MIYO'S WEBSITE - 全盲難聴のんたんの記録と卵巣ガン、そして旅日記。

超未熟児で生まれた後遺症で、全盲難聴(盲ろう)となったのんたん、双子の妹あみちゃんと共に楽しく生きる家族のお話です。
子どもたちは24歳になり、毎日元気に楽しく暮らしています。
卵巣ガンになって思ったことも、少しずつ書き始めました。
ベトナム日記は、
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ベトナム家族旅行:
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小学生だったころの子どもたちの育児日記は、こちらです。
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ガンになるまでの日々 ⑯ 泣き言(2009年1月)

2008年10月 おとうさんとおでかけ。(全盲難聴・のんたん 13歳/中1)


2009年1月


手術後、私の卵巣嚢腫は快方に向かったものの、
腸閉塞の方は、なかなか改善しませんでした。
それでも、ルームメイトに恵まれ、
たわいのないおしゃべりを
楽しむ日々でした。


G研はガン専門病院ですから、
私以外のみなさんは、
あたりまえですが、全員がガンです。
そんな中で、みなさんに対して、
自分だけがガンではないとは言いづらく、
「ガンの疑い、ということで、
 この病院に来たんです。
 ガンかどうかは、まだわからないんです。」
と、お茶をにごしていました。


それでも、手術の前に、M医師からは、
「どうも、ガンではないような気がします。」
と聞いていました。
そして手術後、医師がベッドに来られて、
「やはり、ガンではなかったみたいですね。」
と言ってしまいました。(苦笑)
これをきっかけに、私がガンでないことは、
みなさんもわかっていたと思います。


ある日のことです。
A医師の回診が行われました。
A医師は、私はよく知らなかったのですが、
婦人科のとてもエライ先生で、
どうやら有名な方だったようです。


病室に入ってきたA医師は、
私たち4人をぐるりと見わたしました。
エライ先生だと聞いていたので、
私たちはみんな、ベッドで起きあがり、
神妙に座っていました。笑


回診とはいえ、
ガンではない私のことなどは、
まあ、どうでもいい存在だろうな、
と思っていました。
ところが、予想に反して、A医師は、
私のところで立ち止まったのです。
そして、こう言いました。


「MIYOさんですね。
 あなたのことは、
 カンファレンス(症例検討会)で、
 話題になったんですよ。」


え…、そうなんですか? 
意外なことばに、きょとんとする、私。^^
「研究目的」という扱いで、特別に、
緊急手術をしていただいたからでしょうか。
私の手術の内容と経過が、
カンファレンスで報告されたのだそうです。


「私はね。
 子宮も卵巣も、すべて取るべきだった、
 と言ったんです。
 今回は、洗浄だけでお腹を閉じたでしょ。
 とりあえず、今はいいけど、
 卵巣を残したんだから、また再発しますよ。
 今後のことを考えたら、切るべきだったんです。
 状態が良くないから、
 腸の切除も必要になるかもしれないし、
 その結果、もしかしたら、
 人工肛門になるかもしれないけど、
 それでも、再発するよりいいでしょ。」


その同じことばを、A医師は、
カンファレンスで言ったのだそうです。
けれど、それに対して、
M医師は、こう答えたそうです。


「もともと、切除の予定でしたが、
 開腹したら、状態が悪すぎました。
 生命の危険があったのです。
 無理をおして、手術を強行し、
 もしものことがあったとき、
 私は患者さんに、
 お詫びのしようがありません。」


いつも穏やかなM医師が、
こんなことを言ってくださったとは、
思いもよりませんでした…。


「M先生はそんなことを言ってたけどね、
 やはり取るべきでしたよ。
 将来、絶対に再発しますよ。
 そのとき、あなたはきっと、自分から、
 『子宮も卵巣も取ってください。』
 と言うでしょう。」


それだけ言うと、A医師は気がすんだのか、
病室を出て行きました。
私は、ひとことも返すことばがなく、
ただ茫然と座っていました。


このとき、自分の頭にあったのは、
これまたふざけているのですが、
「いずれ再発する」
ということではなく、
「人工肛門になる」
ということでした。


人工肛門?
人工肛門?


そんな話、M医師からは、
一度も聞いていません。
私は、いつか再発して、
次の手術では「人工肛門になる」と…?


今思うと、アホなのですが、
そのときは、
打ちのめされたような気持ちで、
私はただ、うつむいていました。
ルームメイトのみなさんも、
私を気づかって、なにも言いません。
みんなで押し黙ったままでした。


そんな中、私は、
つい、こう漏らしてしまうのです。


「人工肛門になるなんて、
 そんなこと、聞いてない。
 もう…、なんで私だけ、
 こんな病気になっちゃったかなあ。


今思うと、人工肛門になっておられる方に
失礼なことばです。
それに、ガンと闘っておられるみなさんを前に、
言うべきことではありませんでした。
けれど、自分のことで頭がいっぱいで、
言わないではいられなかったのです。


そのとき、Fさんが口を開きました。
肉腫と診断された、Fさんです。


「だいじょうぶ。
 先生は、『もしかしたら』って、
 おっしゃったわよ。
 必ず人工肛門になるってことじゃないわよ。」


優しい語り口のFさんのことばに、
他のふたりも、
「そうよ、そうよ。
 気にしなくていいよ。」
と…。


そのときになって、私は、ようやく、
自分が恥ずかしくなりました。
私は、なにをやっているのだろう、と…。


「自分だけがガンではないことを言えない」
とか、気づかっているようなふりをして、
実は、私はとても、無神経でした。


「なんで私だけ、
 こんな病気になっちゃったかなあ。」
と言いたかったのは、私ではなく、
みなさんの方だったと思います。
けれど、この病院に入院して以来、
誰ひとりとして、
そんな泣き言を言う人はいませんでした。
ガンという現実に向き合い、
淡々と治療しているみなさんに、
ガンではない私が、
絶対に言ってはいけないことばを、
言ってしまったのです。


なんてことを言ってしまったのだろう、と、
激しく後悔しました。
けれど、みなさんに、
「すみませんでした」と謝るのは、
もっと傲慢なことだと思いました。
なので、心で謝りながら、言いました。
「そう。そうですよね。^^
 みなさん、励ましてくださって、
 ありがとうございます。」
と…。


このときが最後です。
病気について、私は、その後二度と、
泣き言を言うことがありませんでした。。


「いつか再発します。」
と言われていた身だったし、
その後も私は、入院と手術を
くりかえすことになります。
けれど、
「なんで私だけ…。」
とは、もう思いませんでした。


あのときに、自分のガンをそっちのけで、
私を励ましてくださった、
みなさんのお気持ちを、
忘れることはありません。


入院中に出会った、たくさんの人たち。
おひとり、おひとりのことを思い出すたびに、
「泣き言なんて、言ってられない。」
と、いつも思うのです。


(つづく)


盲学校の教室で撮った写真です。

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