コロナでもウポポイ3。札幌2週間ホテル暮らし 97 - 旧余市福原漁場⑨ 主屋・親方の住居部分(帳場、茶の間、客間、縁側、仏間、中の間、次の間)(2021年11月13日/11日め)
(2023/03/25 15:00記)
2021年11月13日 旧余市福原漁場・主屋で。親方専用の散髪椅子です。(北海道余市郡余市町)
11月13日(土)
旧余市福原漁場に来ています。
堂々たる佇まいの、主屋です。
主屋で、左半分を占めている、
「漁夫溜まり」を見終わったので、
次は、右半分(親方と家族の居住部分)を
見学します。
主屋の玄関を入り、右側を見ると、まずは帳場があります。
帳場の内側です。たくさんの木札、銭函(金庫)、そろばんが見えます。倉の鍵も、ここで保管されていました。
ニシンの形のウェルカムボードがありました。1995年(平成7年)から公開されているようです。
「ここは明治時代のニシン漁場の跡です。北海道の日本海沿岸は、明治から大正にかけて、毎年大量のニシンが獲れ、この余市にも24~25か所のニシン漁場がありました。ニシン漁の不振とともに、漁場は姿を消していきましたが、唯一、『福原漁場』だけが、往時の姿をほぼそのままに残しています。移築・復元ではなく、このようにまとまって残っているニシン漁場は、他には例がなく、そこに史跡としての大きな特色があります。ニシン漁によって権勢を誇った、昔のニシン漁場の姿を、ゆっくりご見学ください。」
この帳場から左方向に、土間に沿って親方の居住部分が続きます。
ここからは、靴を脱いで上がり、
この右半分のエリアを歩いてみます。
内部は広く、6つの部屋に分かれています。
間取図です。間取りが東北の民家に似ているのは、網元の多くが東北出身であったからと言われています。
まずは、帳場の隣りにある、茶の間に入りました。
茶の間です。ここは、親方家族の部屋でした。親方家族の部屋は全て畳敷きです。欄間、床の間のしつらえ、そして北前船で運ばれた調度品に、暮らしの豊かさがうかがえます。
囲炉裏のそばに座布団を敷いてありますが、ここが親方の席でした。
茶の間から漁夫の溜まり場は、こんな風に見えます。親方は囲炉裏端で、漁夫溜まりに向かって座り、漁師がけんかや賭け事をしないようにとにらみをきかせていたそうです。そのため、建具中央はガラスになっていました。この部屋からは、浜の様子も見えたそうです。
茶の間から、次は左手に進んでみます。
茶の間の奥には、客間があります。
客間です。ここにも、炉が切ってありますね。
客間の右隣りには仏間があるのですが、窓際の縁側に、椅子のようなものが見えます。
縁側に置かれていたのは、散髪椅子です。川内漁場の親方が、床屋の職人を自宅に呼び、散髪してもらうときに使用したもので、親方専用の椅子でした。
縁側と仏間です。
床の間の上には、明治天皇、大正天皇の写真が飾ってありました。
そして仏壇の上には、この漁場の最後の経営者・川内藤次郎氏の写真がありました。
仏間の隣りの、中の間に入ります。
中の間の奥には、さらに次の間が見えます。
佐渡箪笥です。
【佐渡箪笥】
北前船の寄港地として栄えた佐渡ヶ島で作られた、日本を代表する美しい箪笥です。アンティーク時代箪笥の中でも王様の風格と言われていますが、市場に出回ることはあまりないそうです。
佐渡ヶ島の中でも、産地は、小木地方のものと八幡地方のものの2種類にわかれており、小木地方のほうが作りが良く美術品としての価値もあります。その理由は、小木産の方が舟箪笥の流れをくんだ作りとなっており、金具が厚く、ケヤキの木目も良く、豪華なものが多いためです。船主が芸者に買い与えたこともあったので、芸者箪笥とも呼ばれています。
一方、八幡地方のものは、大きな家具で金具が薄いのが特徴です。鶴亀や鳳凰など、めでたい図柄が緻密な透かしで表現してあり、その美しいデザインはため息がでてしまうぐらい圧巻です。
ネットで、佐渡箪笥について調べ、
写真をいくつも見たのですが、
この福原漁場に置いてあった佐渡箪笥よりも
凝った装飾を施しているものは、
ほとんどありませんでした。
かなりのお値打ち品のようです。
こちらも、装飾がほとんど同じです。同じ人に作らせたものだったのかもしれません。
これで、主屋の中の部屋を、すべて歩きました。
次回は主屋の外に出て、もう少し歩きます。
(つづく)