MIYO'S WEBSITE - 全盲難聴のんたんの記録と卵巣ガン、そして旅日記。

超未熟児で生まれた後遺症で、全盲難聴(盲ろう)となったのんたん、双子の妹あみちゃんと共に楽しく生きる家族のお話です。
子どもたちは24歳になり、毎日元気に楽しく暮らしています。
卵巣ガンになって思ったことも、少しずつ書き始めました。
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コロナでも福島。満開の桜の下、城を仰ぐ 4 - 白河小峰城跡・小峰城歴史館(2021年4月9日/1日め)

2021年4月9日 小峰城歴史館に行きました。(福島県白河市)


4月9日


桜の花に抱かれるような、小峰城。
石垣をながめながら、歩きました。


この美しい石垣は、東日本大震災で、10か所にわたって崩落しました。以来、長い年月をかけて、修復作業が行われました。修復では、江戸時代の石垣構築(伝統工芸)に基づくことを基本としています。一つひとつの石材が、江戸時代から伝わる文化財であることを考慮し、石材をできるだけ再加工せず、崩落前の姿に戻しているそうです。


石材の一つひとつにまで、
こめられた思い。
こういうところが、日本人だなあ…
と思います。


カンボジアのアンコールワット遺跡群では、
ユネスコのプロジェクトの下で、
世界各国がエリアを分担し、
修復作業を行いました。
その結果、担当した国によって、
修復の内容に、大きな違いが出たそうです。
ある国が担当したエリアでは、
ただセメントを流し込んだだけ、
だったとか…。


石垣の石の一つひとつにまで、
思いをはせ、慈しむ白河の人々。
その気持ちに、頭が下がります。


二ノ丸茶屋をちょっとのぞいてから、さらに歩きました。

小峰城の門・櫓跡です。

小峰城歴史館が見えてきました。あそこまで行ってみます。

観覧料(300円)を払ったら、二ノ丸茶屋のソフトクリーム割引券をいただきました。^^

歴史館では、小峰城の歴史について学ぶことができます。

小峰城が始まったのは、1340年でした。

そして1868年(慶応4年)の戊辰戦争(白河口の戦い)で、奥羽越列藩同盟軍と新政府軍との激しい攻防の舞台となり、その大半を焼失し、落城しました。

ありし日の、白河小峰城(ジオラマ)です。

現在の写真です。

私たちが歩いてきた小峰城三重櫓と前御門は、木造で復元されました。

復元された三重櫓。現在は、こんなに美しい姿を見せてくれているのですが…。

この石垣は、2011年の東日本大震災で、無残に崩落しました。上の写真と比べてみてください。

私たちが歩いてきた、前御門に続く道の石垣は、そのほとんどが崩落してしまったのです。

同じ場所の写真です。石垣は、8年の歳月の後に、見事に復元されました。

「すべての石を元の場所に」と心に刻みながらの修復は、ことばでは語りつくせないほどの、たいへんな作業だったことでしょう。白河市、すごいです。

そして今、小峰城では、清水門復元プロジェクトが始まっています。寄付1000円で一石城主になれます。白川藩の石高であった15万石にちなみ、15万石の寄付を募っているそうです。目標が達成されたら、寄付の総額は1億5000万円になります。


「石垣修復が完了した今、
 次なる目標は、清水門の復元です!」
と、書いてありました。


戊辰戦争で失われた、小峰城。
その無念さは、150年以上たった今でも、
人々の心から
消えることはないのだと思います。
郷土の城をよみがえらせようとする、
白河の人々の熱意が、胸をうちました。


(つづく)


(おまけ)
実は、明日が誕生日です。
楽天から700ポイントをいただきました。
誕生日なんて、もう、
うれしくもなんともないのですが、
これだけは、毎年の楽しみです(笑)。

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