コロナでも福島。満開の桜の下、城を仰ぐ 12 - 会津若松・日新館(大学から水練水馬池へ)(2021年4月10日/2日め)
2021年4月10日 日新館で。(福島県会津若松市)
【お知らせ】
7月30日より、おでかけします。
ブログは、少しお休みをいただきます。
4月10日
日新館の東塾を出て、
さらに奥にある、
大学へ向かいました。
中央が大成殿で、その右にあるのが大学です。
【大学】
素読所を卒業した者で、五百石以上の家の長男や、成績・人物共に優秀な生徒だけが選ばれて入学することができました。大学での学習は、生徒の自主的な研究や討論が主なものでした。
大学と大成殿は、渡り廊下でつながっています。この扉の向こうは、大成殿です。儒教の祖である孔子を祀る場でした。
孔子像が祀ってありました。
大成殿の先には、會津藩校資料館があります。
日新館には、上級武士の子弟が10歳から入学し、生徒は常に1000人を越えていました。その教育内容は、文武両道にわたって幅広く、特に、「水練水馬池」は日本最古のプールと言われています。また、天文台を持っていた藩校は、日新館と薩摩藩の造士館(ぞうしかん)だけでした。日新館からは、優秀な人材が数多く生まれ、その精神は、明治維新まで引き継がれていったそうです。
その後もどんどん歩いて、西塾の反対側に出ました。それにしても広い。😅
弓道場です。現在も、全国大会などで使用されているそうです。
水練水馬池が見えてきました。
【水練水馬池】
日本で初めて作られたプールと言われています。池の周囲は約153m。向井流という泳法を学び、甲冑をつけての水練も行われました。水練場を備えていた藩校は、日新館と長州藩の明倫館だけでした。
天文台にプール…。
日新館は、当時、
国内でも最先端の教育を行う場でした。
そして、
ここで培われた数多くの人材が、
戊辰戦争で命を落としたのです。
無残、という言葉しかありません。
(つづく)