MIYO'S WEBSITE - 全盲難聴のんたんの記録と卵巣ガン、そして旅日記。

超未熟児で生まれた後遺症で、全盲難聴(盲ろう)となったのんたん、双子の妹あみちゃんと共に楽しく生きる家族のお話です。
子どもたちは24歳になり、毎日元気に楽しく暮らしています。
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4年ぶりのベトナム。北部から中部へと歩いた18日間 93 - ミンマン帝陵③ 顕徳門、タ・トゥン・トゥとフー・トゥン・トゥ(2023年6月20日/7日め)

2023年6月20日 ミンマン帝陵・碑亭で。


6月20日(月)


ミンマン帝陵に来ています。


次のスポットである顕徳門は、碑亭の反対側なのですが、あまりにも遠いところにありました。床面は3つのステージに分けられており、これを段台状テラスと言います。

「疲れを知らない子どものように~」って歌がありましたね。😂


【ミンマン帝陵】
第2代皇帝ミンマン帝(明命帝/Minh Mạng・在位1820〜1841)の陵墓で、考陵と称されます。考陵は、1840年から3年かけて建設されました。完成前の1841年に、ミンマン帝は病が急変して亡くなったのですが、次代皇帝となったティエウチー帝が引き継ぎ、1843年に完成させました。ミンマン帝は、先代である初代ザーロン帝(嘉隆帝/Gia Long)と異なり、西洋文化を廃し、儒教的思想を重視しました。そのため、陵は中国の明や清の陵制を参考にしています。
陵は、フエ市街から15km離れた小高いカムケー(錦鶏)山にあります。周囲1750mの城壁に囲まれた陵内には、700mもの真っすぐな参道が延びています。その参道の上に、拝庭、碑亭、寝殿、陵墓など主要な建造物が配置されており、グエン王朝の最盛期を感じさせる威風堂々とした構成になっています。また顕徳門、崇恩殿、明楼には、約600点の詩文が美しく彫刻されており、オリジナリティーのある建築物となっています。
考陵は、川や池に囲まれながら、「拝庭」「碑亭」「段台状テラス」「寝殿(礼拝殿)」「石棺」という建物を配置しています。陵と優雅な大庭園がひとつに融合しており、皇帝の荘厳さを体現しているといえます。フエに残る帝陵の中でも最もととのった構成であり、「フエ屈指の美しさ」と言われています。


はあ、そうですか…。
「規模が大きい」というのが、
ミンマン帝陵の特徴なんですね。
ついさっき訪れたカイディン帝陵は、
碑亭と啓成殿だけだったので、
ここもそんなものかと思い込んでいました。😅


しょうがないので歩きました。炎天下、遮るものがなにもありません…。

拝庭は3つのステージに分けられており、それぞれ、3段の階段を上がることで、高さが少しずつ高くなっています。これは、建築の巨大さによる圧倒感を軽減するためだったそうです。

ここで振り返ると、碑亭がこんな風に見えました。

3つのステージを歩き終えて、ようやく、顕徳門の域内に入ります。

顕徳門です。


【顕徳門】
寝殿の前門です。入り口が3つあるのですが、真ん中は皇帝専用として閉じられています。


ようやくたどり着きましたが、
顕徳門は、その名のとおり「門」なので、
通り抜けるだけです。😄


左:顕徳門の内側から見た碑亭。
右:顕徳門の反対側です。

顕徳門を出ると、目の前にあるのが崇恩殿です。


このまま崇恩殿に行きたいところなのですが、
その手前、顕徳門を出てすぐのところに、
左右で対になったふたつの建物
 タ・トゥン・トゥ
 フー・トゥン・トゥ
があるので、まずはそこに寄って行きます。
このふたつは、ミンマン帝のもとで、
神々を崇拝する場所となっていました。
ふたつを総称して、
タイ フォイ ディエンと呼びます。


右手に見える、タ・トゥン・トゥ。

そして左手に見える、フー・トゥン・トゥ。オリジナルは、1843年に建設されました。1997年に、トヨタ基金の支援を受けて再建されたそうです。

整然と積み上げられた瓦。

普通の瓦と違いますね…。

…と思っていたら、見本が置いてありました。なんと、竹を組み合わせて造った瓦でした。

フー・トゥン・トゥの中に入ってみました。

ガラスに入れられて、たくさんの瓦が展示されていました。

それでは、いよいよ、崇恩殿(寝殿)に行きます。ミンマン帝陵の主軸とも言える場所です。

いまここ。😄


(つづく)

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