MIYO'S WEBSITE - 全盲難聴のんたんの記録と卵巣ガン、そして旅日記。

超未熟児で生まれた後遺症で、全盲難聴(盲ろう)となったのんたん、双子の妹あみちゃんと共に楽しく生きる家族のお話です。
子どもたちは24歳になり、毎日元気に楽しく暮らしています。
卵巣ガンになって思ったことも、少しずつ書き始めました。
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ベトナム家族旅行:
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小学生だったころの子どもたちの育児日記は、こちらです。
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長男の障害を、22年間受け入れなかった姑、その老後。

2002年9月 運動会で。(全盲難聴・のんたん 7歳/小1)


みなさま、こんにちは。
宮崎から、戻ってきました。


宮崎に滞在中、みなさまから送っていただいたコメントを
スマホで読ませていただき、
そのたびに、勇気づけられる思いでした。
たくさんのコメント、本当にありがとうございました。


前回の記事では、22年前に、夫の両親が、長男の障害を受け入れず、
私たちとのかかわりを絶ったことを書きました。
その母親が、脳梗塞で倒れ、現在は、右手麻痺で入院中。
父親は、痴呆が進む中、ひとり、家に残って暮らしています。


このふたりと、自分は今後、どう関わっていけるのか。
一度は、話し合わなければならない、と決心し、
夫といっしょに、宮崎へ行くことにしました。


宮崎では、空港から病院に直行し、
夫の母親(Eさん・入院中)と会いました。
(私が病院で、彼女と話し合いをしている間に、夫は、
 役所の手続きやヘルパーさんの手配など、諸業務を行ってきました。)
病院のソーシャルワーカーさんが見守る中、
彼女と、1時間半にわたって、話し合いました。


彼女の中に、少しでも、人としてあたたかいものを感じることができれば、
それを今後につなげていく道もあるかもしれない。
それが、今回の訪問の目的でした。


私は、34年間、彼女のふるまいに、一回も、逆らったことがありません。
なにをされても、黙って我慢してきました。
でも、この日ばかりは、自分を奮いたたせ、
言いたかったことをすべて言いました。


その結果、彼女の口から発せられたのは、以下でした。
・孫が障害を持ってから、自分がやってきたことは、まちがっていない。
・孫には会いたくないし、これからも、会うつもりはない。
・あなたたちの世話にはならない。


もう、これで、全部終わったな、という気がしました。


話し合いのあと、看護師さんからは、
「Eさんは、脳の病気(脳梗塞)です。
 今日の言動は、そのせいであるかもしれません。」
と言われました。
でも、私は、
「いえ。
 この人は、30年前から、ずっとこうです。」
と、思わず言ってしまいました。


夫の母が部屋を出て行ったあと、
一部始終をそばで聞いていたソーシャルワーカーさんと、少し話しました。
話し合いの時間をとってくださったお礼を申し上げ、
「私、今日は鬼嫁になりました。」と言うと、
「よくここまで、ずっと我慢してこられましたね。」
と言ってくださいました。
「私も、父親として、同じ立場です。
 お気持ちはわかります。」と。



その後、病院まで迎えに来た夫に、
「孫には会いたくないし、これからも、会うつもりはない、と言われたよ。」
と言うと、夫は、泣いていました。


その夜、夫の妹(ドイツから帰省中)と私たち夫婦の3人で話しました。
そのときに、義妹が語った思い出話は、驚くべきものでした。
「小さい頃、母と一緒に、デパートの食堂に行った。
 たまたま、隣りに障害者が座ったところ、母は、
 『メシがまずくなる!』と言って、私を連れて、席を移動した。」
彼女の、障害者を見下す姿勢は、
年季がはいった、筋金入りだったと、初めて知りました。


10年前、私たち一家が、九州に旅行することになりました。
私は、夫に、
「せっかくだから、宮崎の両親に声をかけて、会おうよ。
 いっしょに湯布院とか行ってもいいし、
 それくらいのお金はうちがだしたっていいんだし。」
と言いました。


ですが、夫の両親は、
「友人と毎週会うことになっている日だから、会えない。」と言い、
会うことは実現しませんでした。
が、当時たまたま帰省していた義妹によると、
「(障害のある孫と会うのは)うっとうしいから、やめておこう。」
と、夫の父親が言い、夫婦で、
「会わないですませるための相談」をしていたそうです。


「障害があっても、孫は孫。ちょっとは顔を見たい。」
とふたりが考えていると思っていた私は、本当に認識があまかった(苦笑)。
これほどまでに、夫の両親は、「障害のある孫」のことが、
本当に、本当に、いやだったのだ、と、ようやくわかりました。


病院のソーシャルワーカーさんが、この日の、
私と夫の母親とのやりとりを聞いていてくださり、
すべての事情を知っていただいたので、
これ以上、病院への説明は不要でした。
私は病院に、「今後、私たちへの連絡はご遠慮ください。」と、
お願いしてきました。


