埃まみれのビルマ。バックパッカーの10日間 16 - シュエズィーゴン・パゴダ②、チャンジッタ ウミン洞窟僧院、ウパリテイン、シュエナンインタウ僧院群(1987年5月5日/5日め)
1987年5月5日 チャンジッタ ウミン洞窟僧院で。(ビルマ・パガン)
1987年5月5日(月)- 5日め
シュエズィーゴン・パゴダに来ています。
木の質感が素朴で美しかった仏塔。
屋根の繊細な装飾もすばらしい。^^
これが、37年で、み~んなこうなりました。😮(画像をお借りしました)
これはこれで、素朴で味があって、私は好きでしたが。
この頃歩いていたのは、小さな見習い僧と地元の方々だけ。
パゴダの中には入れないので、
このあとは、境内にある、
繊細な木彫装飾やナッ神を祀る祠などを
見て歩きました。
釣鐘を運ぶ、ユーモラスな人形。当時は、手を伸ばせば触れられるところにありましたが…、
現在は、金網の中に入れられているようです。汚れをふき取って、色も塗り直されていますね。あら? ペンダントがない。よく見ると、襟かざりや帽子の色も変わっています。なんだか、「間違い探し」みたいになってきました。笑(画像をお借りしました)
当時のシュエズィーゴン・パゴダには、
観光客の姿もなく、
地元の人たちの祈りと共に、
ひっそりと存在しているような場所でした。
そこにはただ、穏やかな時間が流れていました。
この日の、ここまでの経路です。チリピサヤホテルを出発したあと、私たちの希望で、まずはマニシトゥ・マーケット(Mani Sithu Market)へ。そこから引き返して、ティーローミンロー寺院とシュエズィーゴン・パゴダを訪れました。
このあとは、シュエズィーゴン・パゴダからほど近いところにある、チャンシットタールウミン洞窟僧院(Kyan Sit Thar Umin Cave Manastry)へ。地上に見えている赤レンガの建物は、僧院の半分だけ。残りの半分は地下にあります。
ここがなんという名だったのか、
メモも残っていませんでした。
なので、まずはそこから調べ始めました。
上の写真を頼りに調べたところ、
「チャンシットタールウミン
(Kyan Sit Thar Umin)」
という僧院であることはわかったのですが、
それ以上の情報がわからず、グーグルマップでも、
場所を確定できませんでした。
それもそのはず。
現地では、
「チャンジッタ ウミン(Kyanzittha Umin)」
という、別の名前で通っていました。
【チャンジッタ ウミン(Kyanzittha Umin)】
11世紀初頭に、崖の表面に建てられた洞窟僧院です。チャンジッタ王の父親によって建てられたと考えられています。低いレンガの建物で、半分が地下、半分が地上にあります。建設時は僧院として使用されたため、内部には、僧が住むためのいくつかの小さな部屋があります。僧院内の壁には、11~13世紀に描かれた古代のフレスコ画があります。13世紀ごろに描かれたものは、1287年にモンゴル人が街に侵入したときに描かれた可能性が最も高いそうです。
僧院の内部です。僧侶のための部屋に通じる通路や洞窟が続いています。このときは靴を履いて入ることができたのですが、現在は係員がいて、裸足にならないと入れてもらえないそうです。
11~13世紀に描かれた壁画が、今も残っています。この僧院の壁画には、黄色が多く使われているという特徴があります。
現在は、入口に係員がいて、
「靴を脱いで裸足になるように。
写真撮影は禁止です。」
と言われるそうです。
けれど、私たちが訪れた当時は、
ただのレンガの建物が建っているだけで、
係の人とか、誰もいないし、
まさか1000年近くも前のものだとは、
全然知らず…。😅
今回、調べてみて、初めてわかりました。笑
この僧院に、一般のツアーで行くことは
ほとんどないそうです。
ネット上でも、関連資料がほとんど見つかりません。
にもかかわらず、こんな珍しいスポットを、
私たちが訪れることができたのは、
モンモンさんが連れて行ってくれたからでした。
2日間にわたって、彼と行動を共にできて、
ほんとうによかったと思います。
これにて、パガンの見学はほぼ終わりました。私たちを乗せた馬車は、ニャウンウーからオールドパガンへと続く道を走り抜けました。
馬車から見えた、ウパリテインです。現在は、電柱はきっと撤去されていると思います。笑
現在のウパリテインです。上の写真と反対側から撮っています。(以下4枚、画像をお借りしました)
