MIYO'S WEBSITE - 全盲難聴のんたんの記録と卵巣ガン、そして旅日記。

超未熟児で生まれた後遺症で、全盲難聴(盲ろう)となったのんたん、双子の妹あみちゃんと共に楽しく生きる家族のお話です。
子どもたちは24歳になり、毎日元気に楽しく暮らしています。
卵巣ガンになって思ったことも、少しずつ書き始めました。
ベトナム日記は、
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をご覧ください。
ベトナム家族旅行:
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小学生だったころの子どもたちの育児日記は、こちらです。
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埃まみれのビルマ。バックパッカーの10日間 25 - ミンガラーマーケットと、動かないトラック(1987年5月7日/7日め)

1987年5月7日 出発時間になって、トラックの修理が始まりました。😅(ビルマ・ニャウンシュエ)


1987年5月7日(火)- 7日め


おじいちゃんの家を後にして、再び、
ニャウンシュエの町を歩き始めました。


たくさんの稲わらを束ねて、頭にのせて運んでいる人たちがいました。おそらく、シャン族の人々だと思われます。夫によると、「これは屋根を葺くために使うんじゃないか?」と。


【ビルマの民族】
ビルマ(現在のミャンマー)は、5つの国(中国、ラオス、タイ、バングラデシュ、インド)と国境を接しています。そのため、長い歴史の中で、ビルマには様々な民族が入り、定住してきました。現在、ミャンマー政府が公式に認めた民族の数は、135にも及びます。(ベトナムよりもずっと多いですね。😮)
主要な8民族は、ビルマ族、モン族、カレン族(カイン族)、シャン族、アラカン族(ラカイン族)、チン族、カチン族、カヤー族と言われています。


主要8民族です。それぞれに、民族旗と民族衣装があります。右下に描かれているのがシャン族です。(画像をお借りしました)

ゼージョーマーケットで会った、シャン族のおばあさん。ザルに刃物を並べて売っておられました。シャン族は被り物が特徴的なので、すぐにわかります。^^(1987年5月3日 マンダレー)
埃まみれのビルマ。バックパッカーの10日間 2 - ゼージョーマーケット(1987年5月3日/3日め)


今、私たちが歩いているところはシャン州で、
そのシャン州で最も多い民族がシャン族。
彼らの言語は、シャン語です。
シャン族は全世界で600万人いる、
とされていますが、そのうち500万人が、
ビルマに住んでいるそうです。


ちなみにインレー湖周辺に住み、漁業で生計を営んでいるインダー族も、シャン族の支系の一つだそうです。調べてみたら、私たちが貸していただいた菅笠も、シャン族のもののようでした。

1890年代の、シャン族の女性の写真です。上の写真と似ていますね。^^ 最近のシャン族の帽子は、この時代よりも高さがもっと低くなっています。(横浜美術館コレクションより、画像をお借りしました)


ちなみに、
「シャン州はシャン族が多く住む土地」
として知られていますが、他にも、
 コーカン族、ラフ族、パラ ウン族、
 パオー族、ワ族
…といった、たくさんの民族が暮らしています。


つまりシャン州は、
「少数民族のるつぼ」のような州だったのです。


夫が、わずか7日しかないビザで、
「どうしてもここに来たい」と思ったのは、
湖の遊覧をしたかったから、ではなく、
「多くの少数民族が暮らす土地」
を肌で感じたかったのだな、と、
ここでようやく理解したのでした。(遅い。笑)


そういう意味では、
「インレー湖遊覧」よりも、
水路をめぐってインダー族の方のお宅に行き、
ごはんをいただいたことの方が、
夫にはずっと意味があったのだと思います。
(もちろん、私にとっても。^^)


もしかしたら…と、地図を調べてみたら、やっぱりそうでした。夫は、「少数民族の住む山岳地帯を、それぞれの国境から見る。」ことに異様に燃える人なのですが、このときも、MIYOにナイショでそれを実行していました。これまで、タイのチェンマイ(1986年)、ラオスのルアンパバーン(1991年)、ベトナムのラオカイ(2019年)、ハザン(2023年)、中国のシーサンパンナタイ族自治州(1987年)と少数民族の住む国境地帯を旅してきましたが、このニャウンシュエに行ったのも、夫のそんな野望のひとつだったのでした。笑


