MIYO'S WEBSITE - 全盲難聴のんたんの記録と卵巣ガン、そして旅日記。

超未熟児で生まれた後遺症で、全盲難聴(盲ろう)となったのんたん、双子の妹あみちゃんと共に楽しく生きる家族のお話です。
子どもたちは24歳になり、毎日元気に楽しく暮らしています。
卵巣ガンになって思ったことも、少しずつ書き始めました。
ベトナム日記は、
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をご覧ください。
ベトナム家族旅行:
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小学生だったころの子どもたちの育児日記は、こちらです。
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4年ぶりのタイ。バンコクを歩き続けた9日間 15 - チャチューンサオ⑥ 寺院からバーンマイ100年市場①へ(2023年11月12日/5日め)

2023年11月12日 バーンマイ100年市場で。


11月12日(土)- 5日め


ピンクガネーシャで知られる、
ワット・サマーン・ラッタナーラーム
に来ています。


お昼ごはんのあとは、
再び、お寺の中を歩きました。


わけのわからないオブジェたちを見ながら…、

さらに歩くと、たくさんのお店が並ぶ市場エリアに出ました。

お魚屋さんです。看板には、「ナマズ、雷魚」とありました。バンパコン川で獲れた魚を、タイの人々がお土産に買って帰るのだと思われます。

頭を落として、天日干しにされた魚たち。


お店は何十軒も、延々と続いていて、
それを見て歩くのも面白かったのですが、
夫から、
「そろそろ次の場所に行かないと、
 時間がなくなるよ。」
と言われ、
お寺の入り口まで戻ることにしました。


入口で、お参りをする人々。ここは仏教なのかヒンドゥー教なのか、最後までよくわかりませんでした。😅

たくさんのお供えの花たち。こういうのを見ると、インドを思い出します。

入口にもやっぱりいた、ネズミさん。しっかり、お賽銭箱が置いてあります。笑

ここで、ソンテオ乗り場らしき場所があったのですが、次に駅に行くソンテオは14時20分。あと15分ほどで来るみたいですが、ほんとに時間通りに来るかどうかはわかりません。🤣


ソンテオが来る気配はないし、なにより夫が、
「ここでぐずぐずしてたら、時間がなくなる。」
と言って、ソワソワし始めました。
しょうがないから、Grabで車を呼ぶことに。
こんな田舎で車があるのかな、と思いましたが、
あっという間に見つかりました。


左:車は、13分で到着するそうです。
右:ドライバーが近くまで来ると、「ピックアップポイントで待機してください」とお知らせがあります。


Grabは、ベトナムでも、
数えきれないくらい利用しました。
その同じアプリが、タイでもそのままに使えます。
そのうえタイでは、
一部が日本語で表示されるのもすごい。笑
それくらい、利用する日本人が多いんでしょうね。


市場エリアの前で待っていると、イスズの立派な車がやってきました。^^


次の目的地である Ban Mai Market までは、
車で25分くらい。
料金は139バーツ(約556円)でした。
昔のように、
いちいち価格交渉をしなくてもいいので、
本当に便利になりました。^^


本当は、ソンテオでいったん鉄道駅まで戻り、
そこでタクシーを拾って、
次のスポットへ行こうと思っていました。
でも、お寺の前まで車が来てくれたので、
鉄道駅まで戻る手間が省け、
かえって効率が良かったと思います。


さて、バーンマイマーケット (Ban Mai Market) です。なぜか漢字で新屋市場と書いてありますが、これは中国語。この名前では、タイ人には通じません。笑 日本語では、「バーンマイ100年市場」と呼ばれています。


【バーンマイ100年市場】
バンコク市内から車で約1時間のところにあります。名前の通り、100年以上の歴史があり、チャチューンサオ県内の最も古いコミュニティのひとつです。このあたりは、別名「ペートリウ」と呼ばれており、ラッタナコーシン王朝時代にラーマ5世が統治して以来、「ペートリウの人々の市場」として栄えていました。古くから、川沿いの市場として知られており、150年以上の歴史を持つ商業地域なので、先祖代々から続く生活文化が色濃く残っているエリアでした。

かつては、水上の物流網が発達しており、それと共にこの市場も栄えました。しかし時が経つにつれて、多くの人々が陸上輸送ルートに切り替えたため、活気が失われていきました。船での輸送が減り、新しい世代の人々はバンコクに出て勉強や仕事をするようになると、バーンマイ市場は以前の活気を失い、次第に廃れていきました。
しかしその後、バーンマイ市場のコミュニティの人々が、「この市場を以前と同じように活性化させたい」と働きかけ、文化観光の新しい形を創造していきました。その結果、歴史遺産としてその魅力を伝える「バーンマイ100年市場」が生まれました。博物館と同等の価値がある学びの場として、今もなお新しい世代へ、その歴史を継承し続けています。


市場の入口を入ったところです。両側には、2階建ての長屋が続いています。

内部には、派手な照明などはなく、屋根の部分から差し込んでくる自然光だけで商いをしていました。

同じ場所を、夫が撮るとこうなります。たしかに、雰囲気がありますよね。この市場の建築様式は、ラーマ6世時代(1910年~1925年)を反映しており、独特の魅力を醸し出しています。そのため、さまざまな映画の撮影にも使用されてきたそうです。


この辺から、夫はもう、大喜び。笑
歩きながら、写真をがんがん撮っていました。


右は貴金属屋さんなのですが、左は台所用品などの雑貨屋さんです。あまりない取り合わせですが。笑

売っている食器の中には、日本から輸入してきたと思われる中古品もありました。

食堂もあります。

いかにも、ずっと昔からありそうな雰囲気のカフェ。

ところどころで、細い路地も伸びています。この路地をそのまま直進すると、通りの反対側に出るようです。が、この路地にはお店がなさそうなので、この手前で左に曲がりました。

左に曲がると、そこからさらに、市場の通りがずううううっと延びています。


古い市場だし、
それほど広くないと思っていたのに、
予想に反して、ここからさらに、
延々と市場は続いていました。


その広さから、
100年前、この市場がいかに賑わっていたかが、
伺えました。


(つづく)

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