【ウパリテイン(Upali Thein)】
ティーローミィンロー寺院の近くにあります。授戒式(戒名を授ける儀式)を行うためのお堂でした。このお堂の名は、ナンタウンミア(Nantaungmya)王とチャズワ(Kyazwa)王の治世中に存在していた有名な僧、ウパリの名にちなんでいます。
建物の基礎は、13世紀の中ごろのものと推定されています。屋根は、木造建築であるかのように見える繊細な造りで、2列の胸壁で飾られており、中央に小さな塔があります。
2列の胸壁で飾られている、屋根の装飾がすばらしい。
内部の壁や天井は、美しいフレスコ画で装飾されています。17世紀後半または18世紀初頭のものだそうです。
あああ~、これはぜひ、中に入ってみたかった…と、今さら言っても遅いのですが。笑
なにしろ、2200もの寺院や仏塔が残るパガン。
私たちが実際に訪れ、
その中に入ったり登ったりできたのは、
ごく一部でしかありません。
このウパリテインのように、
「なんだかよくわからないけど、
一応、写真だけ撮っておこう。」
なんてのもありました。
通りすがりのなんでもないパゴダでも、
37年もあとになって、
名前を調べ、その歴史を調べていると、
「通り過ぎることができないような、
すごい寺院だったのだ。」
と、気づいたりします。
ほんとうに、パガンは広い。
2日間かけても、
全然、時間がたりなかったなあ…
と、今は思います。😅
ついでに言うと、このブログに掲載している、
寺院やパゴダのほとんどは、
名前をすっかり忘れてしまっていて、
「あー、これなんだっけ?」
って状態でした。😅
そのひとつひとつを、写真を頼りに、
夫に尋ね、ネット上で確認しながら、
ブログを書いていったわけですが、
中には、
「探しても探しても、関連資料がでてこない。
夫も全然覚えていない。」
などという、難解物件もありました。
最後に残ったこの写真。これがなんだったのか、よく覚えていないのです…。
馬車を止めて、
寺院の前で写真まで撮っているのに、
これがなんだったのか、覚えていません。
パガンの寺院の写真をかたっぱしから見て、
同じものを探し当てるのに、3日かかりました。
あきらめたころに、ようやく見つかった写真です。2018年のもので、上の写真の反対側から撮っています。現在は、美しく修復されています。(画像をお借りしました)
ここは、
「シュエナンインタウ僧院群
(Shwe Nan Yin Taw Monastic Complex)」
という、
いくつもの僧院が集まっているところです。
夫が撮った写真は、
その中のひとつだったようです。
この上に上がると、景色がすばらしいのです。
こんな感じに見えるようです。(画像をお借りしました)
おそらく、私たちも上に上がり、
同じように、下界を見たのだと思います。
なんとなくそんな気がしますが、
よく覚えていません(情けない…)。
2019年、パガンは世界遺産に登録されたので、現在はこんなふうに、各寺院の前にパネルが建てられています。なので今では、「これはなんだったのか?」と、後から考え込むことはなさそうです。😂(画像をお借りしました)
このブログを書くにあたって、
いちばん困難を極めたのは、
「この寺院の名前はなんだったか?」
を突き止めることでした。(アホ)
そのときには聞いていたかもしれませんが、
いまではすっかり忘却の彼方(情けない)。
けれど、撮った写真を手がかりにして、
あきらめないで根気よく探し続ければ、
最後にはネット上で、
どうにか探し当てることができました。
名前だけでなく、今や、
その位置まで確認できてしまいます。
すごい世の中になったなあ…と思います。
昔だったら、
み「ねえ、これ、なんだっけ?」
夫「わからない。全然覚えてない。」
み「だよね…。」
ですんでいたはず。
忘却の彼方にあった、37年前の旅の記憶を、
インターネットが、
もういちどとりもどしてくれました。
さて。
2日間にわたったパガン寺院めぐりですが、
ようやくこれで終わります。
本日訪れたところです。
マニシトゥ・マーケット
ティーローミィンロー寺院
モンモンさんの家
シュエズィーゴン・パゴダ
チャンジッタ ウミン洞窟僧院
ウパリテイン
シュエナンインタウ僧院集合体
いまここ。😄
すでに午後も遅い時間になっていましたが、
モンモンさんの馬車に乗って、
オールドパガンを出発。
次の場所へと向かいました。
(つづく)



























