MIYO'S WEBSITE - 全盲難聴のんたんの記録と卵巣ガン、そして旅日記。

超未熟児で生まれた後遺症で、全盲難聴(盲ろう)となったのんたん、双子の妹あみちゃんと共に楽しく生きる家族のお話です。
子どもたちは24歳になり、毎日元気に楽しく暮らしています。
卵巣ガンになって思ったことも、少しずつ書き始めました。
ベトナム日記は、
http://limings.muragon.com/tag/?q=2019%E5%B9%B49%E6%9C%88-10%E6%9C%88%E3%80%80%E3%83%99%E3%83%88%E3%83%8A%E3%83%A0&p=4 
をご覧ください。
ベトナム家族旅行:
https://limings.muragon.com/tag/?q=2017%E5%B9%B412%E6%9C%88%E3%80%80%E3%83%99%E3%83%88%E3%83%8A%E3%83%A0
小学生だったころの子どもたちの育児日記は、こちらです。
http://limings.sweet.coocan.jp/

定年でもベトナム。ハノイで始める、お仕事日記 189 - たぶんできる最高のこと(2019年10月28日/58日め)

2019年9月14日 同僚のハイさんと、オフィスで。


10月28日


ベトナムで過ごす、
最後の日になってしまいました。
明日の夜は、
ノイバイ空港へ行くことになっています。


朝ごはんです。MIYOの大好きな、バインセオ(ベトナム風お好み焼き)と、揚げまんじゅう。おいしい。^^ 朝ごはんはたいてい、タムさんが市場から買ってきてくれた、できたてのものをいただきました。

バインセオについては、以前の日記でご紹介しています。


お昼ごはんは、みんなで、
ブンカーを食べに行くことになりました。
10月17日に、タムさん、ハイさんと
3人で食べに行ったお店です。


その時の日記はこちらです。


時間が早めだったせいか、この日はお店が空いていました。

今日は、仕事がお休みとのことで、ローさんもいっしょです。左から、ハイさん、ローさん、そしてタムさん。この4人で外食したのは初めてでした。2か月間を、ずっといっしょに過ごした、大切な人たちです。

ブンカーは、ブンの上に、お魚(カー)のから揚げがたくさん載っています。お魚がサクサクとしていて、とてもおいしいのです。

いつものように、ブンをリフトアップ。^^


さて…。


今までの日記で、私は、
仕事のことをほとんど書いていません。
「ほんとうに仕事してるんですか?笑」
というコメントをくださる方もいたくらいで、
事実、「お仕事日記」にはなっていませんね。^^


どうして書かなかったのか、というと、
「他に書きたい(楽しい)ことがありすぎて」
というのが、正直な答えではあります。
やっぱり、仕事の話となると、
生々しいこともでてきて、
書きにくかった、というのが本音です。


ローさんとタムさんは、とてもいい人たちで、
私は、このご家族が大好きでした。
もしもこれが、
アメリカやオーストラリアでよくある、
「ホームステイXX日間生活体験ツアー」
みたいなものだったら、
本当に楽しい思い出ばかりが
残ったことと思います。


けれど私は、ベトナムに、
仕事をしに行ったわけです。
「楽しい生活体験」だけでは、
すまないこともありました。


こと、仕事がいっしょになってしまうと、
なかなか、一筋縄では語れなくなります。
これは、外国で働いたことがある方なら、
おわかりいただけるかもしれません。


相手が自分と異なる考え方を持っていても、
ただの友人であれば、
楽しい、おもしろい、ですみます。


けれど、いっしょに仕事をするとなると、
その違いゆえに、物事が進まなくなり、
悩んだり苦しんだりすることもでてきます。
そういう葛藤は、私の場合も、
実は、少なくありませんでした。


あまり詳しくは書けませんが、
その中でも、今も心に残っている、
小さなエピソードを、
書いてみたいと思います。


この会社に来て、
私が取り組んだ仕事のひとつに、
「会社のホームページを作り直す」
ということがありました。


わかりにくい記述、ちょっとおかしな日本語などを、
リライトする、という仕事は、
それまでの会社員時代に、
技術ドキュメントを作成していた私には、
得意な分野の仕事でした。


あるとき、ホームページの中で、
こんな記述を見つけました。


「ご宿泊のホテルまで、
 ガイドがお迎えにまいります。」


この会社のツアーを申し込むと、
集合時間に指定場所に行かなくても、
ホテルまで、ガイドが迎えに来てくれます。


これはとてもありがたいサービスなのですが、
実は、すべてのホテルに
迎えに行けるわけではありません。
ハノイの中心地から遠いホテルに宿泊している場合は、
迎えに行けないので、
お客さんは、市内の集合場所まで、
自分で行かなくてはなりません。


その、「迎えに行けないホテル」の定義を
質問してみたのですが、
それがとてもあやふやで、わかりにくいのです。
そこで私は、記述にこう書き加えました。


「ご宿泊のホテルまで、
 ガイドがお迎えにまいります。
 (ホテルの場所によっては、お伺いできない場合がございます。
  その場合は、弊社指定の場所でのお待ち合わせとなります。)」


