ガンになるまでの日々 27 - ウィルス性胃腸炎(2015年2月3日)
2008年10月11日 盲学校の運動会で。(全盲難聴・のんたん 13歳/中1)
2月3日
H先生にお願いし、
9月に予定していた手術を、
2月に前倒ししていただきました。
パソコンで入院の予約を入力しながら、
H医師から、
「ところで、卵巣だけど、
右側だけをとるんだよね?」
と訊かれました。
私は、
「いいえ。両方です。
卵巣は両方とも。
それと、子宮もとってください。」
と答えました。
ほんとうは、2008年にG研で手術した時に、
そうなるはずでした。
「これ以上妊娠の予定がない場合は、
卵巣といっしょに子宮も切除することを
当院ではお勧めしています。」
と、言われたのです。
今後、ガンになる可能性を考えたら、
手術の際にまとめてとった方がよい、
という考えのようでした。
私も、それでいいと思っていたのです。
使う予定のない物を残しておいて、
あとから子宮がんになっても困るな、と。
なので、今回の手術でも、
当然、そうするものと思っていました。
でも、H医師のお考えは違いました。
「いや、ボクは、そう思わないな。
悪いところがあるわけじゃないのだから、
子宮までとることはないよ。」
そう言われると、私も無理にとは言えず、
結局、子宮は残すことになりました。
「じゃ、卵巣だけ。」
そう決まったのですが、
ここで、お互いに勘違いしていたようです。
私は、左右の卵巣をとると思っていました。
けれどH医師は、
「問題がある右の卵巣だけの切除」
と理解していたようです。
たしかに、
「問題があるところだけとる」
という考えに基づけば、
右卵巣だけの切除、ということになります。
私は、
「手術で、両方の卵巣をとる」
と、思いこんでいました。
ところが、麻酔から覚めたら、
左の卵巣がまだ残っているとわかり、
びっくりしました。(苦笑)
なにはともあれ、
卵巣嚢腫が悪化していた右卵巣を切除し、
無事、手術は終わりました。
術後の経過も良く、ひと安心でした。
ところが、またも予想外のことが起こります。
風邪が流行っていた時期だったからでしょうか。
私は、ウィルス性胃腸炎になり、
それが引き金となり、
またまた、腸閉塞を起こしてしまいます。
人生で、3度目の腸閉塞です。(苦笑)
再び、絶食の日々となりました。
そして、退院するまでに、
2か月近くもかかってしまったのです。
(つづく)
左上:朝、おとうさんと歩きながら、笑顔。(11月12日)
右上:スクールバスで、行ってきまあす。(11月13日)
左下:放課後は、サチさんと遊びました。駅の改札口で、おとうさんと待ち合わせ。(11月12日)
右下:サチさんと、駅のホームを歩いています。(11月19日)
このころは、大学生だったサチさん。授業がない日に合わせて、毎週、長男に会いに来てくださいました。長男の放課後は、こんなふうに、毎日、ボランティアさんに支えられました。