MIYO'S WEBSITE - 全盲難聴のんたんの記録と卵巣ガン、そして旅日記。

超未熟児で生まれた後遺症で、全盲難聴(盲ろう)となったのんたん、双子の妹あみちゃんと共に楽しく生きる家族のお話です。
子どもたちは24歳になり、毎日元気に楽しく暮らしています。
卵巣ガンになって思ったことも、少しずつ書き始めました。
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ベトナム家族旅行:
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小学生だったころの子どもたちの育児日記は、こちらです。
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コロナでもウポポイ3。札幌2週間ホテル暮らし 34 - 北海道開拓の村⑥(旧来正旅館、旧三〼河本そば屋)(2021年11月6日/4日め)

2021年11月6日 鉄道馬車と。後ろは、旧札幌停車場です。(北海道札幌市)


11月6日(土)


北海道開拓の村・市街地エリアの、
旧来正旅館に来ています。


入口を入ると、広い土間があります。ここは汽車を利用する人の待合室で、簡単な売店がありました。売店のガラスケースの奥が子供部屋(6畳)で、その右手が台所です。

待合室のイスです。おしゃれなカフェみたいですね。^^

靴を脱いで、内部を歩いてみます。下の写真の左端のところから上がると…、

そこは茶の間になっています。

茶の間内部です。奥に台所が見えています。

台所です。

茶の間の隣りにある廊下を、さらに奥へと進みます。

家人の寝室(8畳)です。

そしてこちらは女中部屋(4畳)でした。

廊下のつきあたりに、トイレと洗面所がありました。この吊り手水、小さい頃はよく見かけました。なつかしい。昭和30年代の話です。笑


1階が家族の居室で、
2階には、客室が6部屋あるそうです。
見学を終え、外に出ました。
すると…。


あっ。花嫁さんです。^^


最近は、歴史的建造物とか、
お城とか庭園とかで、
結婚写真を撮るカップルが、
本当に多いですね。(うらやましい。笑)
さぞかし素敵な写真になることでしょう。
今の若い人たちはいいなあ…。


MIYOが見守る中、おふたりは、旧来正旅館の中へと入っていきました。すてきな後ろ姿です。^^

旧来正旅館の隣りにある、旧三〼河本そば屋です。


【旧三〼河本そば屋】
明治時代に小樽で開業した蕎麦屋です。手打ちそば屋では、2階にお座敷などを設えてあり、客は座敷に座ってお酒を飲みながら、ゆっくりそばを待つというスタイルだったそうです。内部では、大正期のようすを再現しています。


正面の左右に入り口があります。向かって左が客用、右が勝手口です。看板の裏からレンガの煙突がでています。これは、そば茹釜の煙突です。この時代のそば屋は、愛知県の明治村にもないので、とても貴重な建物であるそうです。

それでは、中に入ってみます。

玄関を入ると、右手が調理場になっています。左に2連かまど、右にそば茹で釜があります。

お蕎麦屋さんらしい設えです。水道蛇口がありますが、井戸水を使っていたらしく、手押しポンプがついています。

1階には、調理場とそば粉をこねて麺を作るそば部屋、そして家族のための居間・座敷・台所がありました。

2階には、およそ50人の客が入れる座敷と女中部屋がありました。

これは…、トイレですね。^^

かつてのそば屋さんの佇まいを今も残す、旧三〼河本そば屋を後にし、次のスポットへ向かいました。


市街地エリアには、商店も多く、
それぞれの生業(なりわい)のようすも
再現されています。
それらを丹念に見て歩くのは、
とても楽しい時間でした。


次は、旧武井商店酒造部を訪ねます。


(つづく)

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