このことが、ローさんには受け入れられませんでした。


「MIYOさん、これはいけません。
 こんなことを書くと、
 『自分が泊まるホテルには送迎してもらえないかも』
 と、お客様は不安になります。
 削除してください。」


私も、負けてはいません。


「今までの記述の方が、問題ですよ。
 『ホテルまで送迎します』
 と書いてあるのを見て申し込んだ人が、
 申し込んだあとになって、
 『そこは遠いから送迎できません』と言われたら、
 どんな気持ちになりますか?
 HPに書いてあるのは、ウソってことになりますよね。
 そういう会社は、信頼してもらえませんよ。」


「お客様にとってマイナスの情報は書かない。」
というのが、ローさんの考えでした。
それに対して、私は、
「マイナス情報であってもきちんと書く。
 そのうえで、申し込んでもらうべき。」
と考えていました。


しばらく話し合ったのですが、
ローさんには理解してもらえませんでした。
これは、ローさんに理解力がない、ということではなく、
ベトナム人は、こういう考え方をするのだ、
ということではないかと、私は考えています。


日本では、
「顧客にとって不利な情報も、きちんと伝える。
 顧客は、ネガティブな情報も知り、
 納得したうえで、決定する権利がある。」
というのが、常識です。
つまり、インフォームドコンセント、です。


けれど、ローさんは、
「不利な情報を伝えると、
 お客様は不安になる。」
という考えでした。
「全部のホテルに送迎できるわけではないけれど、
 たぶん、ほとんどのお客様のホテルには、
 迎えに行けるから、大丈夫。」
と考えているのです。


たしかにそうなのですが、
ごく一部の、「送迎できないケース」で、
顧客がどう感じるか。
そのことについては、
あまり問題とは考えていないようでした。


つまり、顧客に対しては、
「(必ずいつもできるわけではないけれど)
 多分できると思う、最高のこと」
を、示したいのです。
それでいいと、彼らは考えているようです。


それに対して、日本人は、
「必ずできると保証できる範囲のこと」
を、提示します。
できるかどうかわからないことを
できると言ってしまえば、
あとあとにトラブルの原因となる、
と考えるからです。


HPの中のほんの一文でしたが、
そこに、ベトナム人と日本人の考え方の違いが、
如実に現れていました。
問題は、対象となる顧客は、
100%が日本人である、ということです。


顧客がベトナム人であれば、
ベトナム式の考え方でいいでしょう。
ですが、顧客が日本人であれば、
日本式に進めて行かないと、
会社としての信用をなくします。


私がいくら説明しても、
ローさんは納得しません。
やむを得ず、
本当は、あまりやりたくなかったのですが、
競合T社のカタログを見せました。


そこには、私が書いたのとまったく同じ文章が、
書いてありました。
T社は、日本人が経営しているので、
そのへんの事情をわかっているのです。


T社の説明文を見せられて、
ローさんはようやく、
私が書き直した表現にOKを出しました。


「T社がやるならうちも。」
と思ったのかどうかは、わかりません。
けれど、残念な気持ちが残りました。
本当は、
「ヨソでやっているから、
 うちも同じにしましょう。」
と考えるのではなく、それとは関係ないところで、
「ビジネスとしてなにが正しいのか」を、
理解してほしかったのです。


「『多分できること』を、
 いつもできることのように見せかけるのではなく、
 『必ずできると保証できる範囲でのこと』を、
 確実に実行しましょう。
 それを毎日続けていくなかで、
 いずれは、もっと良いものにしていけばいいんです。
 それを積み重ねて行けば、
 会社は信頼され、お客さんはついてきますから。」


こんなことばを、折に触れて、
おふたりに何度も説明しました。
彼らはいつも、
私が訴えることを、
ただ黙って聞いていました。


けれど、私が言ったことを、
本当に理解してもらえていたのか、と言われれば
それは今も、わかりません。
そういうところが、
違う国で働くということの難しさだったと、
今も、時折、思い出すのです。


(つづく)


(おまけ)


掲載しきれなかった、トンキンショーの写真です。


たくさんの舟が次々に登場しました。舟の上で踊る人たち。

大勢の学生が、庵を運びながら現れます。

フィナーレでは、地元の子どもたちも出演。

水牛に乗った親子や、担ぎ売りの女性も。

田植えをする農民たち。

竹馬で踊ったり…、

これは、宮廷の行列のようです。

水上で音楽を奏でた4人の女性もやってきました。

フィナーレでは、すごい人数のキャストが次々に登場しました。夜の闇の中で、水と光のすばらしい共演でした。まさに、水上人形劇の国ならではのエンターテイメントだったと思います。

この日は、オープン2周年の記念日だったので、特別にたくさんの花火も上がりました。

最後に、ネオンで映し出された、"THE QUINTESSENCE OF TONKIN" (これこそがトンキン)という大きな文字が背景に浮かんで、ショーは終わりました。

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