定年でもベトナム。ハノイで始める、お仕事日記 190 - 鶏肉料理店で晩ごはん(2019年10月28日/58日め)
2019年10月28日 誰よりも、なつかしい人たち。
10月28日
ベトナムで暮らす、最後の日です。
夕食は、外で食べることになりました。
近所で、鶏料理のおいしいお店があるので、
連れて行ってくださるそうです。
暗くなってから、家を出発しました。お店までは、歩いて5分くらい。この大通りをわたってすぐのところにあります。
お店に到着しました。
もともとは、この、間口の小さなお店だけで
営業していたそうです。
ところが、料理がおいしいのが評判になり、
お店は大繁盛。
隣りの家にまで、お店を拡張したのだそうです。
お店を入って右に進むと、広い別室に通されました。ここが、拡張した部分だそうです。
なんだかわからないけど、ローさんがどんどん注文しました。初めに出てきたのが、コレです。
ごはんは、もち米でした。
そして、まずは蒸した鶏料理です。見かけは素朴ですが、これがおいしいのです。^^
次は、ローストされた鶏料理。皮がパリパリでおいしい。^^
今度はから揚げです。同じ鶏肉でも、料理法が異なると、また違ったおいしさです。
あひるのローストも。これまた、パリパリでおいしい。^^
鶏料理はもちろんおいしいのですが、この、ふんわりと揚げたトウモロコシが、なんかやたらとおいしくてびっくり。^^
お父さん似の、かわいいノックちゃん。初めの頃は恥ずかしがっていたけど、今ではMIYOに、こんな笑顔を見せてくれるようになりました。
お母さん似で、しっかり者のアインちゃん。
ローさんは、タムさんに首ったけ。
食事が終わって、4人で手をつないで歩きます。仲のいい、すてきな家族でした。
4人の後をついて歩く私。彼らとお別れするときが近づいている寂しさと、もうすぐ日本に帰るのだという安堵感が、自分の中に同居していました。
私がベトナムで働くにあたって、
約束していた期間は、2か月でした。
本当は、「3か月働いてほしい」というのが、
彼らの希望だったのです。
残念ながら、私は、
11月にタイに旅行することが決まっていたので、
「9月・10月の2か月間だけでよければ」
と言ったところ、
それでいいということになりました。
そもそも、私がこの仕事をしようと思ったのは、
以前から、漠然と、
「定年退職したら、
ベトナムに2か月くらい住んでみたい」
と思っていたからです。
つまり、
「ベトナムで働きたい」
と思っていたわけではなく、
「とにかくベトナムに住んでみたい」
という思いだけでした。
住むだけではなく、
思いがけず、仕事をすることになりましたが、
「どうせたったの2か月だから、
たいしたことではない。」
という、軽い気持ちしかありませんでした。
私のお給料は、ベトナムの大卒初任給レベルで、
かなり安かったのですが、
個室と食事付きだったし、
仕事の内容は、
「日本のお客さんとのメールのやりとり」
と聞いていたので、
その程度の仕事なら、お給料が安くてもまあいいか、
と、タカをくくっていた部分もありました。
けれどその後、実際に働いてみると、
私の担当する仕事は、どんどん増えていきました。
本来なら、マネージャークラスがやるようなことも、
私が一手に引き受けて、
日本の代理店と交渉することもありました。
それに加えて、
ベトナムと日本の、考え方の違いの中で、
仕事をこなしていくことの難しさも、
痛感することが増えていきます。
ベトナムで、お給料は安くてもいいから、
「ゆる~く、のんびり働きたい。」
と思っていた私は、しだいに、
「こんなはずじゃなかった。」
と思うようになりました。
「仕事の内容が、事前に聞いていたことと違う」
という点に、私は、理不尽な思いをしていました。
そのことを、何度か、
ローさんやタムさんに言ったこともあります。
けれど彼らは、それのなにが問題なのかを、
多分、理解できていなかったのではないかと思います。
これもまた、日本とベトナムの、
意識の違いからくるものだったように感じています。
もうひとつ、私の重荷になっていることがありました。
それは、いつの間にか、彼らは、
「MIYOさんは、6月にまた来る。」
と、思い込んでしまった、ということです。
ベトナムで働き始めてまもなく、
タムさんから、
「(2か月後も)また来る」
と言われたことがありました。
そのときは、話のなりゆきで、私も、
「まあ、また来てもいいですけどね…。
いろいろと予定があるから、
6月まではムリですよ。」
みたいなことは言いました。
けれど、約束したわけではありません。
その当時の日記です。
はっきりと引き受けたわけではないのに、
「MIYOさんは、6月にまた来るんだよね?」
と、決定事項として言われてしまうと、
「それは違う。私はそんな約束はしていない。」
と、心がざわつきました。
結局あるとき、意を決して、彼らに宣言しました。
「次に私がまたここで働く、という件ですが…。
これからのことは、
またそのときになって考えましょう。
とりあえず、先の約束はしません。」
と。
タムさんもローさんもいい人で、
滞在中は、とてもよくしていただきました。
私は、ふたりのことが好きだったし、
感謝していました。
けれど、
「こうではない。なにか違う。」
と思っているのに、それにもかかわらず、
彼らの思惑の中に自分が組み込まれていくことを、
苦しいと思う部分もありました。
このころの私は、かなり混乱していたと思います。
ハノイでの生活は楽しかったけれど、
とにかく今は、日本に帰る。
そして、いったん、なにもかもをリセットしたい。
そんなふうに思っていました。
(つづく)
















