ガンになるまでの日々 28 - 3回めの腸閉塞(2015年2月20日)
2008年11月16日 駅までの道を歩く、長男と長女です。(のんたんとあみちゃん 13歳/中1)
週末、長男はよく、ボランティアさんといっしょにお出かけしました。この日いらしてくださったのは、チヒロさんとコウジさん。自宅の最寄り駅まで、夫と長女が送っていき、改札口で待ち合わせました。
2月20日
入院する際、
私は、4人部屋を希望していました。
ところが、病室に空きがなく、
32平米もある「特別室」に入ることに…。
まあ、相部屋に空きが出るまでの、
わずかな日数でしたが。笑
一日、55000円もする部屋でしたが、
「病院の都合ですから」ということで、
なんと無料でした。^^
手術後は経過も良く、
その特別室の応接セットに、
仕事帰りの夫がのんびり座り、
やってきたH医師といっしょに、
みんなで、一時間くらい、
おしゃべりしたこともありました。笑
ところが、その後まもなく、
私は、ウィルス性胃腸炎になってしまい、
ひと晩に10回も、吐いてしまいます。
「吐いたくらいで、
夜中にナースコールを押すわけにいかない。」
と考えた私は、豪華な特別室で、
たったひとりで、吐き続けました。(苦笑)
結局、数時間後、
点滴の交換に来た看護師に発見されます。
看護師は、
「気がつかなくてすみませんでした。」
と、お詫びされて、
かえって恐縮してしまいました。
そして、私がビニール袋に吐いたものを、
まじまじと点検したのに、さらにびっくり。
「プロだなあ。」
と、頭が下がりました。
そしてほどなく、
腸閉塞を起こしてしまいました。
人生で3度めの、腸閉塞です。
ここからなにが起こるか、
もう、よくわかっています。(苦笑)
「先生、鼻から腸まで管を入れるのは、
とってもつらいので、
それだけはしないでください。
そのかわり、がんばって歩きますから。
いっぱい歩いて、治しますから。」
H医師とは、何度か話し合いましたが、
私は、
「やっぱり無理です。
鼻の管は、入れたくないです…。」
と。
そうとう、わがままでしたね。笑
普通の病院なら、きっと、有無を言わさず、
鼻に管を入れられたと思います。
それが、腸閉塞の第一の治療法ですから。
けれど私には、その処置がなされませんでした。
ただ歩くだけで腸閉塞を治す、というのは、
前回、G研でやった方法です。
鼻から管を入れるのは、どうしても避けたかったので、
私は再び、前回のように、
毎日、点滴スタンドを引きずって、
院内を歩きました。
このことを、看護師さんたちだけでなく、
お世話になったレントゲンの技師さんまでが、
不思議に思ったそうです。
みんなが口々に、H医師に尋ねました。
「どうして、鼻から管を入れないのですか。
そうすればすぐに治るだろうに。」
すると、H医師、平然とこう答えたそうです。
「だって、拒否られちゃったんだもん。笑」
私、ほんと、わがままでした。(苦笑)
けれど、嘔吐とひどい腹痛、発熱で、
ボロボロの状態だったのです。
その時に、息も絶え絶えに、
「管だけはいやです…。」
と訴えた、私の気持ちを、H医師は、
受けとめてくださったんですね…。^^
今も感謝しています。
手術後、ウィルス性胃腸炎を経て、
その腸閉塞が全快するまでに、
結局、2か月近くかかり、
またも、長い長い入院となってしまいました。
その、長い入院中のことです。
手術してから、
2週間くらいたっていたと思います。
ひどかった腸閉塞の痛みが、
少し落ち着いてきたころでした。
その日、H医師が、私のベッドにいらして、
おもむろに、こうおっしゃったのです。
「切除した卵巣だけどね。
実は、病理検査に出してあったの。
それでね。卵巣ガンでした。」
えっ…。
「ほんとは、一週間くらい前に
結果がでてたんだけど、
ずっとつらそうだったからね。
言うのを控えてました。」
先生ったら、
そんなすごい秘密を、私に言えなくて、
ひとりで抱えてたんですね…。(苦笑)
も~。
びっくりしたなあ…。
(つづく)
チヒロさん、コウジさんといっしょに。