37年もたって、初めてわかった、
この事実(遅すぎます。)
いえ、もしかして、当時夫は、
それを言っていたかもしれないけど、
MIYOは聞き流していたのかも。😅


カチン族(左)とアラカン族(右)です。135もの民族が暮らす、ビルマ。当時はそんなことも知らずに、ただ旅をしていました。


バンブーホテルに戻って、
預けていた荷物を受け取りました。
ニャウンシュエを出発するまでに、
まだ少し時間があったので、
すぐ近くにあった市場に行ってみました。


当時は、
わけもわからず行ってしまったのですが、
このブログを書くにあたって調べてみたら、
「ミンガラーマーケット」という名で、
ニャウンシュエでは最も大きな市場でした。


ミンガラーマーケットです。のっけから、シャン族のみなさまだらけ。中央の女性は、被り物ですぐにわかります。右端に立っている女性の菅笠も、シャンのものです。

キャベツや大根が見えます。^^

葉巻をくわえて、野菜を売る女性。

じゃがいもは量り売り。お皿に載せて、天秤ばかりで重量を測っています。

かぼちゃ、しょうが、トウガラシのお店。奥には、手作りのカゴを売るお店も見えます。日差しが強いので、上に布をかけて、即席の屋根を作っていました。


そろそろ出発の時間になったので、
ピックアップトラックの乗り場に行きました。
トラックはすぐに見つかり、
荷物を預けて、乗り込みました。
いざ出発!…のはずだったのですが、
ここでまた、トラブル発生です。


どうやら、パンクしていたみたいです。出発時間になってから、おもむろに、タイヤ交換が始まりました。


こういう旅をしていると、
途中で車が動かなくなる…という経験は
何度かありました。
中国・厦門では、高速道路で車がパンク。
立往生していたら、警察の人が来て、
パトカーでホテルまで送ってもらったっけ。爆


…にしても、出発時から車が動かないとは…。🤣
ここで、出発が1時間ほど遅れました。
翌日の5月8日にラングーンに戻るためには、
この日の夜8時半に、タージを出発する列車に
なんとしても乗らなければなりませんでした。


現在の鉄道路線図です。当時の鉄道網は、こんなに整備されていなかったと思います。マンダレーからヤンゴンへと走る夜行列車に乗るためには、ニャウンシュエからタージ (Thazi) 駅まで、トラックで行かなければなりませんでした。


ニャウンシュエからタージまでは、約160キロ。
現在なら3時間半の距離だそうですが、
当時は深い山道を分け入って走るようなもの。
あちこちの村で停まっていくし、
6時間くらいかかったように記憶しています。


たいへんタイトなスケジュールだったのに、
のっけから、1時間のロス。
タージ駅にはギリギリで間に合うと思いますが、
「列車に乗れなかったらどうしよう…。」
と、夫はソワソワしていました。


…にしても。
あんな、情報がなにもない時代に、
夫はどうやって、こんな計画をたてられた?😮
私はむしろ、そっちの方に驚くのですが。🤣


手持無沙汰に道路で突っ立っていたら、葬列が通り過ぎて行きました。おお、これがビルマのお葬式なんですね。

しんがりで、釣鐘を鳴らしていく人たち。

シュエズィーゴン・パゴダで見た人形を思い出しました。同じように、鐘を運びながら鳴らしている人々が、今、目の前を歩いていました。
埃まみれのビルマ。バックパッカーの10日間 16 - シュエズィーゴン・パゴダ②、チャンジッタ ウミン洞窟僧院、ウパリテイン、シュエナンインタウ僧院群(1987年5月5日/5日め)


さて。
ようやく、修理が終わったようです。
出発です。
時刻は、予定を大幅に遅れて、午後2時。


8時半までに、タジーにたどり着けるのだろうか。
はたして、列車の乗車券は買えるのだろうか。


わからないことだらけでしたが、
とりあえず、トラックは走り始めました。


(つづく)

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