MIYO'S WEBSITE - 全盲難聴のんたんの記録と卵巣ガン、そして旅日記。

超未熟児で生まれた後遺症で、全盲難聴(盲ろう)となったのんたん、双子の妹あみちゃんと共に楽しく生きる家族のお話です。
子どもたちは24歳になり、毎日元気に楽しく暮らしています。
卵巣ガンになって思ったことも、少しずつ書き始めました。
ベトナム日記は、
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をご覧ください。
ベトナム家族旅行:
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小学生だったころの子どもたちの育児日記は、こちらです。
http://limings.sweet.coocan.jp/

コロナでも滋賀県。湖の国(うみのくに)を歩く、3泊4日のおトク旅 27 - 藤井彦四郎邸①(2020年9月24日/3日め)

2020年9月24日 五箇荘・外村宇兵衛邸で展示されていた写真。天秤棒に荷をくくり、諸国を行商して歩いた、近江商人の姿です。


【お知らせ】
昨夜おそく、秋田の旅から戻りました。
今回は、秋田を中心に、宮城、岩手、青森をバスで移動。
3日間のバスの走行距離だけで、765km になりました。笑
相変わらずのドタバタ旅行でしたが、楽しかったです。^^
湖の国(うみのくに)日記が終了したら、
そのあとの連載として、またご紹介させていただきます。


9月24日


五箇荘の登録有形文化財である、
・外村繁邸
・外村宇兵衛邸
・中江準五郎邸
を訪ね、4つめのお屋敷である、
藤井彦四郎邸に向かいました。


これまでの3軒は、同じ地区にあったので、
全部徒歩でまわることができました。
が、藤井彦四郎邸は、
少し離れたところにあります。


外村繁邸の係員の方から、
「歩いていくのはたいへんなので、
 いったん駐車場まで戻って、
 車で行った方がいいですよ。」
と、アドバイスしていただきました。


…ということで、夫だけが駐車場に戻ることに。笑 私は、中江準五郎邸の近くで、夫が車で戻ってくるのを待ちました。

そして、迎えに来た夫といっしょに、藤井彦四郎邸に。無料の駐車場に車を停めて、少し歩きます。このあたりも、静かでいい雰囲気です。

藤井彦四郎邸に到着です。門まで続く、このアプローチの長さをご覧ください。


【藤井彦四郎邸】
藤井彦四郎(1876-1956)の生家でもある旧宅を、そっくりそのまま資料館にしています。彦四郎は、五箇荘・宮荘(みやしょう)町出身で、「スキー毛糸」で知られる豪商でした。総面積8155.3平方メートルの中に、屋敷・土蔵・展示館があります。現在の日本経済の礎を築いたといわれる近江商人の暮らしぶりはもとより、歴史や商法などがわかりやすく展示されています。
日常の生活の場である本屋は、倹約を身上とした近江商人らしく質素なものです。それとは対照的に、客殿は、それぞれの部屋が、螺鈿細工などの高級調度品で飾られています。随所に、得意先を大切にした商人らしい気配りが感じられます。また、客殿から見える庭園は、藤井彦四郎自身の構想で作られたもので、珍石、名木を有し、清水をたたえた池泉回遊式庭園です。大自然を模し野趣に富んだ雄大な作りになっています。
土蔵や展示館では、合羽や堤灯などといった、行商や店で使われていた道具・小間物類が展示され、道中姿や帳場風景も再現されています。


お屋敷の門を入るとすぐ、左手に見えるのが、このスイス風のシャレーです。藤井彦四郎がヨーロッパに行き、同じような家を、と望んで建てたのだそうです。当時はかなり珍しい家屋だったはずです。

そのシャレーを眺めながら、玄関に向かいました。

玄関です。

屋敷内に入るとすぐに、藤井彦四郎の胸像と「スキー毛糸」製品が展示されています。

広い庭園。

そして、お屋敷のいちばん奥にあるのが、大広間。賓客を招いて、パーティーなどを開くための場所でした。

この広間は、映画「日本のいちばん長い日」の撮影で使われたそうです。


総面積8155.3平方メートルというだけあって、
お屋敷内はほんとうに広く。
見どころがたくさんあるお屋敷です。


とはいうものの、
朝からずうっと歩いているので、
さすがに疲れてきました。😂
でも、もう、あとひとがんばりです。


次回は、お屋敷の中に展示されている、
当時の品々をご紹介します。


(つづく)

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