コロナでも足利。織姫神社と足利学校を訪ねて 2 - 足利学校(杏壇門と孔子廟)(2021年4月30日)
2021年4月30日 足利学校・孔子廟です。(栃木県足利市)
4月30日
孔子廟の門である、杏壇門に着きました。
杏壇門(きょうだんもん)
1668年(寛文8年)創建ですが、1892年(明治25年)に、火災により屋根、門扉が焼け、その後再建しました。この火災時の焼けた跡が、今も柱等に残っています。
杏壇門の手前にある、「字降松(かなふりまつ)」です。
【字降松(かなふりまつ)】
戦国時代の話です。学生が読めない文字に出会ったとき、その文字を紙に書いてこの松の枝に結んでおきました。すると、校長である第7世庠主(しょうしゅ)九華がそれを見て、ふり仮名や注釈をつけてくれたそうです。そのことから、「字降松」と呼ばれるようになりました。足利学校に学んだ学生と庠主との交流が偲ばれる、足利学校の伝説となっています。
美しいフォルムの、杏壇門。
扁額「杏壇」は、紀伊徳川家第10代藩主大納言徳川治宝(とくがわはるとみ:1771~1852)の書です。
それでは、門の向こう側の孔子廟に行ってみます。
孔子廟(こうしびょう)です。
【孔子廟】
孔子を祀ってある廟で、聖廟とも呼ばれます。建物の名称は「大成殿」で寛文8年(1668)足利学校第13世庠主伝英元教の時に造営されたものです。
「大成殿」の様式は中国明代の聖廟を模したものと伝えられています。
間口12.7m 奥行10.9m 建坪138.6平方メートル(42坪)
「入徳門」「学校門」「杏壇門」「孔子廟」は国の史跡指定に含まれています。
扁額「大成殿」は有栖川宮織仁親王(ありすがわのみやおりひとしんのう)の王子で、のちに京都知恩院門跡となった尊超法親王(そんちょうほっしんのう:1802~1852)の書です。
内部には入れないのですが、奥に、孔子像と小野篁公像が見えます。上の部分に、「大成殿」と書かれていますね。
孔子坐像
孔子廟の中央にまつられています。1535年(天文4年)に彫刻され、納められたものです。寄木造りで、玉眼を嵌入しています。
小野篁公(おののたかむらこう)像
足利学校の創始者としてまつったとされています。
古来より、代表的な学校には、
必ず孔子廟があり、
学問の神様として、
孔子が祀られていたようです。
会津藩校・日新館の孔子像です。
水戸藩校・弘道館の孔子廟です。(非公開のため、画像をお借りしました)
コロナでも足利。織姫神社と足利学校を訪ねて 1 - 足利学校(入徳門と学校門)(2021年4月30日) - MIYO'S WEBSITE-全盲難聴のんたんの育児記録と卵巣ガンで思ったこと
まだまだあります。こちらは、ハノイにある、ベトナム最古の大学「文廟」の孔子像です。
定年でもベトナム。ハノイで始める、お仕事日記 163 - 文廟②(2019年10月21日/51日め) - MIYO'S WEBSITE-全盲難聴のんたんの育児記録と卵巣ガンで思ったこと
この写真を探すため、
以前書いたベトナム日記を見ていて、
気がつきました。
文廟の構成が、
足利学校とよく似ているのです。笑
足利学校。入り口から3つの門が続き、その奥に孔子廟(大聖殿)があります。
そしてこちらは、ベトナムの文廟。1076年に開設された、ベトナム最古の大学です。入り口から4つの門を抜けて、いちばん奥に孔子廟(大聖殿)があります。なんだか似てると思いませんか?^^(2019年10月21日)
ベトナム日記を書いてから、
2年も過ぎてしまいました。
早いですね…。
(つづく)
「定年でもベトナム。ハノイで始める、お仕事日記」はこちらです。
2019年9月-10月 ベトナムのブログ記事 - MIYO'S WEBSITE-全盲難聴のんたんの育児記録と卵巣ガンで思ったこと