ガンになるまでの日々 15 パートナー(2009年1月)
2008年10月11日 盲学校の運動会。お弁当タイムです。(全盲難聴・のんたん 13歳/中1)
2009年1月
木*津からやってきた、Iさん。
40代くらいの方でした。
お子さんは、小学生と中学生が、3人。
家族5人で暮らしていたのですが、
うまくいかず、離婚しました。
離婚と同時に、ご主人が家を出たので、
その後は、4人家族になりました。
それから数年。
Iさんは、子宮がんと診断され、
入院・手術することになります。
そのころのことです。
なんの前ぶれもなく、
突然、(元)ご主人が、家にやってきました。
そして、そのまま、元どおりに
住みついてしまったのです(苦笑)。
「私がこんなだからさ。
寝てばかりのことも多いし。
でも、子どもたちのめんどうも、
食事や洗濯なんかも、
ダンナが全部やってくれるわけよ。
おかげで、助かってるの。」
以来ずっと、(元)ご主人は、
同じ家で暮らしているそうです。
ふたたび入籍することもなく、
今も他人のまま。
それでも、子どもたちの父親です。^^
いったい、どんな人なのだろうか、
と、すごい好奇心で、
ご主人が病院に来られるのを、
楽しみにしていました。笑
そして、週末。
3人の子どもたちを車に乗せて、
(元)ご主人がやってきました。
うわ…。スキンヘッドだ…。
ちょっとコワそうな感じです。
離婚前は、夫婦で、
取っ組み合いのけんかをしたことも
あったそうです。
なるほど…。
それでも、(元)妻がガンだと聞いて、
ふらりと家に戻ってくるなんて、
いいとこあるじゃないですか。^^
そのまま家に居ついて、
子どもたちの世話をするなんて、
泣かせるじゃないですか…。
Iさんのベッドを囲むように座っている、
(元)ご主人と、お子さんたち。
ご一家の、さりげない日常が、
なんとなく、伝わってきました。
こんな家族も、あるんだな…。
ガンが肺に転移していたIさんは、
定期的に入院して、
抗がん剤の治療を受けていました。
髪はすっかり抜けているし、
治療中は、副作用の吐き気で、
ほとんど食べることができません。
「それでも、コレだけは、
食べられるんだよね。」
と、見せてくれたのは、
「ガリガリくん」でした。笑
吐き気がつらくなると、
Iさんは、院内のコンビニで、
「ガリガリくん」を買ってきました。
そして、
「コレさえあれば大丈夫。^^」
と、ガリガリ…。
左手で点滴し、右手に「ガリガリくん」
という、不思議な光景です。笑
でも、「ガリガリくん」のおかげか、
それほどつらそうなようすを見せることなく、
Iさんは、一週間の治療を乗り切りました。
退院の日、スキンヘッドの(元)ご主人が、
子どもたちといっしょに、迎えに来ました。
入院費の支払いも終わり、
いよいよ、Iさんともお別れです。
ベッドを降り、病室のドアまで歩くIさんに、
「楽しかったわ~、Iさん。
どうもありがとうございました。
どうぞお元気でね。
また会おうね。」
と声をかけました。
するとIさんは、立ち止まり、
私のベッドにやってきました。
そして、こう言ったのです。
「MIYOさん、ありがとうね。
子どもたちにも会えてよかったわぁ…。
私は、あなたに、おしえられた。
私はね。子どもなんて、
普通に生まれて育つのが、
あたりまえだと思ってきたのよ。
でも、そうじゃないってことを、
あなたに、おしえられた。
MIYOさん、ありがとうね。
これからは、私も、もっと、
子どもたちのことを大事にするわ。」
「ありがとう」と言いながら、
Iさんは、泣いていました。
いつも、楽しい話をいっぱいおしえてくれ、
笑わせてくれてばかりだったIさんが、
泣いていました。
「子どもなんて、
普通に生まれて育つのが、
あたりまえだと思ってきたのよ。」
と、泣きながら話してくれたことばは、
その後も、私の心に残りました。
自分のガンの治療で大変な状況である方が、
我が家の長男を見て、心を寄せてくださったのです。
長男を見て、そして、
自分の家族を見つめなおした、Iさん。
それは、長男への同情とか、
そういうことではありません。
それでも、Iさんから、
「ありがとう。」
と言われて、私は、少し当惑していました。
ガンになっても、肺に転移しても、絶望せず、
家族に支えられながら、病気と向き合うIさんから、
たくさんのことをおしえられたのは、
むしろ私の方です。
ガン患者の方から、
「あなたにおしえられた」
などと、お礼を言われるなんて、
思ってもみなかったことでした。
けれど、Iさんのことばが本心であったことを、
Iさんの涙が、おしえてくれていました。
私の方こそ、「Iさん、ありがとう」でした。
こうして、Iさんは、
退院していかれました。
4人のご家族に囲まれるようにして、
病院の廊下を歩いていく姿が、
最後の記憶です。
その後、外来でも、病棟でも、
Iさんと会う機会は、ありませんでした。
あれから11年。
私の記憶の中で、Iさんは、
いつも元気に笑っています。
きっと今も、生きてくれている。
ただそう願い、信じています。
(つづく)
最後は、みんなでつながって、音楽に合わせて歩きました。