コロナでも雛旅。古(いにしえ)の雛を訪ねる、4泊5日の長野・岐阜・愛知 26 - 郡上八幡城② 優しい雨の町(2021年3月28日/3日め)
2021年3月28日 郡上八幡城で。何度も言いますが、夫婦仲は悪いです。😅(岐阜県郡上市)
3月28日
雨の中、郡上八幡城を歩いています。
後ろに見えているのが、天守閣と櫓です。司馬遼太郎氏が、「日本で一番美しい城」と言われたそうです。
【郡上八幡城】
1559年(永禄2年)、現在の地に遠藤盛数が陣営を敷いたことが、城の創建とされています。1588年(天正16年)に、3代城主格稲葉貞通が、山頂を本丸として天主台を設け、山腹の平地を居館とし、二之丸としました。
1871年(明治4年)の廃藩置県により、郡上班は廃藩し、翌年から城は、石垣を残して順次取り壊されました。城の石垣は、天正期、慶長期、寛文期、文久期のものがあり、八幡城跡は、1956年に岐阜県史跡に指定されました。
その後、地元郷土振興と失業救済を目的として、再建を決定。1933年に、木造四層、入母屋造、桟瓦葺の模擬店主を建設しました。
1987年に、八幡城は、郡上市重要文化財建造物となりました。近代以降に建てられた天守の中で、最も古い木造天守のひとつとなっています。
お城の中に入ります。
お城の内部は、歴史資料館になっています。
八幡城は、1758年から、青山氏(13代)が城主となりました。周囲にあるのは、能登、加賀、越中、越後、信濃、飛騨、越前、近江、そして美濃。こうやって文字を書くだけでワクワクします。ああ、もう全部行きたい!笑
当時の模型も展示されていました。
右側にあるのが、徳川家康から拝領したと伝わる「金の弩標(どひょう)」です。馬の首に付ける弓具(弩標)を飾り物に仕立てたもので、行列の先頭に用いられたそうです。
夫が大好きな甲冑です。写真は左から、遠藤氏、井上氏、青山氏です。
遠藤氏の甲冑
井上氏の甲冑
青山氏の甲冑。夫、うれしくって撮りまくり。笑
山内一豊の妻・千代の肖像画。千代は、郡上の生まれでした。
千代に馬を買ってもらったとき、一豊は、「男が廃る」と言ったそうです。そういうことばが言える人は、器が小さいのではなく、「感謝」というものを本当に知っている人なのだと、最近になって思うようになりました。
郡上八幡城の来場記念「城御朱印」のコーナー。お雛さまがマスクをつけて、踊りながら行進していました。楽しいですね。😄
さらに上に上がります。
私たちが入ってきた門と櫓が見えました。
市内を流れる吉田川は、この先で、長良川に合流しています。遠く山の麓には、東海北陸自動車道があるそうですよ…。
そして、こちらの窓をのぞくと…、
郡上八幡の町が、一望できました。雨に煙る山々と家並み。美しくて、美しくて、いつまでも眺めていたい気持ちでした。
郡上八幡城で、いちばん心に残ったのは、
展示品の数々ではなく、
この、雨に煙る町の風景でした。
これこそが、
この町の宝なのだと思いました。
(つづく)