大な平原を見晴らすことができる、高さ約60mの展望台です。360度の視界が広がり、天候が良ければ、イラワジ川や遠くポッパ山まで見通せます。タワー内には土産物店や展望レストランも備わっています。(入場料が必要です。)


あのパガンに、展望タワーですか…。😮
なんだか、隔世の感があります。


さて。
マンダレーに続き、パガンでも、
怒涛のように駆け抜けた2日間でした。
パガンの日記は、次回が最終回になります。


当初から、
「せめてパガンまでの、
 5日分だけでも書いてみよう。」
と思って書き始めたので、
20回の連載で、ほぼ、目標は達成できました。
ここでビルマ日記を終えるか、
それともまだ、旅の続きを書いていくかは、
まだ決めかねています…。😅


(つづく)

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