積丹から幌加内へ。新緑の美幸線をトロッコで駆けた、9泊10日の北海道 7 - 小樽市鰊御殿⑦ 客間、客寝室、客控の間(2023年5月10日/1日め)
(2023/06/04 16:00記)
2023年5月10日 小樽市鰊御殿で。眺めのいい特等席でした。(北海道小樽市)
5月10日(水)
小樽市鰊御殿に来ています。
1階の見学を終えて、次は、
親方一家居住区の2階に上がりました。
1階の親方家族用の玄関隣りにある階段を上がって、2階に上がりました。昔の階段が急勾配のものが多いですが、ここには珍しく手すりがついていました。使い込まれているので、当初からついていたものかもしれません。
階段を上がるにつれて、
少しずつ、2階が見えてきました。
すると、大広間のいちばん向こうのすみに、
ちんまりと座っている夫が見えました。
「そんなとこに座りこんで何してるの?」と笑ったのですが…、
夫がそこに座っている理由に、MIYOはまだ気づいていません。笑
「うしろ、見てみ。」と言われてふりかえってみて、絶句。祝津の海が広がっています。
この広間の2面が全部窓になっていて、そこから、すばらしい景色が見えていました。
この客間は、ゴールデンカムイ5巻第40話「ニシン御殿」でも描かれています。
夫のマネして、MIYOも同じ位置に座ってみました。
夫がすみっこに座り込んでいた、
その理由がようやくわかりました。
この位置から見える景色が、
いちばんきれいなのです。
すごいです…。
この鰊御殿は、約130年前に、
積丹半島の泊村に建てられたものですが、
泊村でも、海に面していました。
なので、やはり美しい海や山が見えたはず。
こんな景色を、親方は、
わがものにしていたのですね…。
ニシン漁で莫大な富を築いた者だけが
手にすることができた眺めでした。
これが現在の小樽市鰊御殿(赤い屋根の家)です。番屋といえば海岸沿いに決まっているのに、「なんでこんな丘の上に移築したのだろう…。」と不思議に思っていました。(画像をお借りしました)
この2階に来てみて、
本来は海岸沿いにあるはずのニシン番屋を
わざわざ丘の上に移築した理由が、
ようやくわかりました。
2階からのこの絶景を、最も堪能できる場所として、祝津の丘の上を選んだのですね…。^^
しばらく、この場所に座りこんでいたのですが、
次にMIYOが言ったことばは、
「なんかさ。星野リゾートみたいだね。」
でした。(アホ)
はげしく場違いなのですが、私も夫も、
一年前に行った、
「星野リゾート 界 ポロト」
を思い出していました。😄😄
「星野リゾート 界 ポロト」です。スイートルームですが、dポイントを利用して、なんと無料で泊まりました。😄(2022年6月20日 北海道白老郡白老町)
リビングルームの2面が窓で、ポロト湖が一望できました。
窓から見えた景色です。絵葉書の写真ではありません。
このときの日記です。
コロナでもポロト湖。星野リゾート 界 ポロト スイートを無料で楽しむ 4 - ちむどんどんの71㎡(2022年6月20日/4日め)
界 ポロトには、一泊しただけです。
たった一泊でも、
あの、夢のように楽しかったひとときは、
今も忘れられません。
田中福松親方は、
鰊御殿2階から、美しい海や山を、
毎日見ていたんだなあ…。
今の私と同じところに座って、
ただぼんやりと海を眺めていた日が、
親方にもあったかもしれません。
この2階部分。
かつては、客間、客寝室、客控の間と、
3つの部屋に分かれていました。
現在は、3部屋の間の襖が取り払われ、大広間として見学できるようになっています。
手前が客間で、奥にあるのが客寝室です。
客間には、違い棚や床の間が設けられています。
床の間の木彫りです。
天袋に描かれている牡丹は、山田東洋の作です。
【山田東洋】
1865年(慶応元年)、新潟県柏崎市に生まれ、1946年(昭和21年)に81歳で死去しました。父は書画家・茶人の山田鏡古。15歳で上京し、東洋洋画学校で高橋由子 一に学びました。1900年(明治33年)、33歳で北海道へ渡り、40年間画道に励みました。得意とした朱達磨で知られ、火事災難除けの達磨として一般に受け入れられました。
さて、実はこの2階部分には、
「隠れ部屋」なるものがありました。
次回は、そのエリアをご紹介します。
(つづく)




















