MIYO'S WEBSITE - 全盲難聴のんたんの記録と卵巣ガン、そして旅日記。

超未熟児で生まれた後遺症で、全盲難聴(盲ろう)となったのんたん、双子の妹あみちゃんと共に楽しく生きる家族のお話です。
子どもたちは24歳になり、毎日元気に楽しく暮らしています。
卵巣ガンになって思ったことも、少しずつ書き始めました。
ベトナム日記は、
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ベトナム家族旅行:
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小学生だったころの子どもたちの育児日記は、こちらです。
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ガンになるまでの日々 26 - またも手術。(2015年1月23日)

2008年11月14日 社会見学の授業で、ガラス工場に行きました。(全盲難聴・のんたん 13歳/中1)

先生といっしょに、風鈴のガラスに絵を描いているところです。このときに長男が作った風鈴は、今も、我が家の窓際に吊るしてあります。^^


9月17日


腹壁瘢痕ヘルニアの手術のあと、
一週間の自宅療養を経て、
9月17日から、職場に復帰しました。


ヘルニア手術の予後については、
なんの問題もありませんでした。
けれど、再発した卵巣嚢腫を抱えていたので、
以後の生活は、
それまで通りとはいきませんでした。
わずかに痛むお腹(卵巣)を
かばいながらの生活が、
2か月ほど続きました。


12月に入ったころのことです。
特になにかがあったわけではありませんが、
なぜか、体がとてもしんどくなり、
すぐに息切れするようになりました。
毎朝、通勤で利用する駅の階段も、
一気に上がることができず、
必ず、途中で立ち止まり、
息を整えるようになってしまいます。


疲れたのかな。
もう、仕事に行きたくないな…。


しだいに、そう思うようになりました。


ヘルニアの手術以来、T病院には、
毎月、通っています。
そこで、12月の診察の時に、
H医師にお願いしました。


「先生。
 卵巣の手術を、来年の9月頃に、
 とお願いしていましたが、
 手術を早めていただけませんか。
 体が、なんだかつらいのです。」


H医師は、その場で、
手術の予約をいれてくださいました。
年が明けて、
 1月30日に入院し、
 2月3日に手術。
と…。


「つきましては、もうひとつ、
 お願いがあります。
 私、体調が良くなくて、
 もうこれ以上、会社に行きたくないんです。
 仕事は12月いっぱいにして、
 年明けからは自宅療養にしたいんですが、
 診断書を書いていただけませんか?」


要は、「会社をさぼりたい」ということです。
こんなあつかましいこと、
よく言えたものです。(苦笑)


ところが、H医師は、
「うん。これだけ貧血がひどいと、
 たしかに、会社まで行くのも
 つらいだろうと思います。
 診断書を書きますよ。」
と。


え? 私、そんなに状態が悪いの?
と、いまさらながら、驚いてしまいました。笑


そんなわけで、9月に入院・手術し、
3か月だけ働いたら、
翌年1月から、再び、病気休暇にはいりました。
(会社にしてみれば、迷惑なことです。)


仕事は、年末の仕事納めで終了し、
「自宅療養」が始まりました。
一か月間、自宅でゆっくりと過ごし、
H医師から、鉄剤をいただいたおかげか、
強い疲労感は、少しずつ改善できました。


自宅療養とはいえ、医師からは、
「手術後の経過を少しでも良くするために、
 毎日1時間歩いてください。」
という宿題をいただいていました。


が、寒かったり雨が降ったりと、
なかなか外に出られません。
そのかわりに、せっせと家の中の掃除をして、
代謝をあげるようにしました。
(どこが「自宅療養」なんだ…。)


1月23日。
T病院で、手術の事前説明を受けました。
H医師から、
「できるだけ、ご主人もいっしょに。」
と言われていたので、
この日は、夫もいっしょです。


H医師の説明は、
約一時間にわたったのですが、
その内容は、きびしいものでした。


①これまで、10000例くらいの手術を担当してきたが、その中でも上位10件にはいるくらいの、難手術。
自分も、当日は、すべての診察や予定をキャンセルし、この手術だけに注力する。
手術室も、他の予約は入れず、この日は、オールスタッフで、この手術だけに臨む。
はっきり言って、癌の手術よりもずっと難しい。


②卵巣が、腹部内でどれくらい腸に癒着しているかは、開腹してみないとわからない。
が、かなりの癒着が予想される。
癒着部分をはがしながらの手術となり、腸の切除も考えられる。


③手術途中で、これ以上手術を続けるのが危険であると判断することもある。
その場合は、手術を中止し、回復を待つ。およそ半年後に、再手術を行う。


④入院期間は、最高にうまく行った場合は2週間。だが、腸の手術状況によっては、1カ月から2カ月となる。


手術時間が短いことでも知られている、
そのH医師が、
「すべての予定をキャンセルして、
 この手術に臨む。」
と…。


「癒着がひどいと思われる。」
「腸の切除もあり得る。」
「おそらく、手術は長時間になる。」
などは、これまで、いくつもの病院で、
いつも言われてきました。
なので、まあ、予想はしていましたが、
やはり、私の手術は難しいようです…。


手術を途中でやめて、半年後に再手術、
というのは、ちょっと困るなあ。
と思いましたが、
いまさら、どうなるものでもありません。
あとは、H医師におまかせするしかない、
という気持ちでした。


ここまでの説明だけでも、
すでに、十分、緊張感があるものでした。
この日の説明では、
私も夫も、これ以上のことは
なにも言われませんでした。


けれど実は、
これとは別に、H医師の心の中では、
密かに思っておられることがあったのです。
そのことは、ずっと後になってわかります。


(つづく)


左上:毎朝、スクールバス停まで、おとうさんといっしょに歩きました。(2008年10月2日)
右上:スクールバスが到着! 行ってきまあす。(10月23日)
左下:うれしそうな長男。(10月22日)
右下:放課後は、ボランティアのサチさんと遊びました。当時大学生だったサチさんも、今は「おかあさん」です。(10月22日)

左:太鼓館の近くで。(10月5日)
中:千住大橋の「田中屋」に行きました。隣接する足立市場直送の魚料理で有名なお店です。(10月9日)

右:田中屋さんのお刺身。長男が寄宿舎にお泊まりする日は、長女と3人で、こんなふうにおでかけしていました。

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