下田にも行ってごめんなさい。⑥ 金目鯛の煮つけ定食(2020年5月29日-31日)
2020年5月30日 なまこ壁満載の、下田開国博物館。お世話になった豆州庵の隣りにあります。残念ながら、休館中でした。6月は、土日限定で開館しているそうです。
5月30日
ペリーロードを後にして、
ようやくお昼ごはんです。
下田駅まで行ってみました。
駅前の、お城のような建物。ここで食事しようと思ったのですが、閉まっていました。
…で、そこからほど近いところにある、磯料理のお店「魚河岸」に入ってみました。
小さなテーブルがいくつか置いてありました。テーブルの真ん中にアクリル板が設置されていて、対面相手との仕切りになっていました。夫婦で今さら仕切っても手遅れですが。笑 お店の方もそう気づいたようで、「これ、片づけましょうね。^^」と…。笑
「せっかくだから金目鯛を」と夫が注文した、金目鯛の煮つけ定食。あまりの大きさにびっくり。大きな魚卵とおまけの切り身も入っていて、すごいボリュームです。MIYOも手伝って、ふたりがかりでようやく食べきりました。
MIYOは海鮮丼。ごはんを少なめにしてもらいましたが、それでもちょうどよい量でした。
食事のあとは、
地元のスーパーで買い物をして、
夜のおつまみなどを調達。^^
ふたたび、お宿に戻りました。
多動夫はまたもお散歩。笑
庭に咲いていた花です。赤いドレスのお嬢さんみたいですね。^^
そして、温泉に入ったら…、
夕食です!^^ この日は、3000円の洋食を予約してありました。ワインは、スペインの赤、Sangre de Toro。旅行中のワインは、自宅から持ち込み、いつも、お部屋の冷蔵庫で冷やしてあります。^^
ローストビーフとチキンのカツレツ風。
甘えびと白身魚のマリネ。
サラダとビシソワーズ。
デザートは、チョコレートケーキでした。
今日も、ごちそうづくしの、
幸せな一日でした。
あしたは、東京に戻る日です。
でも、途中でちょっと、
寄るところがあります。
最後に、下田に関する、
もうひとつのお話を…。
「『唐人お吉』に関するものは、
下田にはありませんでしたか?」
というコメントをいただきました。
ありましたよ。^^
ペリーロードの近くの長楽寺には、
お吉観音を祀る宝物館があります。
また、宝福寺には、
「唐人お吉記念館」があるそうです。
私も気になったので、
帰宅してから、調べてみました。
斉藤きち 19歳の写真
斎藤きち(通称「お吉」)。
舟大工の娘として生まれましたが、幼くして父を亡くしました。
14歳のときに、その美貌と美しい声を武器に芸妓となり、奉行所の侍や小者たちの相手をしはじめます。その後、船大工の鶴松と恋仲となり将来を誓いあうようになります。
ところが、17歳のころ、その美しい姿が奉公所の目にとまり、仲を引き裂かれ、心ならずもアメリカ領事館への奉公を命じられます。
彼女が「看護人」として奉公した相手は、外交官、タウンゼント・ハリス。52歳のアメリカ人でした。奉公したのはわずか3日だったのですが、通常の召使の10年分の報酬であったため、下田の人々は、彼女を「異国の人と交わった女」とみなし、「唐人お吉」と呼び、罵声を浴びせはじめました。
その後、34年間、お吉への差別は続きます。貧窮にあえぐ彼女に、手を差し伸べる者もなく、1890年、50歳になる目前に、お吉はホームレスの群れに入ったと言われています。
1891年、51歳のとき、下田に流れる稲生沢川に投身し、自ら命を絶ちます。亡骸は、異人と交わった汚らわしいものとして野ざらしにされ続け、3日間も川岸に放置されたそうです。
波乱にみちた51年の生涯は、その後、様々な小説や戯曲で描かれ、人々に知られるようになりました。現在は丁重に弔われ、お墓も建てられています。
お吉の悲劇は、
「当時の日本には、
このような『差別』もあったのだ」
ということを、私たちに
教えてくれていると思います…。
(つづく)