MIYO'S WEBSITE - 全盲難聴のんたんの記録と卵巣ガン、そして旅日記。

超未熟児で生まれた後遺症で、全盲難聴(盲ろう)となったのんたん、双子の妹あみちゃんと共に楽しく生きる家族のお話です。
子どもたちは24歳になり、毎日元気に楽しく暮らしています。
卵巣ガンになって思ったことも、少しずつ書き始めました。
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ベトナム家族旅行:
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小学生だったころの子どもたちの育児日記は、こちらです。
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コロナでも雛旅。古(いにしえ)の雛を訪ねる、4泊5日の長野・岐阜・愛知 14 - 田中本家博物館 127年前のお雛さま(2021年3月27日/2日め)

2021年3月27日 127年前のお雛さま。(長野県須坂市・田中本家博物館 )


3月27日


江戸時代料理再現食事会が終わりました。
お料理も器もすばらしく、
とてもおいしいお食事でした。
品数が多かったので、お腹いっぱいです。


広間の掛け軸と香炉です。

お食事をいただいた部屋から眺めた、池泉回遊式庭園「秋の庭(大庭)」です。右端に少し見えているのは、さきほど私たちがお茶をいただいた、「控えの間」です。


いただいたお便りによると、
お食事のあとは、
「展覧会ご案内」とあります。
12代当主のご案内で、
田中本家博物館の展示を拝見します。
さらには、敷地内の様々なところを、
案内していただけるようです。
お食事もさることながら、
こちらも、とても楽しみでした。^^


主家の玄関から外に出ました。ここは、「春の庭(表庭)」です。

ご当主に説明していただきながら、「春の庭」を歩きました。

3000坪の広さの、田中本家。駐車場は、表門側と裏門側にあります。私たちは、裏門側に車を停めてから、土塀に沿って、表門まで歩きました。(画像をお借りしました)

見学の順路です。手前の「主家」でお食事をいただいたあと、現在は「春の庭」にいます。

受付から「展示館」に入ると、「田中本家年表」がありました。1699年(元禄12年)の初代田中新八誕生から始まって、現在に至るまでを、簡潔に記載してあります。小林一茶がたびたび訪れたこと(1823年)、須坂藩江戸屋敷替えの際に2000両を御請したこと(1835年)、百姓一揆による焼打ちを受け、本宅と土蔵の一部を焼失したこと(1870年)…などが記載されていて、たいへん興味深いものでした。

1915年に、長女田鶴さんが婿養子を迎えます。その後、1919年に、第10代として家督を相続しました。

博物館の中に入りました。かつての蔵を利用して造られています。

上の写真の中央に見えているのは、鏑木清方(かぶらききよかた)の「汐汲」です。(大正時代)


【鏑木清方】
東京神田に生まれ、挿絵画家として画業をスタートさせた鏑木清方(1878-1972)は、美人画で上村松園と並び称された日本画家です。水野 年方に師事。挿絵画家として身を立てる一方、本格的な日本画に取り組みました。大正画壇の中心を担う第一人者として活躍し、東京の下町風俗や当世風の美人を終生描き続けました。帝展審査員。


そして、その隣りにあるのが、この時期の企画展示である、お雛さまでした。七壇飾りと五壇飾りの二組です。(画像をお借りしました)


私たちが訪問したのは、
ちょうど、3月だったので、
「田中本家のお雛様 ‐ 明治時代編」
(2021年2月13日~4月4日の期間限定)
という、企画展を開催していました。
雛飾り図から収納箱まで、
「田中本家に伝わる明治時代のお雛さま」
を総特集しています。
MIYOが、ぜひ見たいと思っていた企画です。^^


田中本家の紋(女紋)を背にして、いくつもの内裏雛が並んでいます。


【田中本家・明治時代のお雛様】
田中本家に伝わる明治時代のお雛様は、1894年(明治27年)に生まれた長女・田中田鶴(たづる)さんの、初節句のときのものです。その多くは、東京日本橋の人形展から購入されました。ひな人形と共に、当時の領収書や「雛飾り図」(ひな人形の配置図)もいっしょに残されています。現在展示されている雛壇も、この図面をもとに飾り付けを行っています。
七壇飾りと五壇飾りの二組の大きな雛壇には、5対の内裏雛(男雛・女雛)をはじめ150点あまりのお人形や雛道具が飾られます。三人官女や五人雅楽といったおなじみの人形以外にも、歌舞伎から題材をとった芝居人形と呼ばれる人形も飾られています。また、市松人形をいっしょに飾るのも、田中本家の雛壇飾りの特徴です。


装束の色合いが、今も美しいままに残されていることに、驚きます。

となりに市松人形を飾るのも、田中本家の雛壇飾りの特徴です。

10代当主・田鶴さんは、1894年(明治27年)に生まれました。その初節句の際に買いそろえられた雛人形の領収書が、今も保管されていました。購入年月日、値段、商店名などが記載されています。領収書と実物が共に残されていることは珍しく、当時のようすを知る貴重な資料となっているそうです。

田中本家のお雛様が、年月を経た今も美しい状態であることには、誰もが驚いてしまいます。ほんとうに美しいお雛さまでした。^^(画像をお借りしました)


127年も前の雛人形が、
今でも美しい姿を保っている秘訣は、
収納にあるのだそうです。
田中本家ならではの、その収納方法は、
今回の企画展の目玉ともいえるものでした。
詳細については、次回でご紹介します。


(つづく)

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