MIYO'S WEBSITE - 全盲難聴のんたんの記録と卵巣ガン、そして旅日記。

超未熟児で生まれた後遺症で、全盲難聴(盲ろう)となったのんたん、双子の妹あみちゃんと共に楽しく生きる家族のお話です。
子どもたちは24歳になり、毎日元気に楽しく暮らしています。
卵巣ガンになって思ったことも、少しずつ書き始めました。
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小学生だったころの子どもたちの育児日記は、こちらです。
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コロナでも雛旅。古(いにしえ)の雛を訪ねる、4泊5日の長野・岐阜・愛知 40 - 片うだつの家 松久達三家住宅(2021年3月29日/4日め)

2021年3月29日 一番町通りの町並み。左手前にあるのは、「皇太子殿下行啓(うだつの町並み視察)記念の碑。平成27年にいらしたそうです。(岐阜県美濃市)


3月29日


美濃市・一番町通りに来ました。


ご覧のように、観光客はひとりもいません。遠くの方にふたり見えていますが、地元の方が立ち話をしているところです。


ここでもまた、
貸し切り状態で歩きました。
私たちしかいないので、
ゆっくりと歩けるのは助かります。


けれど本当は、ここ、
美濃市一番の観光スポットなのです。
どこに行ってもこんな状況で、
観光業の方々はたいへんなことでしょう。


米どころ 河宮。お米屋さんです。

美濃町屋 Mam's。カフェです。

1885年(明治18年)創業の、「紫竹呉服店」。

さっき歩いた二番町通りよりも、一番町通りの方が、商店が多いような気がします。

ここまで、夫婦が別行動で歩いていたのですが、この写真の奥には、歩いているMIYOが写っています。ウロチョロしていた夫、ようやく私と合流したようです。笑

通りの左手に並ぶ、古い家屋。

松久達三家住宅。美しい軒飾りです。破風も、古い江戸時代の形式なのだそうです。

この家の「うだつ」は向かって左側だけです。右側は、隣家のうだつ壁に密着して建てられているので、右側のうだつがない家(片卯建の家)と言われています。当時、うだつのある家に住むことは、商人の憧れでした。なので、「右側はムリだけど、せめて左側だけでも、自分でうだつをあげたい。」と願い、それを実現したものでした。

その隣りにある、「久永助紙店事務所」。明治初期の建築で、当時は作業場でした。2階部分では、庇に、「屋根神さま」が乗せてあります。

「屋根神さま」です。「秋葉様」とも言います。防火の神様です。


この「屋根神さま」は、
二番町通りのはじめのころに見た、
「鈴木忍家住宅」にもありました。
よく探せば、他にもまだありそうですね。^^


鈴木忍家住宅の「屋根神さま」。

コロナでも雛旅。古(いにしえ)の雛を訪ねる、4泊5日の長野・岐阜・愛知 35 - 美濃市 うだつのあがる町並み(2021年3月29日/4日め) - MIYO'S WEBSITE-全盲難聴のんたんの育児記録と卵巣ガンで思ったこと


「日進堂」というお店がありました。「和紙」と書いてあります。

本と和紙を商いとして、明治43年に創業したそうです。以来100余年に渡り、美濃和紙の伝統を引き継いでいます。


和紙のお店、「日進堂」
夫は、上の写真を一枚撮っただけで、
さっさと行ってしまったようです。
でも私は、ふらふらと、
店内に入ってしまいました。^^


美濃の和紙について、
もう少し知りたい。


軽い気持ちでした。
そして中に入って、
驚くことになりました。


(つづく)

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