その後、夫と相談し、
「夫の母親が、障害のある孫に対してやってきたことを申し訳なかったと思い、
 私たちに、『どうか来てください。』と頼んでくるなら、
 そのときは行こう。」
と決め、病院には、そう連絡することにしました。
「あのお袋がそんなことを言う日は、きっと来ないだろう。」
と、夫は言っていますが。


いただいたコメントの中で、私が心の中で何度も繰り返したことばがあります。
「今、選んだ事を一生続けなければいけないわけでもないし、続けても良いし。今日の選択を明日は変えて、明後日は戻しても良いし、、。 時間と共に変わったり変わらなかったりもするだろうし。 」
キラキラ星さんから、いただいたことばです。


ああ、そうだ、と思いました。
今日のところは、こんな結論になりました。
でも、この先のことは、わからない。
そのとき、そのときで、変えていくこともある。
それでいいんだ、と思いました。


最後に、夫の父親のことを。
彼は今、痴呆が始まっていて、昨日のことも覚えていない状態です。
妻である、夫の母親が入院しているので、今はひとりで暮らしています。
迷いましたが、思いきって言ってみました。
障害のある孫を嫌い、疎んじてきたことを、今はどう思っていますか、と。


彼は、
「そんなことを自分がしてきたとは、全然覚えていないけど、
 もししたのなら、それは、申し訳ないことをしたな。」
と言ってくれました。
それで、父親にたいするわだかまりは、
もう終わりにしよう、と思えました。


短い滞在でしたが、夫と義妹は、大車輪でがんばっていました。
両親がふたりとも介護施設に入所するための申請を行い、
司法書士事務所に行き、成年後見制度の手続きを開始しました。
デイサービス、配食サービス、お手伝いさんの派遣などに守られて、
夫の父親は、とりあえず、一人で暮らしています。
母親は、施設に入所するまで、病院で暮らす予定です。(←本人の希望)


私たちは東京。義妹はドイツ在住。
簡単に行ける距離では無いけれど、
とりあえず、私たちが行かなくても、なんとかなる体制が、整いつつあります。
日本の福祉に、感謝です。


うれしいことがひとつ。
親がお金を残して亡くなった場合は、
夫も義妹も、かねてから、相続放棄すると決めていました。
でも、放棄したら、そのお金は、国のものになってしまいます。
それではつまらない。
なので、相続放棄はせず、
お金はすべて、長男のいるS園に寄付しよう、ということになりました。
幸いにして、お金が残ることがあれば、の話です。^^
でも、義妹が、「私の分も寄付して」と言ってくれたこと。
うれしかったです。
もしもそれが実現したら、夫の両親がこれまでにやってきたことへの、
罪ほろぼしにもなるかな、という気がします。


これから、ふたりが施設に入所した後のことは…?
それはまだ、わかりません。
そのとき、そのときで、考えていくしかないです。
皆様にいただいたコメントを、たいせつに保管しておき、
迷ったときは、ひとつひとつを読み返しながら、
また考えていきたいと思います。


いっしょに考えてくださったみなさま、本当にありがとうございました。



bigCさん、チューリップさん、Shiroさん
長女のことまでお気遣いくださり、ありがとうございます。
「長女が、私たちのすることをどう思うか?」ということですが。
私たちはこれまでも、夫の両親がやってきたことを、すべて、長女に話してきました。
長女は22歳。もう、それを理解できる年です。
長女は、「私にとって、『おばあさん』というのは、松山のばあば(私の実母)だけだと思う。」と言います。障害のある長男の巻き添えになり(苦笑)、長女もまた、夫の両親から無視されて育ちました。
長女には、何度も、
「本当は、子どもは親のめんどうをみるべきだ、とおかあさんは思っているよ。でも、宮崎のふたりにそれをできないのは、それだけの理由があるからだよ。」
と説明してきました。
今回、宮崎に行く日の朝も、長女は、「言いたいこと、全部言ってきな!」と言って、送り出してくれました。
私たちが、「長女にわからないようにしてなにかをする」ということは、これからも、ないと思います。


はりそん堂さん
「いちばん大事なのは、MIYO自身の素の気持ち」というお言葉に、励まされました。
ありがとうございました。
とりあえず、今回は上記のような結論になってしまいましたが、
たぶん、これからもまた何度も考えることでしょう。
その時々で、いただいた言葉を、忘れないようにしようと思います。


ひろこさん
そうなんです。
「会いたくない、関わりたくない」で、これまで34年間、臭いものに蓋をしてきたようなものでした。
でも、それですまない事態が来てしまったんですよね~T_T
夫の父は、ぼけてしまって、なんだか、可愛そうな感じがしました。
夫も、「親父のためなら、これからも宮崎に行く。でも、お袋には会わない。」と言っています。
彼女は、今も、頭がしっかりしていて、にくたらしい言動は、30年前のまんまです。
彼女をかわいそうに思うまでには、まだ少しかかりそう(苦笑)。
ご両親の老後を、しっかりと受け止めておられるひろこさんには、ただただ、お恥ずかしいばかりです。
いや~、ひろこさんに叱られなくてよかった~。ほっとしました(笑)。ありがとうございました。


