コロナでも雛旅。古(いにしえ)の雛を訪ねる、4泊5日の長野・岐阜・愛知 52 - 尾張徳川家三世代の雛段飾りと提重(2021年3月30日/5日め)
2021年3月30日 徳川美術館で。壮大なスケールの、尾張徳川家三世代の雛段飾りです。(愛知県名古屋市)
3月30日
徳川美術館に来ています。
MIYOが、ベネフィットステーションの会員証(=割引券)を探しまくっているあいだ、夫はのんきに、玄関ホールを歩き回り、こんな写真を撮っていました。😂
さて、いよいよ、館内を見学します。ざっと地図を見ても、かなり広いですね。展示室が1から9まで、延々と続いています。
まずは、玄関ホールから第1展示室に入り、そこから第5展示室まで、一気に歩きます。そこから蓬左文庫へ行き、第6展示室へ。さらに、企画展へと回ることにしました。何時間かかるんでしょうか。爆
さすがに、すごい展示です。能・狂言装束。蜘蛛巣・柳に燕門 染分素袍(そめわけすおう)。 「袍」は「わたいれ」とも読み、すっぽりと からだを包む上着や外衣のことを言うそうです。
襖絵を見せるために、壁全体が展示室になっています。
牡丹図屏風(八曲一双)。江戸時代(17世紀)のものです。ため息がでますね…。
まぬけなことに、ここで、
写真撮影が禁止であることに気づきました。
(スミマセン。汗)
なので、残念ながら、
この後の写真はありません。
第1から第5まで、
すばらしい展示の連続でした。
つづいて蓬左文庫では、
尾張の百科事典と言われる、
「張州雑志」の企画展を開催中で、
これもまた、感動ものでした。^^
「張州雑志」に描かれた、すばらしい絵の数々が展示されています。
【張州雑志】
尾張藩の藩士・内藤正参が記し、赤林信定によって編纂された地誌です。尾張徳川家9代藩主・徳川宗睦の内命を受けて、安永年間頃(1772年 - 1780年)より、正参が領内を調査して執筆しました。正参は、狩野派の絵師としても知られており、内容には多くの絵が含まれています。1788年(天明8年)に正参が没したあと、協力していた赤林信定が編纂しました。1789年(寛政元年)、正参が残した原稿などを元にした全百巻本が、宗睦へと献上されています。
内容の一部に機密事項が含まれていたため、「張州雑志」が広く公開されることはなく、明治を迎えました。その後、名古屋市蓬左文庫へと引き継がれています。
第1~第5展示室、
蓬左文庫、
第6展示室…
と歩いて、最後の部屋が、
企画展示室(第7~9展示室)です。
ここがとても楽しみでした。^^
特別展「尾張徳川家の雛まつり」が、開催されていたのです。^^
「初公開。絢爛豪華な古今雛(伊藤家寄贈)」だそうですよ!
企画展示室です。中は撮影禁止なので、この写真は、部屋の外の廊下から取りました。突き当りにあるのが、壮大な「尾張徳川家三世代の雛段飾り」。両側にも、皇室ゆかりの古雛などが、ずらりと並んでいます。
この企画展では、
30以上もの古雛(こびな)が
展示されていました。
その一部を、ご紹介します。
(以下、画像をお借りしました)
尾張徳川家三世代の雛段飾り
徳川義親(19代)夫人・米子さま、義知(20代)夫人・正子さま、義宣(21代)夫人・三千子さまのお雛さまです。明治から昭和にいたる、尾張徳川家3世代の婦人たちの豪華な雛段飾りで、雛段は、高さ約2メートル、幅約7メートルに及びます。
初公開 古今雛 伊藤家寄贈
古今雛は、江戸時代に大流行した雛人形です。目にガラスをはめ込んだ、写実的な面立ちと、公家風の衣装が特徴です。
矩姫(かねひめ)の雛人形
矩姫は、福島・二本松丹羽家10代長富の三女として生まれ、1849年(嘉永2年)、尾張家14代となる慶勝(よしかつ)に嫁ぎました。公家の装束を考証して作られた有職雛(うそくびな)で、雛人形の高さは、どれもが約30㎝あります。当時の大名家のお雛さまの中でも、ひときわ格調高い品だそうです。
ここで、あるものを発見しました。写真の青い丸のところです。おわかりでしょうか? 「提重(さげじゅう)」があるのです。田中本家博物館で、手にとって見せていただいた、あの提重が、ここにも展示されていました。
福君の雛道具 菊折枝蒔絵雛道具(提重)
福君は、京都の公家の最高位にあった近衛家の出身で、1836年(天保7年)に、尾張家11代斉温に嫁ぎました。この「菊折枝蒔絵雛道具」は、福君が所持した雛道具のひとつでした。梨子地に菊の折枝を配し、近衛家の家紋である抱牡丹紋と徳川家の葵紋を散らしています。金具にはすべて銀が用いられるなど、現存する大名家伝来の雛道具の中で、最も大揃えで豪華な一組です。
こちらは、田中本家博物館の提重。パーツの数が、全く同じですね。
福君の提重は、
実用品ではなく、婚礼調度品です。
雛道具として
飾られていたと思われます。
まばゆいばかりの、豪華絢爛。
なにか、恐れ多いような感じです。^^
それに対して、田中本家の提重は、
お弁当箱として、
実際に使われていたようです。
ふんわりと温かい風合い。
蓋の側面にまで細かく施された、
絵柄の、繊細で美しいこと。
手に取って見せていただいたときのことが、
なつかしく思い出されました。
この旅に出るまでは、
「提重(さげじゅう)」
ということばすら、知りませんでした。
けれど、田中本家博物館で
教えていただいたばかりだったので、
徳川美術館では、
展示されていた提重を、
感慨深く見ることができました。
「いろんなものを見て、知る」って、
すごいことですね。
知れば知るほど、別の何かを見た時に、
感じることが深くなる…。
こうして、旅はますます、
おもしろくなるのだと思いました。
提重について説明してくださっている、田中本家のご当主。
徳川美術館に来て、生まれて初めて、
「徳川家の偉大さ」を
実感したような気がします。
名古屋に来たら、
ぜひ、訪れていただきたいところ。
私にとっては、そんな場所になりました。
(つづく)