MIYO'S WEBSITE - 全盲難聴のんたんの記録と卵巣ガン、そして旅日記。

超未熟児で生まれた後遺症で、全盲難聴(盲ろう)となったのんたん、双子の妹あみちゃんと共に楽しく生きる家族のお話です。
子どもたちは24歳になり、毎日元気に楽しく暮らしています。
卵巣ガンになって思ったことも、少しずつ書き始めました。
ベトナム日記は、
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をご覧ください。
ベトナム家族旅行:
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小学生だったころの子どもたちの育児日記は、こちらです。
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ガンになるまでの日々 ⑤ 歩け、歩け。(2008年12月)

2009年の年賀状。入院する前に、奇跡的に作ってありました。笑
 右:出張したマンチェスターで。
 真ん中:盲学校小学部の卒業式。
 左:ディズニーランドで。赤いシャツは、MIYOがマンチェスターで買ったお土産でした。


2008年12月


ようやく痛みがなくなり、
炎症反応も下がってきたことで、
明るい兆しが見えていたのですが、
番狂わせが起こります。


再び、腹痛が始まりました。
そして、発熱。
腸閉塞を起こしたのです。


腸閉塞は、はるか昔、
1995年にも起こしています。
子どもたちを緊急手術で出産するため、
帝王切開を行ったのですが、
その後まもなく、腸閉塞になりました。
同じ病院で、ふたりの子どもたちも、
NICUで、生死の境をさまよっていました。


このときは、医師から
「かなり深刻な状態」と言われ、
夫は帰りの電車の中で、
子どもたちも私も死んでしまうのかも、
と思ったそうです。
このときは、回復までに一か月かかりました。


その13年後。
手術後に、またも起こった、腸閉塞。
どうやら私は、手術後に腸閉塞を
起こしやすいみたいだな、と
このときに気がつきました。
(ついでに言うと、この後、
 7年後の手術で、またも、
 腸閉塞を起こしています。)


腸閉塞の第一の治療法は、
鼻から胃または腸まで、
管を入れることです。
これは、かなりつらい。
(前回、経験済み)


幸いこのときは、
管を入れることはありませんでした。
その代わり、
「歩け、歩け。とにかく歩け。」
と。
歩くことによって、刺激を与え、
眠っている腸を起こす、というわけです。


一日3回、朝、昼、晩と、一回20分。
抜糸してまもないお腹をかばいながら、
とにかく歩きました。
左手に点滴スタンドを握りしめ、
それを杖がわりにして、
がらがらと引きずりながら、
院内の廊下を歩き回るのです。
でも、2週間以上歩き続けても、
私の腸は、動き出しませんでした。


腸閉塞を起こすと、絶食となります。
栄養は、点滴から摂るのみです。
けれど、それには限界があり、
ずっと続けることはできません。


このまま状態が改善しなければ、
生命維持のため、鎖骨から管を入れます。
点滴では十分な栄養をおくれないので、
鎖骨からの栄養投与に切り替えます。
それでも改善しなければ、
専門の病院に転院し、
腸の手術となります。
…と説明されました。


その鎖骨栄養を始める日が
目前に迫ったころ、
ようやく、腸が動き始めました。
そこから、ゆるゆるとしたペースで、
回復しはじめたのです。


病院に飛び込みで入院したのは、
12月上旬でしたが、
 点滴投与(奏功せず)
 手術
 腸閉塞
と続き、ようやく退院できたのは、
2月上旬でした。


それも、
「本当は退院できる状態ではないが」
と言われながらの退院でした。


G研での入院は、
実に、2か月もの長逗留となりました。
仕事のことなどすっかり忘れ、
加入していた医療保険から、
驚くほどの給付金をいただき、
不謹慎ですが、大もうけしました。(苦笑)


ですが、このときの入院で得た、
いちばん大きなものは、
ガンの専門病院ならではの、
「出会い」でした。


食事で選んだG研病院ですが(苦笑)、
医療レベルが日本でも最高水準なのは、
はじめからわかっていました。


でも、この病院に来てよかったのは、
それだけではありません。
入院中に出会った、たくさんの人々から、
私は多くのことを教えられました。


皆さんとの出会いがあったからこそ、
私は初めて、ガンというものを、
身近に考えられるようになりました。


この7年後、
私は本当に、ガンになってしまいます。
けれど、それを聞いても、
あまり驚くことはなく、
落ち込むこともありませんでした。


自分に起こった現実を、
ただ淡々と受けとめることができたのは、
あのときに、ガンと戦うみなさんと
寝食を共にした日々があったから。
そんな気がしています。


次回は、
私に多くのことを教えてくださった、
皆さんとの出会いを、書いていきます。


(つづく)


ひたち海浜公園で。(2008年10月4日)
仕事、家事、育児で忙しい中、遊園地に連れて行くのをたいへんと思ったこともありました。けれど今は、当時の子どもたちの写真を見るたびに、あの頃のご褒美をもらっているような気がします。

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