Reposさん
いつも読んでくださり、ありがとうございます。
 いらないと言われればそれまで。
 欲しいと言われれば、できる範囲でお手伝い。
まさに、その通りでした~~~。
ほんとうに、貴重なアドバイスをいただきました。
夫の母に尋ね、「世話にはならない」と言われましたので、すっきりしました。^^
さらに、「今後、本人が頼んできたら、そのときは行く」という、
気持ちの逃げ道も確保できたのは、
Reposさんのアドバイスがあったればこそ、でした。
ありがとうございました。


おーちゃん
また、韓ドラのお話で盛り上がりましょう!^^
「後悔だけはしないように。」
そうですね。
34年間、夫の母のすることをずっと我慢し続けたことが、今の結果になりました。
「今ここできちんと話さなければ、ずっと後悔しますよ」
と、職場の同僚に言われ、肩をおされたことにより、
今回の宮崎行きを実行しました。
言いたいことを全部言えたので、今は、すっきりしました。
ああ、でも、「嫁が私のような人間じゃなかったら、もっといい結果になったのかも。」なんて、ちょっとずつ、思い始めてはいるんですけどね。(苦笑)
ありがとうございました。


popiarさん
夫の母から出てきた本音(?)は、上記のような、すごいものでした。
>この先、優しくされればされるほど、申し訳ないと思いながら。
夫の父親は、自分のしたことをすべて忘れているので、
それはないと思います。
「覚えてないけど、もしそうなら、申し訳ないことをしたなあ。」
と言ってくれたので、それでいいと思っています。
夫の母は、未知数。
今後、どう変わっていくのか。変わっていかないのか。
その時々で、見ていくしかないですね。(苦笑)
でも、死ぬまで、あの状態なんじゃないかな、っていう気がします。
夫は、自分の母親のことばに、心底悲しい思いをしたようです。
「まるで化け物だ。オレも、気をつけないと、20年後には、あんな化け物になるのかもしれない。そう思って、これから生きていく。」
と言いました。彼は、考え方や言動に、母親そっくりのところが、すごくあるんです。
今回のことが、これからの夫にどう影響していくのかを、私も見ていこうと思います。


プーさん
長男が通っていた保育園は、キリスト教系でしたし、今お世話になっているS園も、キリスト教精神に基づいて運営されています。
キリスト教には、感謝しています。
でも、どうも、信心深さの少ない私には、ハードルが高いようです。(苦笑)
クリスチャンの方々のように広い心をもち、「罪を認め、許し合い、愛し合う」というのは、今の私には、ちょっとむずかしいです。今後のことは・・・、分かりませんが。


キラキラ星さん
「今、選んだ事を一生続けなければいけないわけでもないし、続けても良いし。今日の選択を明日は変えて、明後日は戻しても良いし、、。 時間と共に変わったり変わらなかったりもするだろうし。 」
現在の、重い結論を出した私たちにとって、こう言っていただいたことが、気持ちの逃げ道になりました。
とりあえず、今のところは、「もう会わない」と思ったけど、いつか、そうでないと思える日が来るかもしれない。そう思えるだけで、少し、気持ちがラクになります。
ATMのお話、読んでくださり、ありがとうございました。うれしいです。^^


川心さん
こちらこそ、ありがとうございます。
克服日記は、たいへん勉強になります。
これからも、訪問させていただきたいと思います。


真ん中さん
「許す」・・・難しいときがありますね。
だからこそ、34年間も苦しんでしまいました。
私が嫁でなかったら、こんな問題も起こらなかったかも、と思うこともあります。
夫も夫なりに、苦しんでいました。彼もまた、長男の父親なので。そして、今回の結論で、いくぶん、気持ちの整理がついたようです。
「理性に感情がついていかないときは、感情に従う」というお考え、胸にひびきました。
それは、「自分の気持ちを大切にする」ということですよね。
ありがとうございました。


みよんさん
少なくとも母親は、私たちの世話にはならない、という姿勢です。
父親の方は、だいぶ弱気になっていて、「助けてください」と、自分から言っています。人はみんな、最後にはひとりで生きられないのに、母親がそれをわかるときは、永遠にこないかもしれません。
ああいう人と親戚になってしまったことは残念でしたが、実の息子である夫は、もっとつらいだろうな、と思います。
夫の両親のこと、夫とのこと。いろいろなことに、これからも悩んでいくと思います。そのときそのときで、また、軌道修正が必要なのだろうな、と思っています。
今回、良かったことは、夫の母親の、あまりにもすごい発言を知り、夫が、自分を省みた、ということです。夫と母親は、行動や思考のパターンがかなり似ていて、そのために、私たちの夫婦仲がこわれてしまったのですが(苦笑)。
「このままでは、オレもいつか、あんな化け物になるかもしれない。」と言っていました。彼が、今後どうなっていくのか。ゆっくりと見ていきます。^^
応援、ありがとうございます。うれしいです。



いっしょに考えてくださったことを、とても感謝しております。
みなさま、本当に、ありがとうございました。

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