MIYO'S WEBSITE - 全盲難聴のんたんの記録と卵巣ガン、そして旅日記。

超未熟児で生まれた後遺症で、全盲難聴(盲ろう)となったのんたん、双子の妹あみちゃんと共に楽しく生きる家族のお話です。
子どもたちは24歳になり、毎日元気に楽しく暮らしています。
卵巣ガンになって思ったことも、少しずつ書き始めました。
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ベトナム家族旅行:
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コロナでも青森。奥入瀬の春の流れを追いかけて 30 - 中町こみせ(小見世)通り②(津軽こみせ駅と高橋家住宅、そして鳴海家住宅へ)(2021年5月14日/2日め)

2021年5月14日 中町こみせ通りです。がんぎの通路を、鳴海家住宅まで歩きました。(青森県黒石市)


5月14日


青森県黒石市の
中町こみせ(小見世)通り
に来ています。


がんぎが続く「こみせ通り」を歩きます。まずは、松の湯交流館から中村亀吉「玉垂」に行きました。

通りに沿って、がんぎの内側をさらに歩いてみます。

「津軽こみせ駅」という名のお土産物屋さんです。物産売り場のほか、イベントホールも併設されています。

中に入ると、黒石の品がいっぱい。^^

「黒石やきそばせんべい」と「黒石つゆやきそば」です。

「黒石よされ」は、8月に開催されます。黒石ならではの流し踊りや廻り踊り、組踊りなど魅力がたっぷりの楽しいお祭りだそうです。

「津軽こみせ駅」のお向かいに、「高橋家住宅」が見えています。

「高橋家住宅」です。(重要文化財)


【高橋家住宅】
高橋家は、代々「理右エ門」を名乗り、黒石藩ご用達の商家でした。米穀を扱っていたことから、屋号を「米屋」と言います。その傍ら、味噌、醤油、塩などの製造や販売をしていました。
ここ中町に住みついたのは1717年(享保2年)で、1755年(宝暦5年)に現在の屋敷を購入したと言われています。住宅のほかに、米蔵、味噌蔵、文庫蔵があります。構造は、一部2階建ての切妻造、妻入です。屋根は、当初「長柾葺(ながまさぶき)」でしたが、防火のため、昭和初期に、亜鉛引鉄板に葺き替えられました。高橋家住宅は、主屋と一体となって屋敷構えを形成しており、商家の構成を知る上で貴重な建造物となっています。
昭和48年に、住宅が国の重要文化財に指定され、さらに平成16年に、米蔵、味噌蔵、文庫蔵が追加指定されました。現在では、喫茶店となっており、井戸水で淹れたコーヒーを庭園でいただくことができます。


残念ながら、コロナ禍で、高橋家住宅は閉館中でした。まあ、町全体がこんな感じなので、しょうがないですね…。

高橋家住宅を外から眺めて、さらに歩きます。お隣りにあるのは、蔵のようですね。

この蔵もまた、美しい佇まいです。

同じ場所をがんぎ越しに見ると、家並みが、これまたいい感じです。^^

さらに歩きます。古い建造物が、途切れることなく続きます。

美しい、こみせ通り。

がんぎの中をさらに歩き続けて、次のスポットを発見したMIYO。^^

「鳴海家住宅」です。(市文化財)


【鳴海家住宅】
市文化財に指定されています。鳴海家は、1806年(文化3年)創業の造り酒屋で、屋号を「稲村屋」といいます。住宅は、建築されてから200年以上経過しています。高橋家とともに、古い店構えを守り、伝統的な町並みに溶け込んでいます。


MIYO、中をのぞきこんでいます。笑


鳴海家住宅の驚きの内部は、
次回にご紹介します。


(つづく)

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