コロナでも雛旅。古(いにしえ)の雛を訪ねる、4泊5日の長野・岐阜・愛知 16 - 田中本家博物館 使ってこそ器(2021年3月27日/2日め)
2021年3月27日 「春の庭」で。(長野県須坂市・田中本家博物館 )
3月27日
企画展をあとにし、
博物館をさらに奥へと進みました。
当主が使っていた駕籠です。
田中家二代新十郎信房が著した、家訓家定書全6巻。1790年代(寛政年間)のものです。
豪商の刀剣。田中本家は、商人でありながら、須坂藩への度重なる功績から、武士の身分を与えられ、名字帯刀を許されていました。
五重塔 矢沢弦月作(大正時代)
【矢沢弦月(1886-1952)】
明治44年、東京美術学校を卒業し、寺崎広業の門人として活躍しました。写実美を加えた独特の風景画を得意とし、画壇の重鎮として、日展審査委員を長く務めました。しばしば、田中本家に滞在し、多くの作品を描いています。
うさぎびな。飯山在住の創作人形作家、高橋まゆみさんの創作人形です。
そして、器のコーナーに入りました。
染付花虫文焼物皿 伊万里 江戸時代 18世紀前
一枚でも貴重な伊万里を、同じ柄で何枚も揃えているのが、田中本家ならでは、ですね。^^ ちなみに、20枚で一揃えとしておられるそうです。
青磁菊花茶碗 龍泉窯 中国・元時代 14世紀前
色絵雲錦手茶碗 犬山焼 江戸時代 19世紀
銹絵五十塔図角皿。尾形光琳・乾山兄弟の合作です。縁を切立縁とした正方形の角皿で、見込に光琳が五重塔を描き、乾山がそれを焼物にして、詩文を加えました。詩文は、唐代の詩人 章八元が詠んだ、七言律詩「題慈恩寺塔」からの引用のようです。
十層突兀在虚空 十層突兀(とっこつ)として虚空にあり
四十門開面面風 四十門は面々の風に開く
左:焼締角瓶 江戸時代
右:掻落蜘蛛扁壺 粉青沙器(ふんせいさき) 李朝時代 15世紀
染付楼閣山水文 耳付瓶 清時代
色絵桜花文茶碗と急須 九谷有山 明治時代 19世紀
染付宝相華文花瓶 初代吉向 江戸時代 19世紀中。須坂吉向焼の磁器です。
宝相華文様とは、唐草文に架空の花を組み合わせた植物文様です。日本には、奈良時代に中国から伝えられました。花のイメージには、牡丹、芍薬、芙蓉が影響しているようです。展示品の中でも、ひときわ高価な品だそうです。
【吉向治兵衛(1784-1861)】
江戸時代の名工として知られ、将軍へも作品を献上しました。1845年(弘化2年)、須坂藩11代藩主 堀直格(なおただ)に招かれ、窯を開きました。
【須坂吉向焼】
吉向治兵衛(行阿)は、江戸の名陶工として知られ、山口藩・松山藩・奈良小泉藩の殿様のお庭焼きをしていました。須坂藩11代藩主 堀直格が、須坂に招聘したことにより、絵師弟子含め11名が須坂に来て、9年間、芸術性の高い焼き物「須坂吉向焼」を作陶しました。九州の磁器の土、京都の土等を取り寄せ、芸術性の高い焼き物を作りました。
波千鳥蒔絵三つ組盃と鶴亀宝船蒔絵 大杯
江戸時代再現食事会では、
「初めて使う器」というものが、
時折、登場します。
さらに、博物館に展示してある器が、
そのまま、食事会に
使われることもあるそうです。
私たちの案内をしてくださったご当主が、
展示品の、ある器を指さして、
「これもね。
そのうち使ってやろうと思ってるんですよ。」
と話しておられました。^^
穏やかながら、
ちょっといたずらっぽい笑顔でした。
展示されている器は、たいへん美しく、
貴重なものばかりなのですが、
「器は使ってこそ器」
というお考えでいらっしゃるのでしょう。^^
あの伊万里焼で、
煮物をいただく日がくるのでしょうか。
ばちがあたりそうです….。😅
次回は、明治から大正にかけて、
田中本家の子どもたちが愛した
おもちゃの数々をご紹介します。
(つづく)