MIYO'S WEBSITE - 全盲難聴のんたんの記録と卵巣ガン、そして旅日記。

超未熟児で生まれた後遺症で、全盲難聴(盲ろう)となったのんたん、双子の妹あみちゃんと共に楽しく生きる家族のお話です。
子どもたちは24歳になり、毎日元気に楽しく暮らしています。
卵巣ガンになって思ったことも、少しずつ書き始めました。
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コロナでも金沢。3人で歩いた、3泊4日のおトク旅 19 - 北前船主屋敷 蔵六園(2020年7月26 日/3日め)

2020年7月26日 加賀橋立・北前船主屋敷 蔵六園。


7月26日


「北前船の里資料館」には、
思いがけず長い時間滞在してしまい、
貴重な資料をじっくり見せていただきました。


北前船の里資料館


そして、次に向かったのが、
「北前船主屋敷 蔵六園」
です。


【北前船主屋敷 蔵六園】
旧北前船 船主・酒谷家の屋敷です。藩主専用の間や母屋、土蔵、庭園に至るまで、往事の姿がほぼ完全な形で残っています。総漆塗りの座敷に、北前船華やかなりし時代を垣間見ることができます。
アンティークショップや山野草庭園ティールームもあり、国の重要有形文化財として登録されています。


蔵六園へと続く道。古い家屋が並んでいます。

5分くらい歩いて到着。蔵六園です。

入ってびっくり。骨董品が、所狭しと並んでいます。このお屋敷は、アンティークショップを兼ねているのです。管理人のご夫婦が、温かく迎えてくださいました。

早速、中を歩いてみます。総漆塗りの座敷です。

前回ご紹介した資料館よりもコンパクトなお屋敷ですが、とにかく、骨董品の数がすごいです。笑

北前船主だった西出家より寄贈された、日本第一号のかに缶。樺太工場で製造したそうです。

江戸時代文久年間に作られた庭園。当時の北前船で運ばれた、全国の銘石が置かれているそうです。


美しい庭園を眺めながら休憩していたら、
管理人のご主人から、
「どちらからですか?」
と声をかけられました。


実は、この旅行を始めるとき、夫から、
「東京もんは来るなって風潮だからね。
 東京から来たって、言わないようにしよう。」
と言われていました。
なので、ちょっと迷ったのですが、
「申し訳ないのですが、東京からです。」
と答えました。
やっぱり、隠すのはおかしいと思って…。


そして、旅行をするにあたって考えたことを
話してみました。
「私たち一家はほとんど外出しないので、
 東京に住んでいても、感染する可能性は低い。」
「コロナを恐れて旅行をやめたら、
 国の経済は回らない。
 いずれは日本中の経済が疲弊する。」
「感染らない、感染さない、を心がけて、
 コロナを正しく恐れながら、
 旅行をすればよいのではないか。」
と…。


私の話を聞いて、ご夫妻は、
「おっしゃるとおりですよ。
 どうぞ、石川をあちこち旅行して、
 お金をたくさん落としていってくださいね。」
と言ってくださいました。


実は、この一か月後に旅行した福島でも、
「申し訳ないのですが、東京からです。」
と答えたところ、
桧原湖のボートのドライバーさんから、
「あ、東京でも、全然問題ないっすよ。
 窓全開で船を走らせてるし、
 マスクだってやってるし。
 私たちもお客さんも、きちんと対策してるんだから、
 感染の心配なしですよ。
 気にせず旅行して、
 どんどんお金を使ってください。」
と言われました。


旅行中、「どちらから?」と訊かれ、
「申し訳ないのですが、東京からです。」
と答えて、
イヤな顔をされたことは、ありません。
観光に携わる方から見たら、
そりゃあそうですよね…。^^
観光関係の方にとっては、もはや、
「東京の人は来ないでください。」
とか、言ってる状況ではないのだろう、
と思います。


そういえば、この加賀橋立でも、
私たち以外に、観光客は見かけませんでした。
こんな、見どころのある場所が、
コロナのせいで、棚ざらしになっています。
もったいないことです。


管理人ご夫妻とのおしゃべりが楽しかった、蔵六園。

再び、この道を歩いて戻ります。

帰り道で見かけた、真宗大谷派福井別院橋立支院。


【真宗大谷派福井別院橋立支院】
石川県加賀市橋立町に境内を構えている、浄土真宗大谷派の寺院です。橋立町には、古くから因随寺という寺院がありましたが、1872年(明治5年)の橋立大火により、焼失します。その後、橋立町の有力者(船主)達が新たに寺院の建立に尽力し、京都の本願寺から許可を得て、福井別院の橋立支院が建てられました。

当時の橋立町は、北前船の船主や海運業で財を成す人達が多かったことから、多額の浄財を募ったと言われてます。


本堂は、木造平屋建てです。(入母屋、桟瓦葺き(赤瓦)、平入、正面1間向拝付き、外壁は真壁造白漆喰仕上げ。山門は切妻、桟瓦葺き、一間一戸、薬医門。)

北前船の里 交流館

駐車場まで続く、板塀の小道を歩きました。


200年前に、巨万の富を築き、
繁栄を極めた、加賀橋立。
かつてはこの地から、
多くの船乗りが旅立ち、
荒波の海へと漕ぎだしていったのです。
当時は、北前船に乗る男たちの威勢のいい声が、
町に響き渡っていたことでしょう。


当時の面影を残しながら、
ひっそりと佇む橋立は、
そんなロマンを秘めた町でした。


(つづく)

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