MIYO'S WEBSITE - 全盲難聴のんたんの記録と卵巣ガン、そして旅日記。

超未熟児で生まれた後遺症で、全盲難聴(盲ろう)となったのんたん、双子の妹あみちゃんと共に楽しく生きる家族のお話です。
子どもたちは24歳になり、毎日元気に楽しく暮らしています。
卵巣ガンになって思ったことも、少しずつ書き始めました。
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コロナでもウポポイ3。札幌2週間ホテル暮らし 23 - 豊平館④ 幸せの記録(2021年11月5日/3日め)

2021年11月5日 豊平館。幸せの記録と共に。(北海道札幌市)


11月5日(土)


豊平館の日記、最終回です。
ひとつひとつの部屋を見ていきましたが、
残すところ、あとふた部屋になりました。
椿の間と梅の間をご紹介します。




椿の間です。こちらはレンタルスペースとして貸し出されています。レンタル費用は、1時間900円(50㎡で定員20名)だそうです。それぞれの部屋の照明に個性があるのですが、この部屋の照明は、和のテイストであるように感じます。実は、この部屋では主に、結婚式での両家顔合わせが行われていたのだそうです。


写真の金屏風の前には、
新郎新婦が座ったのでしょう…。
こんなすてきなところで
結婚式を挙げたなんて、
きっと、一生の自慢になりますね。^^


かつては、北海道民にとって、
有名な結婚式場だった、豊平館。
予約をしたい人々が、列をなしたそうです。


さて。
最後の部屋になりました。
豊平館の中でも、圧巻ともいえる部屋。
梅の間です。


梅の間に入ります。

かつて、明治天皇を始め、大正天皇(皇太子時代)や昭和天皇も滞在した部屋でした。

豊平館で保管されていた、曲木椅子(まげきいす)。1910年(明治43年)から翌年にかけて、秋田曲木製作所(現秋田木工株式会社)で製作されました。

続き部屋の「梅寝間」です。寝室にあたる部屋で、寝台・洋服箪笥・洗面台などが配置されています。建設当時は旅館が主流で、ベッドを備えた客室でサービスを行えるホテルが、まだ少ない時代でした。が、豊平館では、ボーイが毎朝部屋を回り、洗顔用のお湯を届けるなどのサービスが行われていたそうです。

2階の、このいちばん手前に見える窓の内側が、かつては天皇の部屋でした…。


すべての部屋の見学を終えましたが、
中でも、忘れられない部屋があります。
それは、「豊平館②」でご紹介した、
芙蓉の間です。


1階のいちばん奥にあった、「芙蓉の間」。

この部屋の奥には、たくさんの名簿が飾られています。かつて、豊平館が結婚式会場として使われていた頃に、結婚式を行った人々の名簿です。最盛期には、年間で1000組がここで結婚式を行ったそうです。そして、さらに奥の部屋では「幸せの記録」と題された記録映像を見ることができます。当時に結婚式を挙げた人の思い出などが紹介されており、とても心温まる映像でした。


「幸せの記録」。
なんといいことばでしょうか。
豊平館は、
「かつて天皇が宿泊していた」
という、由緒ある館です。
けれど、
「その同じ館で、
 数多くの市民が結婚式を挙げた」
という事実の方が、
ずっとずっと、私の胸に響きました。


ラピスラズリが醸し出した、
ウルトラマリンブルーの館は、
数多くの人々の、
「幸せの記録」を紡いだ館でした。


【豊平館】
1880年(明治13年)、北海道開拓使が洋風ホテルとして建築しました。翌年、明治天皇が最初の利用者となって以後、要人の宿泊等に利用された建物です。明治政府機関が建設した唯一のホテルであり、明治初期の貴重な遺構として、1962年(昭和39年)に、国の重要文化財に指定されました。
1922年(大正11年)に、宮内省から札幌市へ譲渡された後、2012年(平成24年)まで、式典や大会会場、市営の結婚式場として、札幌市民に親しまれる存在となりました。2012年から4年をかけて、大規模な保存修正工事を行い、2016年にリニューアルオープンしました。


2階のバルコニー越しに見える、中島公園です。


豊平館は、当初、
さっぽろテレビ塔付近に建設されましたが、
1958年、中島公園内に移築されました。


野外学習でしょうか。たくさんの小学生が、通り過ぎていきました。

そして、結婚写真を撮るカップル。


美しい中島公園の一角で、
豊平館は今も、市民に愛されながら、
「幸せの記録」を紡いでいます。


この連載中、自由おばさんから、
メッセージをいただきました。


「私の兄が、豊平館で結婚式を挙げました。
 今から50年以上も前のことです。
 懐かしいです。
 今見ると趣がありますね。
 ありがとうございました。」


こちらこそ、ありがとうございました。
札幌市民でもない私ですが、
このコメントをいただき、
豊平館を、さらに身近に感じました。^^



美しい豊平館の姿が、胸に沁みました。
札幌の宝。
北海道の宝。
そして、日本の宝だと思いました。


(つづく)

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