MIYO'S WEBSITE - 全盲難聴のんたんの記録と卵巣ガン、そして旅日記。

超未熟児で生まれた後遺症で、全盲難聴(盲ろう)となったのんたん、双子の妹あみちゃんと共に楽しく生きる家族のお話です。
子どもたちは24歳になり、毎日元気に楽しく暮らしています。
卵巣ガンになって思ったことも、少しずつ書き始めました。
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ベトナム家族旅行:
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小学生だったころの子どもたちの育児日記は、こちらです。
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コロナでも福島。満開の桜の下、城を仰ぐ 5 - 脇本陣柳屋旅館跡地(2021年4月9日/1日め)

2021年4月9日 脇本陣柳屋旅館跡地で。(福島県白河市)


4月9日


小峰城をちょっとだけ見るつもりで、
白河市に立ち寄ったのですが、
歴史館に置いてあった地図を見ると、
市内にはいくつもの
観光スポットがありました。
あまり時間がなかったのですが、
少しだけ、市内を
歩いてみることにしました。


市内には、訪れてみたいスポットが、こんなにもたくさんありす。

中でも、「旧脇本陣蔵屋敷」というところは、小峰城跡のすぐ近くです。ということで、ここをめざして歩きました。

10分くらい歩いて、ほどなく到着しました。旧脇本陣柳屋旅館建造物群エリアです。


【旧脇本陣柳屋旅館建造物群】
江戸時代に、奥州街道白河宿の中心だった場所です。ここには、本陣・脇本陣をはじめ、50軒ほどの旅籠が軒を連ねていました。今でも残っているのが「脇本陣柳屋旅館跡地」で、脇本陣を経営した柳下家は、代々旅籠を経営していました。奥には、当時の旅館の座敷蔵があります。
表通りに面して建つ建築物は、明治期に勧工場(デパート)として建築されたもので、文明開化の時代を伝える洋風建築物です


脇本陣柳屋旅館の入り口です。

柳屋旅館には、戊辰戦争白河口の闘いに参戦した新選組隊士が宿泊し、ここから出陣しました。

路地を奥に進むと、突き当たりに、「明治天皇白河行在所附御膳水」の碑があります。ここが、座敷蔵の入り口です。

座敷蔵は、江戸時代に建築されたものです。1881年(明治14年)に、明治天皇の宿泊所になりました。

まずは、蔵の周囲を歩いてみました。

当時の井戸が、今も残されています。


蔵の中に入りました。
入場料は無料で、
内部を見ることができます。
が、コロナ禍で訪れる人もないようです。
貸し切り状態で、ゆっくりと
見学させていただきました。


蔵の内部です。全部で3室あります。写真は、ひとつめの部屋から、他の2室を撮ったものです。

欄間も美しいですね。

天井板が斜めに組まれていて、矢の羽根のようになっています。これは「矢羽根天井」と呼ばれています。


一番奥の座敷です。玉座と呼ばれ、床の間、違い棚、付け書院を兼ね備えた本格的な書院空間となっています。

玉座を囲む通路も、すべて畳敷きになっています。


表通りの脇本陣は、
新選組の宿舎となったにも関わらず、
その13年後には、座敷蔵が、
明治天皇の宿泊所となったわけです。
激動の時代の中で、この場所もまた、
翻弄され続けたのだと思います。


さまざまな思いを語りかけるかのように、
座敷蔵だけが、
当時の面影を残しながら、
ひっそりと佇んでいました。



次回は、明治期に建てられた、
勧工場をご紹介します。


(つづく)

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