MIYO'S WEBSITE - 全盲難聴のんたんの記録と卵巣ガン、そして旅日記。

超未熟児で生まれた後遺症で、全盲難聴(盲ろう)となったのんたん、双子の妹あみちゃんと共に楽しく生きる家族のお話です。
子どもたちは24歳になり、毎日元気に楽しく暮らしています。
卵巣ガンになって思ったことも、少しずつ書き始めました。
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ベトナム家族旅行:
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コロナでも雛旅。古(いにしえ)の雛を訪ねる、4泊5日の長野・岐阜・愛知 39 - 鷹つなぎ石(2021年3月29日/4日め)

2021年3月29日 「うだつの上がる町」は、しだれ桜が満開でした。(岐阜県美濃市)


3月29日


二番町通りから一番町通りに向かって
歩いています。
このあたりには、お寺が多いようです。


圓通寺です。1626年(寛永3年)に建立されました。江戸時代を通じて、上有知(現在の美濃市市街地)の住人を檀家として繁栄しました。そのため、寺には上有知出身の儒学者村瀬藤城や画家の村瀬太乙、書家の村瀬秋水、本居春庭の門人で喪山考を著した国学者河村内郷の墓があり、美濃市の史跡に指定されています。中濃八十八ヶ所の38番札所です。

願念寺。阿弥陀如来を本尊とする浄土真宗大谷派の寺院で、1272年(文永9年)に三河国矢作に伊東唯円が建立したのが始まりです。1723年(享保8年)に上有知で大火が発生したために、現在地へ移転しました。美濃市の文化財に指定されてい、円空作の聖観世音菩薩像を所蔵しています。


正直言って…。
MIYOは、お寺には、
あまり関心がないんです。😅😅


それよりも、
当時の人々の暮らしが偲ばれるような、
そんな名残りのあるところが好きです。


この日、私たちは夫婦別行動だったので、
夫は、好き勝手に歩いたようです。笑
私は、お寺をちょっとのぞいて、
すぐに通り過ぎただけでした。
(前日転んだせいで、足が痛くて、
 お寺の中まで入る気力がありません。)


でも、あとで写真を確認すると、
夫は、お寺の中を、
つぶさに歩いていることがわかります。
さすが、多動夫。🤣🤣


ついでに、多動夫の歩き回った足跡を、
もう少し、写真でご紹介します。


小さな公園に寄ったんですね…。😅 背景の家の真ん中あたりにあるのが、鷹つなぎ石です。

鷹つなぎ石。昔は、この石に鷹をつなぎとめておきました。道のかたわらに、このような石がたくさん置いてあったそうです。

そして公園の片隅に、「うだつくん」を発見!

美濃市のゆるキャラ、「うだつくん」です。頭のうだつに触ると「うだつが上がる」そうです(←ほんとか?笑)。


しつこいようですが(笑)、こちらが、本物の「うだつ」です。(「みの団子 あかり」のうだつ)

しだれ桜が満開の中を、機嫌よく歩いたんですね、はいはい。

一番町通りと二番町通りをつなぐ道のひとつ。奥に、「岡専旅館」の看板が見えます。こんなとこまで歩いています。😵😵😵

両側にうだつを掲げた、「岡専旅館」。江戸末期の建物です。本家の呉服商だった岡重助家から、岡専助が分家して、現在は7代目。元は塩問屋で、入口の奥には、塩問屋時代の塩蔵や使用人の部屋などの建物が、約80mにわたって続いているそうです。(画像をお借りしました)


もうね…。
私が全然知らないところを、
いっぱい歩いてるんです。😅
やっぱり、多動だ。🤣🤣


同じころ、私は私で、
夫を見捨ててのんびりと、笑
全然違うところを歩いていました。


蔵の窓。木造住宅ばかりの美濃市には珍しく、石の土台の蔵がありました。

その隣りに続く、古い住宅。やっぱり、お寺よりも町並みの方が好きです。笑

さて、一番町通りに出ました。ここから山の方向に向かって、また歩きますよ。^^


(つづく)

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