コロナでも雛旅。古(いにしえ)の雛を訪ねる、4泊5日の長野・岐阜・愛知 41 - 美濃和紙 日進堂と、明治5年のうだつ造り 大石家住宅(2021年3月29日/4日め)
2021年3月29日 美濃友禅和紙です。(岐阜県美濃市)
3月29日
美濃市・一番町通りで、
日進堂に来ています。
創業明治43年。
以来100余年に渡り、
美濃和紙の伝統を引き継いでいます。
ここで、美濃和紙の歴史について、
ご紹介します。
【美濃和紙の歴史】
702年(大宝2年)の大宝律令の際、美濃国で漉かれた戸籍用紙が、日本最古の紙として正倉院に保管されています。美濃和紙は、1300年以上経った現在も、繊維のむらがなく、変わらぬ肌ざわりを保っています。
戦国時代には、織田信長が、岐阜城の城下町で楽市・楽座の経済政策を実施しましたが、その中には、美濃和紙も取り入れられていました。
その後、江戸時代では、高級障子紙として最上評価され、「美濃判」という紙の寸法が障子の規格となりました。幕府御用の紙としても有名です。
日本一の和紙と言われる、「美濃和紙」。
美濃市は、「うだつの上がる町」
というだけではないんですね。^^
この、美濃和紙ですが、
実は数か月前に、たくさん見ていました。
場所は北海道です。
五稜郭にある、箱館奉行所。(2020年11月30日)
各部屋との境は、美濃(岐阜)産の手漉き和紙を張った障子で仕切られています。…と、このときに書きました。^^
箱館奉行所を復元するにあたっては、
「同じ場所に・同じ材料で・同じ工法で」
をモットーに、
ヒバ、マツ、スギなどの用材は青森から、
畳は岡山や熊本から、
瓦は福井から、
そして障子紙は美濃から…というふうに、
厳選した材料を全国各地から調達しました。
函館奉行所のすべての障子には、
美濃和紙が使われていたのです。
あの、「美しい函館奉行所」と
「美濃」をつなぐ、美濃和紙。
函館奉行所が建てられたのは、1864年です。
「150年以上も前に、
こんな遠いところから北海道まで、
和紙が運ばれたんだなあ…。」
と思うと、美濃和紙のもつ
歴史の深さに、魅かれます。
なので、
「美濃和紙のお店」に、
入ってみたかったんですね…。^^
入り口を入ったところです。内部は奥行きがあって、広いお店でした。おわかりでしょうか。左手奥に、縦に長い物がたくさん並んでいます。
これが全部、美濃友禅和紙なのです。仕立て屋さんの服地のように並んでいますが、これは布でなくて和紙です。色とりどりの美しい和紙が、ぎっしりと並べられていました。
近寄ってみると、こんな感じです。ひとつひとつの絵柄が違っていて、いったい全部で何百種類あるのか、見当もつきません。
美しくて、美しくて、ため息がでました…。紙ということで、曲げたり汚したりしては申し訳ないので、あえて引き出さず、並べられている状態のままで、写真を撮りました。
店頭には、和紙を使った小物もたくさん置いてありました。
膨大な量の和紙を並べたようすは、
圧巻でした。
良い物を見せていただきました…。^^
さて。
MIYOが、美濃和紙に驚いていたころ、
多動夫はどこをうろついていたかというと…。
日進堂のお向かいにある「十六銀行」で、写真を撮っていたようです。🤣🤣
一番町通りは、こんな感じです。奥に、「十六銀行」の看板が見えます。夫はこの通りを、手前に向かってどんどん歩いていきました。
「我流酒房 胡麻や」。居酒屋さんです。^^
「茶房 とみや」。この建物は、 江戸時代末期に建てられそうで、和紙の原料問屋でした。
その向かい側にある、「山根 和紙の店」。いやほんと、うろちょろ歩いてますね。🤣🤣
「みの団子 あかり」。うだつの立派さをごらんください。これ、相当大きいですよね。
どうやら、隣家の屋根に造られているようです。
その隣家というのが、大石華表堂。創業明治22年の、京表装のお店です。「大石家住宅」として知られていて、明治5年に建てられました。
「大石家住宅」の全景です。ここでも、庇部分に「屋根神さま」を置いてあります。うだつ飾りは、江戸時代よりいっそう豪華になり、大きい鬼瓦、破風瓦、懸魚(げぎょ)がついています。うだつの最盛期と言えるでしょうか。
この家では、明治のころに米屋を営み、若主人は、自由民権運動の闘士として活躍しました。
明治に入って、
さらに豪華になった「うだつ」ですが、
この10年後くらいから、やがて、
「うだつ」の家は建てられなくなります。
隣家の屋根と共有して造られることから、
所有権などの、様々な問題が
起こるようになってきたからです。
町全体に満ちていたおおらかな空気が、
「うだつ造り」を陰で支えていた、
ということなのでしょう。
(つづく)