MIYO'S WEBSITE - 全盲難聴のんたんの記録と卵巣ガン、そして旅日記。

超未熟児で生まれた後遺症で、全盲難聴(盲ろう)となったのんたん、双子の妹あみちゃんと共に楽しく生きる家族のお話です。
子どもたちは24歳になり、毎日元気に楽しく暮らしています。
卵巣ガンになって思ったことも、少しずつ書き始めました。
ベトナム日記は、
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をご覧ください。
ベトナム家族旅行:
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小学生だったころの子どもたちの育児日記は、こちらです。
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コロナでも滋賀県。湖の国(うみのくに)を歩く、3泊4日のおトク旅 26 - 中江準五郎邸② 小幡べこ(2020年9月24日/3日め)

2020年9月24日 五箇荘・中江準五郎邸で。


【お知らせ】
連載の途中ですが、明日から、少しお休みをいただきます。
10月25日早朝より、次の旅行にでかけます。(←アホです。笑)
今度は、8月に続いて、ふたたび、東北に向かいます。
美しい紅葉が見られるかも?です。^^


9月24日


中江準五郎邸に来ています。



美しい庭園もさることながら、
このお屋敷で特に心に残ったのは、
内蔵です。


外村繁邸の内蔵は、
「外村繁文学館」となっていました。
外村宇兵衛邸の内蔵は、
「外村宇兵衛邸資料室」でした。
そして、ここ、中江準五郎邸にも、
内蔵がありました。


お屋敷とつながっている、内蔵。扉の向こうに、別世界がありました。

蔵の中を埋め尽くしていたのは、たくさんの人形です。

近江郷土玩具の小幡人形をはじめとした、様々な土人形が展示されていました。


【小幡人形(おばたでこ)】
「でこ」という言葉は「土人形」のことを指します。江戸時代から明治時代にかけて、土人形のことを「でこ」と呼び、五個荘小幡町で作られる「でこ」のことを「小幡でこ」と呼ぶようになりました。初めて「小幡でこ」が作られたのは、今から約300年前で、細居安兵衛によるものでした。初代当主の安兵衛は、その前身は、京都通いの飛脚だったそうです。
子供のおもちゃとしても重宝されていた「小幡でこ」でしたが、戦後、大量生産で安価なセルロイドの人形が普及しだすと、「小幡でこ」のような伝統的な人形は衰退していきました。現在、「小幡でこ」を製作しているのは、九代目の細居源悟氏のみとなりましたが、五個荘小幡町の伝統文化を守り続けているそうです。


「小幡でこ」は、3月、5月の節句人形を主体に、祭りのみこしや縁起もの、風俗人形や軍人など、約400種類あるそうです。彩色については、共通する特徴があります。通常の「小幡でこ」に使用する色は、全て原色です。見た目が色鮮やかで、印象深いものとなっています。

小幡人形は、大変可愛らしい表情をしています。現在は、土のぬくもりとともに、やさしさが溢れる郷土玩具として、全国で親しまれるようになりました。


内蔵では、「小幡でこ」を作る工程も、
本物の人形を使って、
紹介されていました。


まず粘土を練り、
その粘土を代々伝わる人形の型にはめ、
乾燥させます。
その後、型から乾燥した粘土を抜き、
釜で焼きます。
そして、焼いた人形に彩色します。
これらの工程に、
ほぼ3ヶ月はかかるそうです。


実物を使っているところが、すばらしいですね。^^


そのほかにも、
愛らしい人形の数々が、
お屋敷の随所に飾られていました。



五箇荘の伝統である小幡人形を、
たいせつに守り続ける、町の人々。
その気概が、人形の温かい表情と共に、
心に残りました。


次回は、最後に訪れたお屋敷を
ご紹介します。


五箇荘の日記、なかなか終われません。
見どころ、ありすぎです。笑


白壁と舟板塀が作る、独特の景観。蔵屋敷の町、五箇荘の町並みです。


(つづく)

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