MIYO'S WEBSITE - 全盲難聴のんたんの記録と卵巣ガン、そして旅日記。

超未熟児で生まれた後遺症で、全盲難聴(盲ろう)となったのんたん、双子の妹あみちゃんと共に楽しく生きる家族のお話です。
子どもたちは24歳になり、毎日元気に楽しく暮らしています。
卵巣ガンになって思ったことも、少しずつ書き始めました。
ベトナム日記は、
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ベトナム家族旅行:
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小学生だったころの子どもたちの育児日記は、こちらです。
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ガンになるまでの日々 15 パートナー(2009年1月)

2008年10月11日 盲学校の運動会。お弁当タイムです。(全盲難聴・のんたん 13歳/中1)


2009年1月


木*津からやってきた、Iさん。
40代くらいの方でした。
お子さんは、小学生と中学生が、3人。
家族5人で暮らしていたのですが、
うまくいかず、離婚しました。
離婚と同時に、ご主人が家を出たので、
その後は、4人家族になりました。


それから数年。
Iさんは、子宮がんと診断され、
入院・手術することになります。


そのころのことです。
なんの前ぶれもなく、
突然、(元)ご主人が、家にやってきました。
そして、そのまま、元どおりに
住みついてしまったのです(苦笑)。


「私がこんなだからさ。
 寝てばかりのことも多いし。
 でも、子どもたちのめんどうも、
 食事や洗濯なんかも、
 ダンナが全部やってくれるわけよ。
 おかげで、助かってるの。」


以来ずっと、(元)ご主人は、
同じ家で暮らしているそうです。
ふたたび入籍することもなく、
今も他人のまま。
それでも、子どもたちの父親です。^^


いったい、どんな人なのだろうか、
と、すごい好奇心で、
ご主人が病院に来られるのを、
楽しみにしていました。笑


そして、週末。
3人の子どもたちを車に乗せて、
(元)ご主人がやってきました。


うわ…。スキンヘッドだ…。
ちょっとコワそうな感じです。
離婚前は、夫婦で、
取っ組み合いのけんかをしたことも
あったそうです。
なるほど…。


それでも、(元)妻がガンだと聞いて、
ふらりと家に戻ってくるなんて、
いいとこあるじゃないですか。^^
そのまま家に居ついて、
子どもたちの世話をするなんて、
泣かせるじゃないですか…。


Iさんのベッドを囲むように座っている、
(元)ご主人と、お子さんたち。
ご一家の、さりげない日常が、
なんとなく、伝わってきました。


こんな家族も、あるんだな…。


ガンが肺に転移していたIさんは、
定期的に入院して、
抗がん剤の治療を受けていました。


髪はすっかり抜けているし、
治療中は、副作用の吐き気で、
ほとんど食べることができません。


「それでも、コレだけは、
 食べられるんだよね。」
と、見せてくれたのは、
「ガリガリくん」でした。笑


吐き気がつらくなると、
Iさんは、院内のコンビニで、
「ガリガリくん」を買ってきました。
そして、
「コレさえあれば大丈夫。^^」
と、ガリガリ…。


左手で点滴し、右手に「ガリガリくん」
という、不思議な光景です。笑
でも、「ガリガリくん」のおかげか、
それほどつらそうなようすを見せることなく、
Iさんは、一週間の治療を乗り切りました。


退院の日、スキンヘッドの(元)ご主人が、
子どもたちといっしょに、迎えに来ました。
入院費の支払いも終わり、
いよいよ、Iさんともお別れです。


ベッドを降り、病室のドアまで歩くIさんに、
「楽しかったわ~、Iさん。
 どうもありがとうございました。
 どうぞお元気でね。
 また会おうね。」
と声をかけました。


するとIさんは、立ち止まり、
私のベッドにやってきました。
そして、こう言ったのです。


「MIYOさん、ありがとうね。
 子どもたちにも会えてよかったわぁ…。
 私は、あなたに、おしえられた。
 私はね。子どもなんて、
 普通に生まれて育つのが、
 あたりまえだと思ってきたのよ。
 でも、そうじゃないってことを、
 あなたに、おしえられた。
 MIYOさん、ありがとうね。
 これからは、私も、もっと、
 子どもたちのことを大事にするわ。」


「ありがとう」と言いながら、
Iさんは、泣いていました。
いつも、楽しい話をいっぱいおしえてくれ、
笑わせてくれてばかりだったIさんが、
泣いていました。


「子どもなんて、
 普通に生まれて育つのが、
 あたりまえだと思ってきたのよ。」
と、泣きながら話してくれたことばは、
その後も、私の心に残りました。


自分のガンの治療で大変な状況である方が、
我が家の長男を見て、心を寄せてくださったのです。
長男を見て、そして、
自分の家族を見つめなおした、Iさん。
それは、長男への同情とか、
そういうことではありません。


それでも、Iさんから、
「ありがとう。」
と言われて、私は、少し当惑していました。
ガンになっても、肺に転移しても、絶望せず、
家族に支えられながら、病気と向き合うIさんから、
たくさんのことをおしえられたのは、
むしろ私の方です。
ガン患者の方から、
「あなたにおしえられた」
などと、お礼を言われるなんて、
思ってもみなかったことでした。


けれど、Iさんのことばが本心であったことを、
Iさんの涙が、おしえてくれていました。
私の方こそ、「Iさん、ありがとう」でした。


こうして、Iさんは、
退院していかれました。
4人のご家族に囲まれるようにして、
病院の廊下を歩いていく姿が、
最後の記憶です。
その後、外来でも、病棟でも、
Iさんと会う機会は、ありませんでした。


あれから11年。
私の記憶の中で、Iさんは、
いつも元気に笑っています。
きっと今も、生きてくれている。
ただそう願い、信じています。


(つづく)


最後は、みんなでつながって、音楽に合わせて歩きました。

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