MIYO'S WEBSITE - 全盲難聴のんたんの記録と卵巣ガン、そして旅日記。

超未熟児で生まれた後遺症で、全盲難聴(盲ろう)となったのんたん、双子の妹あみちゃんと共に楽しく生きる家族のお話です。
子どもたちは24歳になり、毎日元気に楽しく暮らしています。
卵巣ガンになって思ったことも、少しずつ書き始めました。
ベトナム日記は、
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ベトナム家族旅行:
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小学生だったころの子どもたちの育児日記は、こちらです。
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ガンになるまでの日々 17 退院(2009年2月)

2008年11月1日 盲学校で。点字タイプライターを打っているところです。(全盲難聴・のんたん 13歳/中1)


2009年2月


私の腸閉塞は、回復までに、
かなりの日数を要しました。
手術後、一ヶ月以上の時間をかけて、
ようやく腸が、少しだけ動き始めたのですが、
そこから先に進展しません。
いつまでたっても動きの悪い腸に、
ある日、M医師が大英断を下します。


「おそらく、これが、
 『MIYOさんの普通の状態』
 なんだろうと思う。
 きっと、もともと、
 腸の動きが悪いんじゃないかな。
 見た目は良くないんだけど、
 MIYOさんにとっては、おそらくこれが、
 回復した状態ではないのか、と。
 そう仮定して、とりあえず、
 食事を始めてみましょう。
 それでだめなら、また絶食に戻します。」


こうして、ようやく食事が始まりました。
重湯から、三分がゆ、五分がゆと進み、
問題が起こらないことを確認したあと、
ようやく、固形物が摂れるようになりました。
待望の、病院食です。^^


G研では、毎日、手作り感のある、
おいしい食事が出ました。
それだけではありません。
なんと、希望すると、
「食事がメニューで選べる!」のです。^^


超豪華な食事が出るわけではありませんが、
それでも、「いくつかの選択肢がある」
というのは、うれしいものです。
入院中は、毎日ヒマにしていますから、
食事メニューから、
食べたいものを選ぶ時間は、
ささやかな楽しみでもありました。^^


けれど、この、せっかくのお楽しみも、
私の場合、わずか数日で、
終わることになってしまいました。
ベッドにやってきたM医師から、
「退院」を告げられたからです。


「正直言ってね。
 まだまだ、
 退院していいレベルではないんです。
 もしも、今、救急車で
 どこかの病院に運ばれたら、
 即入院となるだろうな、という状態です。」


M医師は続けました。


「状態は良くないけど、とりあえず、
 普通の食事が摂れるようになってきたからね。
 あとは自宅で、食事に気をつけながら、
 療養を続けてください。」


本来なら、退院できるレベルではないけど、
退院してください、ということです。
それには、理由がありました。


「G研は、ガン専門病院です。
 この病院でガンの治療を受けたい、
 という方が、全国にいらっしゃるのです。
 ベッドが空くのを待っている患者さんのために、
 譲っていただけませんか。」


そうでした。
他の病院で治療を断られた方。
再発を繰り返し、転院してこられた方。
そして、転移を告げられた方…。
さまざまな病状を抱えながら、
ここでの治療に望みを託して、
全国からガンの方がやってくる病院。
それがG研です。
入院の順番が来るのを、
大勢の方が、待っているのです。
ガンでもない私が、
いつまでもベッドを占有していては、
みなさんに申し訳ないな、と思いました。


「わかりました。」


翌日には、食事指導のために、
栄養士さんがやってきました。
「食べていい物、悪い物」
「食べ方、噛み方」などを、
ベッドの上でおしえていただき、
自宅療養の準備が進みました。


M医師からは、
「少しずつ小分けにして、
 ゆっくりゆっくり食べてね。
 少しでもお腹が痛くなったら、
 我慢しないで、すぐに病院に行ってね。
 MIYOさんは、見た目は平気そうなんだけど、
 体の中では、実は、
 かなり悪化してる可能性があります。
 ほんの少しでもなにかあったら、
 すぐに病院に行ってね。」
と、何度も言われました。


二日後、私は、G研を退院しました。
2か月もの入院生活が、ようやく終わりました。


(つづく)


盲学校の学校公開。一時間目は、体育でした。体育館に行ってみると、デッキを、長男が走っていました。先生の腕につかまりながら、走ります。(2008年11月1日)

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