MIYO'S WEBSITE - 全盲難聴のんたんの記録と卵巣ガン、そして旅日記。

超未熟児で生まれた後遺症で、全盲難聴(盲ろう)となったのんたん、双子の妹あみちゃんと共に楽しく生きる家族のお話です。
子どもたちは24歳になり、毎日元気に楽しく暮らしています。
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コロナでもウポポイ3。札幌2週間ホテル暮らし 118 - 旧黒岩家住宅② 通路、納屋、居間、台所(2021年11月14日/12日め)

(2023/04/23 10:00記)

2021年11月14日 旧黒岩家住宅(旧簾舞通行屋)で。玄関から居間を見たところです。(北海道札幌市)


11月14日(日)


旧黒岩家住宅(旧簾舞通行屋)に来ています。
玄関を入って右側の、
「定山渓鉄道博物館」のようなスペースから、
つきあたりを左に行くと、
さらに展示が続いていました。

通路にびっしりと置かれているのは、かつて使用されていた、様々な農機具です。

納屋の中には、雑多な生活用具も。なんだかほんとうに、農家の納屋に入ったみたいな感じです。笑


普段の生活で使っていたと思われるスキーも並んでいました。

湯たんぽばかりを並べているコーナーで、不思議なものを見つけました。「国策湯丹保」と書いてあります。


【国策湯丹保】
戦時中、戦争遂行のための兵器生産に充当するため、あらゆる金属性の生活物資が供出させられ、その代替として「代用品」がつくられました。そういった動きは、1938年(昭和13年)頃から始まったようです。供出の対象とされたのは「鋼及び銑鉄、銅、白金、鉛、亜鉛、錫…」で、鉄鋼その他の金属の代用品としては、陶磁器、木製品などが推奨されました(昭和13年7月20発行 内閣情報部『週報』)。陶製の湯たんぽは、金属製湯たんぽの代用品の典型で、数多く見られます。が、表面に「国策湯丹保」と銅版転写され、その意図が明示されているものは、そう多くは残されていません。貴重な戦時資料と言えます。
この国策湯丹保は、側面に溝が彫られています。布を巻きつけて使用したので、布が外れないようにするため、または熱が直接素肌に当たらないようにするための工夫だったと思われます。


ひとつひとつがおもしろいのですが、
じっくり見ていると、
ここから出られなくなりそうなので、笑
この辺で家の中に入ってみることにしました。


靴を脱いで玄関を上がったところにあるのが、居間です。

正面つきあたりには、神棚があります。

玄関に大きなクマの毛皮が飾ってありましたが、こちらにあるのは、ちょっとかわいい、小さめのクマさんです。

この居間の右側には、台所があります。

展示品を入れたガラスケースが見えますが、その向こうが台所です。

台所です。

煮炊きをするかまどは、土間とか部屋の隅にあるものと思っていましたが、この家では部屋の中に鎮座していました。

天井部分です。梁から火棚が提げられています。

そして、かまどの反対側(窓際)には、流しがありました。

これは「すわり流し」というものです。


【すわり流し】
水や火を使う台所は、湿気や煙を出す必要があります。そのため、土間の一隅に設けられていました。しかし、水や火の便が良くなるにつれて、狭い土間よりも「居間につづく床上」に設けられるようになり、これを「すわり流し」と呼びました。
宿屋を兼業していた黒岩家では、炊事量が多かったので、早くから「すわり流し」をとり入れたものと思われます。
このような、古民家におけるすわり流しは、全国でもあまり見られないものです。「洗うという仕事が家の中でできるようになった」ことの背景には、水道のインフラ整備や普及が大きく影響しています。


土間ではなく、家の中の土足でない場所に
水回りやかまどがあるというのは、
今でこそあたりまえですが、
上水道などのインフラが整備されてこそ、
だったんですね…。


再び、居間に戻りました。

今度は、その向こうに続く部屋を見てみます。


(つづく)

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