MIYO'S WEBSITE - 全盲難聴のんたんの記録と卵巣ガン、そして旅日記。

超未熟児で生まれた後遺症で、全盲難聴(盲ろう)となったのんたん、双子の妹あみちゃんと共に楽しく生きる家族のお話です。
子どもたちは24歳になり、毎日元気に楽しく暮らしています。
卵巣ガンになって思ったことも、少しずつ書き始めました。
ベトナム日記は、
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ベトナム家族旅行:
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小学生だったころの子どもたちの育児日記は、こちらです。
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ガンになるまでの日々 6 - 余命3ヶ月(2008年12月)

2008年10月4日 ひたち海浜公園の観覧車で。(あみちゃん・13歳/中1)
久しぶりにこの写真を見たら、自分(当時48歳)の肌がきたなくて、今さらながらびっくりしました(苦笑)。右の写真は、2019年12月24日のものです。どうです! 11年後のお肌の方が、ずっときれいなのです!(いばりっ)シミ・ソバカスがひとつもない、59歳。笑 その理由は…。これだけで、10回くらい、連載できそうです。爆


2008年12月


G研病院に飛び込みで入院し、
当初は「回復室」に入れられました。
が、数日後、
4人部屋に空きが出たということで、
そちらに移ることになりました。


4人部屋の中のベッドをいただき、
ぐったりと寝ていると、
どこからか、Aさんがやってきました。
40代くらいの女性です。


私はと言えば、痛みで、
話すのも苦しい状態だったのですが、
そんなことにおかまいなく、
彼女は話し始めました。


「私ね。子宮がんで、6月に、
 『余命3ヶ月』って言われたの。」


今は12月です。
計算が合いません。


「…余命3ヶ月なら、
 9月までの命ってことですよね?
 誤診だったってことですか?」


彼女は首をふって、話を続けました。


「なんとか治療してください、って
 病院をさらに3軒まわったけど、
 手遅れだから、と、
 全部の病院で断られて。
 4軒めで、はじめて、
 この病院が引き受けてくれたの。」


ようやく治療してもらえる、と、
すがるような思いで、
予約した診察日を待っていました。
ところが、そんなある日、
彼女は、自宅で吐いてしまいます。


吐いたものを見たら、
それは、自分の便でした。
大きくなり過ぎたガンが、
腸を圧迫し、腸閉塞が起こったのです。
その結果、出口がなくなった便が、
口から出てしまったのだそうです。


あわてて、そのまま、
G研に駆け込みました。


「…それから、どうなったんですか?
 すぐに手術?」


「ううん。まずはね、
 抗がん剤を投与して、ガンを縮小させたの。
 あるていど、ガンが小さくなったところで、
 手術したの。」


手術では、まず外科チームが執刀し、
腸の切除を行いました。
その手術が終わったら、チーム交代です。
次は、婦人科チームが手術室に入り、
続いて、子宮と卵巣を切除。
全部で、8時間の手術だったそうです。


「でも、手術してもらえてよかった。
 おかげで、今も生きてる。
 娘が小学生なの。
 私、絶対に死ぬもんですか。」


と、笑いながら話す彼女。
今は、抗がん剤治療のために、
入院しているのだそうです。
ほんとうにガンですか?
と言いたくなるくらい、元気そうでした。


何軒もの大病院が断った患者を、
受け入れるのもすごいし、
ふたつのチームの連係プレーで、
手術をしてしまったというのも、すごい。


なにもかもが初めて聞く話で、
私は、ただただ、驚くばかりでした。


Aさんは、とにかく元気な女性で、
ベッドに寝ているということが、
ほとんどありませんでした。
毎日、あちこちの病室に行っては、
おしゃべりを楽しんでいるのです。


彼女は当時、ガンに効く(と言われている)
ドリンク剤を、毎日飲んでいました。
他の患者仲間と並んで、腰に手をあて、
「さあ! がんばって生きよう!
 せーの!」
という掛け声をあげ、
ふたりで同時にドリンク剤を飲んでいた姿を、
今も思い出します。


その後も彼女は、
毎日、私のベッドにやってきては、
あれこれと元気に話してくれました。


けれど私は、どんどん容体が悪化していて、
痛みのあまり、
もはや、話すことそのものが、
しんどかったのです。


手術をする前の日、
息も絶え絶えだった私は、とうとう、
彼女にこう言ってしまいました。


「すみません、
 痛くて、もうこれ以上、
 会話ができません。
 私を、ひとりにしておいて
 いただけませんか…。」


せっかく、はげましに
来てくださったというのに、
本当に失礼なヤツです。(苦笑)


3か月前に、ガンで
死んでいたはずのAさんは、
ガンと診断されたわけでもない私よりも、
ずっとずっと、おそろしく元気でした。


「この病院のおかげで、
 私は今も生きてる。」


そう言いながら、
軽快に笑っていた、Aさん。
病棟内を、まるで飛び跳ねるように、
元気に歩き回っていたようすを、
今も鮮明に、覚えています。


(つづく)


気球の形のゴンドラが、くるくると宙を舞うアトラクション。長男は、自分の顔に吹きつける風の動きに、じっと集中しています。遊園地には、長男が体で感じて楽しむことができるものがたくさんあります。そんな長男を見るのがうれしくて、家族で何度も行きました。

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